【あの人に会いたい】浪曲師・国本武春(1960-2015)

NHK総合で「あの人に会いたい 浪曲師・国本武春」を観ました。

国本武春は2015年に55歳の若さで亡くなった。浪曲にロックやブルースを入れ込み、自ら弾き語りもする活動は浪曲の世界に新風を吹き込み、「浪曲界の革命児」とも呼ばれた。志半ばで亡くなったことは残念でならない。

1997年に「トップランナー」に出演したときの発言が武春をよく表している。「やっぱりそこに当たり前じゃない風を起こしたいじゃないですか。日本にこんなすごいエンタテインメントがあるぞってことを日本だけじゃなくて、外国にも言いたい。『面白いね。なるほど、あれだったらいいね』というのを受けていかないと悔しいんですよ。そういうものをまずは細々でいいから作っていって、それをだんだん広げていきたいなと思うんですよね」。

国本武春は昭和35年、千葉県生まれ。父は天中軒龍月、母は国本晴美という浪曲一家に育った。だが、浪曲師になるつもりはなかったという。「たまに三味線の師匠が遊びに来たりはしていましたけど、ずっと子供の頃から聴いていたわけでも何でもないんですよ」(2000年「スタジオパークからこんにちは」)。

中学生の時にカントリーミュージックから派生したブルーグラスに熱中した。「こんなすごい音楽があるのか。ちょうどバンジョーの速弾きが、タンタカタカタカという速弾きが、耳に残りましてね。これはすごいなと思って虜になりました」(1997年「トップランナー」)。

高校時代は「寿ブラザーズ」というバンドを結成し、老人ホームの慰問や学園祭などで演奏した。「合間に水戸黄門とか銭形平次といった時代劇を色々織り交ぜながら、寸劇みたいのを入れたりして、笑っていただこうというようなことをした。すると、ワッと受けるわけですよ」(2002年「テント2002公園通りで会いましょう」)。

二十歳で「人前で芸を披露して喜びを感じる」ことを知った武春は、演劇を学ぶために専門学校に進む。その中で、改めて浪曲と向き合った。昭和を代表する浪曲師、二代目広沢虎造の「清水次郎長伝」のすごさに触れた。「三味線が入って、歌って、語って、ストーリーがあって、ドラマがあって、泣かせるところがあって…これは一人でやる話芸としては最高の形じゃないか」。1981年に東家幸楽に弟子入りした。

「入った頃は全く客席に若い人がいなかった。聴いている人は70~80代。将来的な心配がすごくあって、これは開拓していかなくてはというか、自分のお客さんを色々と見つけていかなくては浪曲がなくなっちゃうんではないかと思いました」(1996年「おはよう日本 輝いてこの人」)。

従来の浪曲の枠に捉われない、新しい浪曲を作ろうと試行錯誤をはじめた。1998年の「衛星演芸特選 浪曲」で披露した♬ザ・忠臣蔵もその一つだろう。古典をロックやバラード調にアレンジして、自ら三味線を弾く独自のスタイルで人気を確立していった。

「長唄とか民謡だけでなく、ロック、ブルース、バラード、色々なものを三味線で歌ってみよう。浪曲はもっと広がりがあって、どこから入っても入れるような間口の広い芸。浪曲の要素というのは現代に通用する。逆に今、それがかっこいい時代になっていくんじゃないかなと期待している」(2003年「おはよう日本」)

若い浪曲ファンを増やしたい。作詞、作曲を手がけ、コンサートを開き、CDも出した。2000年には宮本亜門演出のブロードウェイ・ミュージカル「太平洋序曲」にも出演した。さらにEテレの「にほんごであそぼ」では“うなりやべべん”として子供たちの人気キャラクターにもなった。

「浪曲師はみんなオリジナルを作るんですよ。自分のスタイルを作ったものが勝つ。先輩たちも寛容で、『昔は色んなやつがいたんだ。大いにやれ』『浪曲という名前が出るだけでいい。頑張れ』と応援してくれて」。芸術選奨文部大臣新人賞や文化庁芸術祭賞演芸部門新人賞などを受賞した。

ところが、2010年にヘルペス脳炎で倒れ、入院。記憶力が極端に低下し、5ヶ月をかけてリハビに懸命に取り組んだ。その甲斐あって、2011年、高座復帰。

「あの寄席の提灯の感じ、お客さんの拍手、雰囲気。自分が出てきたその様子でサーッとね、一瞬にして何かこう戻るんですね。『ああ、浪曲師なんだな』というのが、そのときに急に入ってきて。それで、『ああ、これはいけるな。大丈夫、大丈夫』と思いました」。

だが、斬新なスタイルで浪曲界の革命児と呼ばれた男はその4年後に急逝してしまった。だれもが浪曲の世界を背負って立つと思っていた。

「自分の力でどうにかしようとか、そのためにはあれもしよう、これもしよう、こんな人にも会おう、というようなことはすごくあって。それが体験の中でどんどんいいことが積み重なってきていたりするので。僕はもう一生、途中でいいと思うんです。やり続けるというか、探し続けるというか、自分の価値観というか、そういうものを自分で持っていく。それが他人が何と言おうと揺るぎないものであればいいんじゃないでしょうか」。

国本武春が生きていたら65歳、円熟の芸を見せて、現在の浪曲界の地図も大きく変わっていただろう。だが、そんな後ろ向きなことを言っていても仕方のないことだ。今、頑張っている中堅、若手の浪曲師たちの背中を微力ながらそっと押していけたらと思っている。