立川吉笑新春独演会「声飛脚」「くじ悲喜」、そして立川らく兵 落語の花道「富久」

立川吉笑新春独演会に行きました。「十徳」「声飛脚」「くじ悲喜」の三席。ゲストは立川志の大さんで「鈴ヶ森」だった。
「声飛脚」。手紙を運ぶ“紙飛脚”は価格が暴落して、八割は隠居たちが将棋の一手を送るような安直なものになってしまった、だから飛脚の方も運ぶ前に中身を見てしまうという…。上方の飛脚からそう教えられて、真面目に「お客様の大切なもの」を運ぶんだという使命感に燃えていた江戸の飛脚がガッカリする。
だから、飛脚の主流は“声飛脚”の取って代わられたという発想が面白い。上方の旦那から江戸の番頭へ伝えるメッセージ、「探していた前掛けは布団の隙間から出てきた。心配をかけてすまなかった」という内容を飛脚の竹やんが旦那になりきって忠実に再現するのが実に可笑しい。他にも婆さんの「葱と一緒に炊いたら柔らかくなる」とか、犬のポチの鳴き声とか、声に貴賤はないと言う飛脚たちがメッセンジャーとして機能している江戸時代の社会を想像するだけでも愉しくなる。吉笑師匠の発想の豊かさに感心する。
「くじ悲喜」。年末大売出しの商店街のくじ引きなのだろう。箱の中に残された3つのくじの擬人化が秀逸である。すでにワールドベスボールクラシックツアーやマウンテンバイク、任天堂スイッチといった目玉商品のくじは引かれており、「どうせ俺たちはティッシュペーパーだ」と諦め顔のくじたち。どうせなら、自分で剥がして「自分は何と書かれているのか」見てしまおうと考えるところが、この噺の肝だろう。
お互いに少しずつ剥がしていこうと、少し剥がすと「テ」、さらに「ィ」が出てきて、「ああ、やっぱりティッシュだ」。一人はやけっぱちになって、全部剥がしたら、何とティッシュではなく、ティファニーだった!思わず「ヨッシャ!」と雄叫びをあげる「ティファニーくじ」は、自分を信じてコツコツやってきて良かったと喜び、まだ「ティ」までしか剥がしていないくじに対して、「俺も恐かった。なぜ、めくらないんだ。だったら、俺はこれからお前をティッシュと呼ぶぞ。いいな」と、上から目線の強気なのが可笑しい。
一人頑固に剥がしていなかったくじに対し、「俺たち、仲間じゃないか。ティまでめくってくれ。中途半端は一番傷つける」と言って、「ティくじ」は「ティファニーを羨ましいと思ってしまった。今はティッシュの自分を愛している」。だが頑固に剥がさなかったくじにはある理由があって…。くじを擬人化することによって、人間模様というか、人間ドラマというか、まさに演目通りに悲喜こもごもが噺に詰まっているのが素晴らしい。
「立川らく兵 落語の花道」に行きました。「山号寺号」「幇間腹」「富久」の三席。
「富久」。酒癖が悪く、酒宴を盛り上げているつもりが、空気が読めなくてしくじってしまった幇間の久蔵の悲哀。だが、何とか立ち直らせたいと長屋の衆も出入り止めにした旦那も、そのお店の番頭も皆思っていて、優しいというのが、この噺の素敵なところではないか。
久保町で火事が起き、浅草三軒町に住む久蔵は長屋の衆に「お前がしくじった旦那は久保町だろう。火事の詫びは叶うというよ。駆け付けた方が良いのでは」と叩き起こされ、久保町の旦那の店へ。「心配で駆け付けました!」と言うと、旦那は喜んで、「これまでのことは水に流す。出入りしなよ」と許す。その上、風向きが変わり、火事を免れたことが判ると、旦那は火事見舞いに来た人たちの帳面付けを久蔵に任せる。これによって、「久蔵の詫びが叶った」ことを出入りの商人たち皆に知らせようという気遣いが素晴らしい。
本家からの火事見舞いが酒で、しかも燗がついている。飲みたくて仕方ない久蔵は「冷めてしまうと、折角の心遣いが無になる」とか、「浅草から走って来て、喉が渇いている」とか言って、辛抱ができない。番頭はそんな久蔵を見て、「お前は何でしくじったのか忘れたのか」とは言うものの、受付を替わってやり、別の部屋で飲みなさいと気を利かせてあげる。旦那も酒を飲んで寝てしまった久蔵を見て、「いいよ。寝かせておいてあげなさい」。優しい。
逆に今度は浅草三軒町で火事が起き、久蔵の家が焼けてしまう。そんな久蔵を引き取って衣食住の面倒まで見てくれるのだから、旦那は本当に優しい人だ。でも、その優しさにいつまでも甘えてもいられない。久蔵は何とかしなくちゃと思っていた矢先、椙森神社で富の抽せんが行われ、なけなしの一分で買った「鶴の千五百番」の富札が千両富に当たった。これで何とかやり直せる!と興奮するのも当然だろう。
だが、肝心の富札は大神宮様のお宮に置いたまま、あの火事である。富札がなければ一銭もあげることはできないと言われ、ションボリしていたところに、バッタリ会った鳶頭の言うことにゃ。「お宮を返せ!」と鳶頭に食いつき、「もし、中になかったときには、お前の頭に塩をかけてかじってやる!」と必死になるのも理解できる。よかったね、久蔵。今度こそ、酒でしくじらないで、腕利きの幇間として生きておくれよ。


