新宿末廣亭十二月中席 神田伯山「赤垣源蔵 徳利の別れ」

新宿末廣亭十二月中席夜の部二日目に行きました。今席は神田伯山先生が主任を勤める興行。初日の「安兵衛婿入り」に続き、きょうは「赤垣源蔵 徳利の別れ」だった。

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伯山先生の「赤垣源蔵」。兄の塩山伊左衛門は四歳年上で、源蔵は妾腹の子、早くに養子に出されてしまい、父親は兄ばかり可愛がったという背景が興味深い。討ち入り前に最期の別れをしようと兄を訪ねたが、留守だと知らされ、「まさかの不在。どこまでも自分は間抜けな男だ」と思ってしまう、源蔵の劣等感が悲哀を誘う。

源蔵は居間に通されるが、兄の部屋の衣紋掛けに定紋の羽織が掛かっているのを見て、そこで徳利から湯呑に酒を注ぎ、羽織を兄に見立てて会話をする。きょうは奮発して、上等な灘の生一本というディテールも良い。

思い出はいつも雪の日ばかりだという。兄が十歳、源蔵が六歳のときに一緒に雪だるまを作った。兄は「いつでも敵に背中を見せてはならぬ」と言って、木刀でその雪だるまを叩いた。お前もやってみろと言われたが、手が震え、足を滑らせ、頭にこぶをこしらえてしまった。だが、兄は褒めてくれた。「実に勇敢だ。背中を見せなかった」と。兄はいつも源蔵の味方だった。

源蔵の陰口ばかりを言う父から、兄は庇ってくれた。「きっと立派な武士になる。立派な弟である」と言ってくれた。駄目な弟を庇ってくれる優しい兄だった。お会いしとうございました。私は兄の弟であることが誉れでありました。

独りで羽織の前でぶつぶつ言っている源蔵を見て、女中のたけが笑う。「その通りだ。気が狂ってしまった…酒が減った」と言う源蔵に、たけは「飲めば減るのは道理です」と返す。源蔵はこれを受け、「人の命も尽きるものだな」。この台詞がズシリと重く感じた。

源蔵は言伝を頼む。源蔵は西国のさる大名にお召抱えとなった。明年は国詰めゆえ、明後年に御礼を申しに伺う、お義姉上様のお身体をお大事にしてください。「また必ずここに来る」とたけには言ったが、心の中では「これが見納め」と思い、塩山宅を辞する。一滴の涙も零さず、雪を踏みしめて去った。

兄の伊左衛門が帰宅すると、たけは源蔵が訪ねて来たことを伝える。たけは「妙だった」と言う。いつも明るい源蔵の背中が見たことのないような背中だった。小さい、辛そうな、悲しそうな背中だった、と。

伊左衛門はたけから言伝を聞くと、「忠臣、二君に仕えずと言うが、これで良いのかもしれない。今の時代、忠義ばかりでは生きていけない」と思う。飲んだくれゆえに疎遠になってしまったが、十年ほど前のことはよく覚えている、と。たけが源蔵に酔い冷ましの水を運んだとき、誤って源蔵の肩に溢してしまった。源蔵は刀を確かめ、濡れていないことが判ると、ニッコリ笑って、「たけ、侍の魂であるぞ」と言ったという。兄として、源蔵は武士の了見を失うことはないと確信していることがよく伝わってくるエピソードだ。

その晩、伊左衛門は寝付けなかった。血肉を分けた弟が命を懸けて戦っていることを察知していたのかもしれない。そして、翌朝に「赤穂浪士が吉良邸討ち入り」の報せを聞き、源蔵は昨日別れを告げに来たのか…と思う。そして、老僕市爺に泉岳寺に行って、仇討の列に源蔵がいるか、確かめに行かせる。

果たして、泉岳寺に源蔵はいた。「源蔵さま!」「これはお前の一存か?それとも兄上の考えか?」「旦那様に仰せつかりました」「兄はやはり弟の味方であるな」。市爺に言伝を頼む。「源蔵は飲んだくれでしたが、昨夜は見苦しからぬ働きをしました」。そして、吉良を見つけたときに吹く呼子の笛、義姉様のための御薬、そしてたけと市爺で分けろと五両を渡す。そして、思い出したように、大事な言伝を頼む。「昨夜、お会いできずに残念じゃった」。

市爺が塩山宅に戻り、事の次第を伝えると、伊左衛門は大層に喜んだ。昨日源蔵が持参した徳利を持ってこさせ、湯呑に酒を注ぎ、一気に飲み干す。たった一言、「あっぱれである。褒めて遣わす」。市爺に呼子の笛を吹かせる。ピーッ。この音が仲の悪かった兄弟の縁を繋いだという…。素敵な「別れ」を描いた義士伝である。