こまつ座「泣き虫なまいき石川啄木」、そして それぞれの鰍沢 古今亭文菊「鰍沢」

こまつ座公演「泣き虫なまいき石川啄木」を観ました。作:井上ひさし、演出:鵜山仁。

芝居のタイトルに「泣き虫」「なまいき」とあるように、石川啄木は実に様々な不名誉な異名を持っていて、そのうちの一つに「何もしないで日記ばかりつけていた怠け者」というのがあるという。この芝居の初演は1986年6月だが、そのときのプログラムに井上ひさし氏は「前口上」の中で、この日記を大変高く評価している。そして、「次に来る者たちへ、時代を無事に引き渡すために」、今回の芝居を啄木の晩年の三年間に限定し、そこになにもかもをぶちこむような構造にしつらえたとしている。以下、抜粋。

とくに日記は克明に読みました。筆者は啄木の実生活の甘さは、彼の周囲に啄木の甘えを許す人びとがいたせいだと考えています。もちろん、これは啄木その人にそれだけの魅力があったからこそ周囲も存分に甘えさせてやったのだと思われますが、明治四十三年後半ごろから一年間のうちに、啄木の周囲から続々と彼を甘えさせていた援軍が引き揚げて行き、たったひとつ東京朝日新聞社だけが残るのみになってしまいます。

甘ったれて現実を直視することを怠っていた啄木の目が澄みはじめ、鋭くなって、「実生活の白兵戦」がはっきりと見えてきます。このあたりからの啄木は凄いのひとことに尽きます。ではどう凄いのか。二十一世紀も間近い、このお先真暗な時代に生きる私たちが今直面を強いられている諸問題に、彼は何十年も前に気づいていたのでした。(中略)

もっと端的に申しますと、「どんな時代の人間も、人間であるかぎり、必ずぶつかるにちがいない実人生の苦しみのかずかずを、すべてはっきりと云い当てて列挙して行ってくれた人」ということになるでしょうか。彼の歌碑を眺めてただうっとりしているだけでは、われわれもそれこそ実人生の怠け者になってしまいます。彼が云い当ててくれた生きることの苦しさをひとつよく検討し、そのうちのどれかひとつくらいには解答を出して、この時代を、次に来る者たちへ無事に引き渡す務めがあるような気がします。以上、抜粋。

「生活者」として次の時代へのメッセージを遺した啄木も凄いが、それを受け止めてさらに次の時代へのメッセージを遺そうと考えた井上ひさし氏の「生活者」としての感覚も凄い。この文章が書かれたのはおよそ40年前だ。当時も今も「生きることの苦しみ」はちっとも変わっていないのだ。もちろん、啄木が生きた明治と現代の令和では種類が違っているのだろうが、生きることに苦しさを覚えている人が少なくない。

二十六歳でこの世を去った啄木の悲哀に満ちた晩年の三年間を井上ひさし流にユーモアを交えて描いた舞台を観ながら、令和の時代に生きる苦しみを思った。

上野鈴本演芸場十二月中席夜の部初日に行きました。今席は「冬の鈴本 それぞれの鰍沢」と題して、毎日日替わりで10人の演者が「鰍沢」を演じるという企画興行だ。きょうの主任は古今亭文菊師匠だった。

江戸曲独楽 三増紋之助/「近日息子」三遊亭歌奴/「鮑のし」林家はな平/「狸賽」入船亭扇遊/漫才 風藤松原/「安兵衛内匠頭対面」宝井琴調/中入り/アコーディオン漫謡 遠峰あこ/「山奥寿司」三遊亭白鳥/紙切り 林家楽一/「鰍沢」古今亭文菊

文菊師匠の「鰍沢」。江戸の絵草紙屋の大川屋新助が身延山の帰りの道中で吹雪に遭い、南妙法蓮華経を唱えながら山道を行く途中で人家を見つけ、中の女性に助けてもらった安堵感。地獄に仏とはこのこと、これもお祖師様のお陰と、囲炉裏の火に当たり、冷たく冷えた体を温め、「火は何よりのご馳走」と言う気持ちが伝わってくる。

助けてくれた女性、お熊は色気のあるいい女だが、新助が「間違っていたらごめんなさい。熊造丸屋の月之兎花魁では?」と口にしたときに、緊張が走るが、二之酉の晩に吉原に行って、友人がえらくご機嫌に歌を歌った出来事を話すと、それを思い出したお熊が穏やかな表情に変わるところの表現も良い。

必ず裏を返そうと思っていたら、月之兎は心中したという噂を聞いて、吉原へは足が遠のいたと言う新助は「人の噂はあてにならない」。すると、お熊が「心中はしたんですよ。そのときの傷がこれ」と首筋のあたりを差して、その顛末がこの山奥での暮らしになったと真相を打ち明ける。男が生薬屋のしくじりだから、今は熊の胆を獲って膏薬売りをしていると新助の距離感が縮まって、緊張感が和らいでいく様子がよく出ている。

これを受けて、新助が「好いた者同士がこうして山奥でひっそりと暮らしている。羨ましい。芝居の二番狂言に黙阿弥が書きそうだ」と冗談を飛ばし、胴巻きから幾ばくかの謝礼を渡すが、ここでお熊は新助の胴巻きに「五十両ばかりありそうだ」と一転して悪い考えを起こす怖い一面を出すところが、この噺の持つサスペンスの魅力だろう。

お熊は玉子酒をご馳走すると言って、実はその中に亭主の伝三郎が拵えた痺れ薬を盛る。新助は下戸ゆえに、一杯しか飲まず、「体が温まった。急に眠くなった」と言って、煎餅布団に柏餅になって「本来はご亭主を待たなくてはいけないが、先に失礼します」と休む。

お熊が無くなった酒を買いに出かけた留守に、伝三郎が帰宅。飲み残しの玉子酒を見つけて、「亭主が寒い思いをしているのに、女房は独りで玉子酒か」と愚痴をこぼしながら残らず飲み干してしまうが…。お熊が戻ってくると、伝三郎の体が動かなくなる。「旅人を泊まらせたが、その胴巻きの金を奪おうと痺れ薬を玉子酒に入れて飲ませたんだ。お前が濃いところを飲んでしまった。因果じゃないか」。

この様子を聞いた新助は命が危ないと知り、小室山の毒消しを雪とともに口に放り込み、道中差しと振り分けの荷物を持って家の外に出て、倒つ転びつ逃げて行く。お熊は「亭主の仇、逃がしてなるものか」と鉄砲を持って追いかける…。「おーい!旅人!」。新助の前は崖、後ろは鉄砲を構えたお熊。雪に滑って、下に落ちるが、山筏の藤蔓が切れて、丸太一本にしがみつきながら鰍沢の急流に流される…。お熊の放った鉄砲の弾は新助の顔をかすめる。危機一髪の難を逃れた新助と亭主の仇を取り逃がしたお熊の対照が鮮やかに決まった一席となった。