津の守講談会 一龍斎貞橘「前原伊助」一龍斎貞寿「宇都宮重兵衛」一龍斎貞花「勝田新左衛門」

津の守講談会十二月定席三日目に行きました。赤穂義士伝特集の最終日だ。

「わんぱく竹千代」神田山兎/「真田幸村大坂城入城」神田蓮陽/「木村又蔵 鎧の着逃げ」一龍斎貞介/「勘当の名笛」一龍斎貞司/「前原伊助」一龍斎貞橘/中入り/「宇都宮重兵衛」一龍斎貞寿/「勝田新左衛門」一龍斎貞花

貞橘先生の「前原伊助」。江州前原村の漁師の息子だった伊助は槍で鮒を突くのが上手く、この槍術で武士になろうとした。江戸に出て、口入屋の川口屋忠兵衛に紹介され、赤穂藩の水汲みに採用される。

あるとき、150石取りの高木良助が青山本殿の松平左京守へ使者として赴くよう命じられ、その槍持ちとして伊助がお伴することになった。だが、高木良助は父の幸左衛門の威光で150石取りになっているだけで、馬の乗り方も覚束ない。ふらふらと実にみっともなく、なかなか前に進まないので、伊助は嫌気が差して酒屋に飛び込んでしまった。

高木は青山六道の辻のところで、雨でぬかるんでいた道を進んだために、通行していた一刀流剣術指南の熊崎軍平に泥水が撥ねてかかってしまった。「無礼者!」と言って、熊崎は高木に斬り掛かった。高木良助はあえなく絶命。伴の者に訊くと「浅野の家来です」との答え。熊崎は「それ相応の者を連れて参れ」と旗本寄合所で待つという。

伴の者は酒屋にいた伊助を呼びに行き、事の次第を話す。伊助は「酒は飲んでも心は素面だ。あっしが仇を討ってやる」と駆け付ける。「熊崎はどこだ!」と言う伊助に、熊崎の家来が「下郎!先生に成り代わり、相手してやる」。伊助は手拭いを裂いて、血止めの鉢巻と襷にして、持っていた槍を鞘から抜く。だが、これが手入れが行き届いていないのか、錆びている。しかし、鮮やかな槍術で相手も胸元をグサリと刺した。それではと、熊崎軍平自らが立ち向かうが、これまた伊助の槍術で胸元を貫いた。

そして、伊助は絶命して倒れている高木良助の手に小刀を持たせ、熊崎の喉元に止めを刺す。これによって、高木の面目は保ったことになる。「仇を取った」と言う伊助に、現場に急遽駆け付けた大高源吾と武林唯七が見届け、「武士の誉れ」と讃えた。この伊助の活躍を聞いた浅野内匠頭は「下郎に似合わず、あっぱれだ」と言って、伊助を士分に取り立てたという…。気持ち良い高座だった。

貞寿先生の「宇都宮重兵衛」。殿中刃傷以来、大石内蔵助は軍用金で田地田畑を買い、それを高利で貸付け、酒狂い、女狂い。大石は犬侍だ、畜生侍だという噂が立って評判が良くない。

そんな中で、松平薩摩守の家臣、宇都宮重兵衛は「大石狂い」と陰口を叩かれるほど、大石を褒め称える稀有な人物であった。大石が酔って大道に高イビキをかいて寝ている姿を見ても、「心に誠がある」と信じ、「武士の鑑」と評した。その噂は当然、大石の耳にも入り、「褒めてくださるのは有難いが、寧ろ悪口雑言をしてくれた方が都合が良いのに」と思う。

ある日、馬子が酔い潰れた大道の大石に対し、道を譲れと言っても聞かないために、突き飛ばして、大石は田圃の中に足を突っ込んでしまい、泥だらけになった。そこを駕籠に乗って宇都宮重兵衛が通行、「大石殿に対面できて幸せ」と喜んだ。だが、重兵衛がいくら「内蔵助殿!」と呼んで、揺り動かしても、大石は目を覚まさない。

大石の心底を検めようと、重兵衛は放り出された刀を見る。武士の魂。だが、錆びていた。「しかし、心は錆びていないはず」と、今度は脇差を検める。脇差こそ、その身を表す。見事な脇差に違いないと思ったが、さにあらず。真っ赤に錆びた赤鰯。重兵衛は「内蔵助殿、起きよ!」と蹴飛ばすが、目を覚まさない。「わしと勝負せよ!」とけしかけるが、それでも起きない。必ずや仇を討つと思っていたが、わしの見る目は間違っていたのか…。悔しい。武士の鑑と言ったことが情けない。「二度と姿を現すな!」と言って、重兵衛は痰唾を吐いて去って行った。

大石は辺りを窺うようにして、むっくりと起き上がる。誰もいないことを確認して、重兵衛の駕籠を見送る。「かたじけない。偽ったのも、大願成就のため。お許しください」。

宇都宮重兵衛は自分が間違っていたと思い、諸国修行の旅に出た。そして、元禄十六年、江戸へ戻る。町人たちがたむろしている。聞けば、泉岳寺の墓参りに帰りだという。これによって、重兵衛は初めて赤穂浪士の討ち入りを知る。そうか、大石殿がやり遂げたのか!俺は馬鹿な男だ。直接「仇討はしますか」などと訊いて、正直に答えるわけがない。利口な者が馬鹿のふりをしたお陰で本懐を遂げることができたのだ。重兵衛は大石の墓に手を合わせ、大粒の涙を零したという…。珍しい赤穂義士外伝を聴くことができた。

貞花先生の「勝田新左衛門」。大竹重兵衛と堀部弥兵衛は親友で、ともに息子に恵まれず、どちらが先に良き婿を迎えるかを競った。すると、弥兵衛は中山安兵衛という優秀な男の婿取りに成功し、鼻高々だった。

あるとき、浅野の殿様の行列の道に二人の酔漢が通行の妨げをしている現場を重兵衛は目撃する。すると、浅野の家臣の一人が酔漢の前で両手をついて退けてくれと頼んだ。重兵衛は苦々しくこれを見た。酔漢が「勝負におよべ。立ち合え」と言うので、その家臣は仕方なく立ち合い、二人の酔漢を堀の中へ放り投げた。そして、何事もなかったかのように、ニッコリと笑って行列に戻った。これを見ていた重兵衛は「是非、この家臣を娘の婿にしたい!」と思った。

その家臣が勝田新左衛門。新左衛門は勝田家を継ぐ者が他にいないため、重兵衛は娘やえを嫁がせた。生まれた孫を大竹家の養子に迎えれば良いと考えた。間もなく孫が誕生し、新之助と名付けた。

元禄十四年三月、殿中刃傷。新左衛門は妻やえと息子新之助を重兵衛に預けた。重兵衛は必ず仇討をしてくれる、その一番槍は新左衛門だと信じて疑わなかった。しかし、新左衛門からは何の便りもない。

元禄十五年極月十三日。重兵衛は両国橋で天秤棒を担いで大根売りをしている新左衛門を見つける。「新左衛門!大根売り…なんだ、その様は!」と問い詰めると、新左衛門は浪士に配当金はあったが使い果たし、今はこのような商いをしていると頭を下げた。重兵衛は「明朝早くに、家に来なさい」と言って別れた。

翌十四日。雪降る中、新左衛門が大竹重兵衛宅を訪ねてくる。昨日とは打って変わって、黒紋付の立派な身なりだ。仙台公に200石で召し抱えられたという。重兵衛は「それで武士の道が立つのか?大根売りとして、吉良邸の様子を窺う方がどんなに嬉しいか」。新左衛門は「これも全て殿の短慮ゆえに起こったこと」と言って、妻やえに「父上の怒り、宥めておくれ」と頼み、思わずホロリと一滴の涙を流す。

やえが「なぜに泣くか」と訊くと、「煙草の煙で涙が出た」。そして、紙入れを渡し、ここに書付が入っているが、「人には見せてくれるなよ。新之助を頼む」と言って、大竹の表札を「これもこの世の見納めか」と思いつつ去る。

重兵衛は胸騒ぎがして眠れなかった。朝湯に出掛けると、読売が「赤穂浪士、仇討本懐」を伝える瓦版を五文で売っている。そこには、仇討に加わった忠臣義士の名前が…。読み上げる重兵衛。「勝田新左衛門!いた、いた!…婿殿、よくぞこの列に加わってくれた。不忠と罵ったことが恥ずかしい。許してくれ」。このことを新之助の手を引いた娘やえに伝え、「お前は果報者だ」。

やえは昨日渡された紙入れを取り出すと、二本の手紙。一本は重兵衛宛て、もう一本はやえ宛て。そこには「離縁してくれ」と書かれ、離縁状と金子五十両が添えてあった。やえは鏡台に向かい、「尼になって、菩提を弔う」。重兵衛も「それでこそ、武士の妻、わしの娘だ」。

重兵衛は泉岳寺に行き、新左衛門との対面を許される。やえの黒髪と離縁状を持って、「詫びに参った。受け取ってくれ」。新左衛門は「やえは髪を切りましたか。必ずや、未来に対面し、礼を述べます」と言って、形見の品として呼子の笛を渡した…。仇討本懐の陰には義士の家族の様々な想いがあることを改めて思う。