新宿末廣亭十一月下席 神田松鯉「鍔屋宗伴」

新宿末廣亭十一月下席八日目夜の部に行きました。今席は神田松鯉先生が主任を勤める赤穂義士伝特集興行。①殿中松の廊下②梶川与惣兵衛③大石東下り④神崎詫証文⑤天野屋利兵衛⑥大高源吾⑦赤垣源蔵⑧鍔屋宗伴⑨義士勢揃い⑩荒川十太夫。きょうは「鍔屋宗伴」だった。
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松鯉先生の「鍔屋宗伴」は浅野家で50石取りだった服部右内が浪人し、江戸上野池之端で骨董商として鍔屋宗伴を名乗り、成功しているところからはじまる。風流に生きたいと自ら望んで武士をやめ、目利きが得意なことを生かした道を歩み、「本当に良かった」と思っていた。
だが、元禄十四年三月十四日に浅野内匠頭が刃傷、即日切腹となったと聞いて、「私は殿様を裏切る形で浪人になった。あの立派な殿様がこんなことになるとは、よくせきのことがあったに違いない。申し訳ないことをした…」と宗伴は思い、気持ちが晴れない日々が続いた。
本所緑町の仕事が終わり、帰り道に小春屋という蕎麦屋に立ち寄る。すると、この店で働いているのが、吉田忠左衛門、杉野重平次、勝田新左衛門、前原伊助…。居たたまれなくなって、店を出た。気を落ち着かせようと思ったが、道で棒手振りの八百屋を堀部安兵衛がやっている姿を見かける。さらに、揉み療治を村松喜兵衛がやっている。赤穂浪士は食うためにこんなことをやっているのか。
よく考える。そうか、吉良邸は本所松坂町にある。その近所で情勢を探り、仇討ちの準備をしているのか。それならば、仇討ちの仲間に入れてもらいたい。翌日、改めて小春屋を訪ね、吉田忠左衛門に話をしたいと願い出る。別室に通された宗伴に忠左衛門は「十数年ぶりですな。服部氏。今では同じ町人になりました。仲間ですな」と言う。
宗伴が「仇討ちを考えているなら、是非仲間に加わりたい。勝手に藩を離れ、勝手な言い草かもしれないが、慚愧の念に駆られている」と思いを述べる。しかし、忠左衛門は「仇討ちなど毛頭ない。討ち入りなどさらさら考えていない。あれは殿の短慮ゆえに起きたこと。残された私たちは身過ぎ世過ぎに大変な思いをしている」と否定し、「これからは同じ町人としてお付き合いください」と言うばかりで、仇討本懐を遂げる気持ちなどお首にも出さない。
しかし、宗伴は何かあると感じた。そして、吉良邸に出入りして見取り図を作成しようと思いつく。吉良に出入りしているのは骨董商、神田三河町の橘屋藤兵衛。出入り先を譲ってもらおうと考え、自分が出入りしている雲州松江侯松平出羽守との交換を申し出る。松江侯が18万6千石に対し、吉良はたったの4千石。松江侯が金払いが良いのに対し、吉良は吝で値切ることも多いという。橘屋は夢のような話に信じられないようだったが、宗伴は「松江侯は茶人や俳人の付き合いが少ないのに対し、吉良様は付き合いが多い。そういう文人と交流したいのだ」と説明し、吉良邸への出入りが許された。
宗伴が吉良の家老、左右田孫兵衛のところに「吉良邸出入りが許された」旨の挨拶に行ったところの描写が面白い。孫兵衛は手土産に三両、もしくは五両、もしかすると十両貰えると期待していた。だが、宗伴が差し出したは粗末な菓子折り。がっかりしているところに、孫兵衛の家内が酒と馳走を運んでくると、宗伴は「ご家内への手土産を忘れておりました」と言って、裸で十両を渡す。実は菓子折りの中には二十五両が入っていて、剥き出しだと失礼かと思い、箱に詰めていたのだった。これを知った孫兵衛は大喜び。吉良上野之介同様、家老も金に貪欲だったという…面白い。
さらに宗伴は吉良には直々に五十両と掛け軸を一幅差し上げ、大層なお気に入りの出入り骨董商として可愛がられ、何度も出入りすることで屋敷の間取りを全て把握し、絵図面に書き起こすことができた。これが吉田忠左衛門を通じて、大石内蔵助の手に渡り、吉良邸討ち入りの大いに役立ったという…。珍しい赤穂義士外伝を大いに楽しむことができた。


