貞弥あれやこれや 一龍斎貞弥「刃傷から南部坂~討ち入り」、そして講談協会定席 一龍斎貞鏡「千馬の槍」

「貞弥あれやこれや」に行きました。日本三大話芸の世界と銘打った一龍斎貞弥先生プロデュースの会である。
「寛永宮本武蔵伝 狼退治」神田蓮陽/「源平盛衰記 青葉の笛」神田おりびあ/「木村又蔵 鎧の着逃げ」一龍斎貞介/挨拶 一龍斎貞弥/「雷電為右衛門 小田原の情け相撲」東家一太郎・東家美/「祐天吉松 飛鳥山親子出会い」一龍斎貞花/中入り/「火焔太鼓」三遊亭圓馬/「赤穂義士本伝 刃傷から南部坂~討ち入り」一龍斎貞弥
貞弥先生の赤穂義士本伝。松の廊下での刃傷は、吉良上野之介が勅使饗応役四人のうち浅野内匠頭を除く三人には老中連名の心得書付を見せたのに、内匠頭には「御無用でござろう。田舎侍には拝見まかりならぬ」と意地悪をして見せなかったことを端緒としている。逆上した内匠頭は小刀で吉良を斬り付けるも、梶川与惣兵衛が後ろから抱き留め、「殿中でござる」と諫めた。内匠頭は乱心したと吉良は言っている。城内で刀を抜くことは御法度、その身は切腹、御家は断絶となるのは必定だが、吉良には一切お咎めなしというのが浅野側には不服な採決である。
田村右京太夫邸の庭先での切腹。桜の花が散る様子を武士(もののふ)の手本に喩え、辞世の句を遺す内匠頭が印象的である。風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん。片岡源五右衛門に遺言を託し、「余が短慮ゆえ、このようなことになったのは誠に不憫である。内蔵助に伝えてくれ。ただ上野之介を討ち洩らしたのが残念じゃ」。このとき、内匠頭は三十五歳。無念の死である。
仇討決行の元禄十五年極月十四日。大石内蔵助は息子主税を伴い、瑤泉院のいる南部坂の屋敷を訪ねる。「きょう来たのは仔細あってのことであろう。討ち入りの日取りはいつに決まったのじゃ?」と逸る気持ちを抑えきれない瑤泉院に対し、内蔵助は冷静沈着である。瑤泉院の周りを取り囲む者の中に吉良の間者がいないとも限らない。情報が洩れたら、これまでの苦労が水の泡になる。
「仇討など思いもよらず。同志は散り散りばらばらになりました。もはや主君に仕える気もなく、ただ気ままに暮らそうと思っている」。内蔵助の言葉に瑤泉院は「真、仇討ちの所存なしと申されるか…殿は最期に『残念だ』と言伝をしたのだろう。この位牌に対し、申し訳ないとは思わぬのか」と詰問する。だが、内蔵助は「今回のことは殿の短慮ゆえに起こったこと。下々は迷惑しています。殿は身から出た錆び」と心にないことを言う。瑤泉院は「それで武士の道が立つのか?不忠者め!」と怒り、気を失ってしまい、次の間に運ばれる。
帰ろうとする大石父子に戸田局が廊下で「真のことを打ち明けておくれ」と言うが、内蔵助は「重ねて申し上げる。武士は偽りは言わぬ」。戸田局の兄弟である小野寺十内は幇間に、小野寺幸右衛門は車力になったと虚偽を告げる。そこまで秘密裡に計画を進める内蔵助のすごさを思う。
果たして、瑤泉院の新入りの女中、紅梅は吉良の間者であった。内蔵助の冷静さが功を奏した形だ。そして、内蔵助が戸田局に「和歌名所の書置」として渡した袱紗包みの中の巻物は仇討同士四十七士の連判状だった。瑤泉院はこれを知り、「ご分別の深い御城代の胸中いかばかりか」と自分を恥じ、この連判状に連ねた名前をゆっくりと思いをこめて読み上げる。ここは貞弥先生の演出の素晴らしさである。「不忠者と罵り、口が曲がる。許してくれますよう、内蔵助」。
大石内蔵助以下四十七士は見事に吉良邸に討ち入り、仇討本懐を遂げる。泉岳寺に向かう中、足軽の寺坂吉右衛門は使者として南部坂を訪れ、瑤泉院に「昨夜の討ち入り顛末」の仔細を物語る。ここの部分が貞弥先生の真骨頂とでも言うべき、最大の聴きどころで、実に丁寧に、そして流暢に討ち入りの様子が目の前に見えるようであった。実に素晴らしい高座であった。
上野広小路亭の講談協会定席に行きました。
「茨木童子」宝井小琴/「大岡政談 人情匙加減」神田山緑/「転校生」神田織音/中入り/「国定忠治 山形屋乗り込み」一龍斎貞橘/「赤穂義士銘々伝 千馬の槍」一龍斎貞鏡
貞鏡先生の「千馬の槍」。完全なフィクションであるが、赤穂義士である千馬三郎兵衛の物語として、とても魅力的に仕上がっている。貞鏡先生の父、八代目貞山先生が好んで掛けたそうだ。武州平間村の武士である千葉友右衛門の息子、友之丞は槍を得意とした。二十五歳のとき、父に伊勢参りを申し出て、幼馴染の林蔵を伴い出立することにするが。この話を聞き付けた友之丞に幼子時代から抱き守として仕えた親父同然の爺や、市助七十歳が一緒に行きたいと願い出る。父親が先祖伝来に槍を持って旅をしろと言っていたので、市助を槍持ちとして伴うことにして、三人旅となった。
市助は老体ゆえ、友之丞と林蔵の若者に遅れを取る。いつも二人が宿に先に着いて、市助が後から追い掛ける旅である。尾張岡崎宿でも友之丞が「桔梗屋に行くから後から追いかけろ」と言って先に行った。ところが、このとき市助は宿の名前を失念してしまう。だが、友之丞の泊まる宿には必ず「月星の紋」の幕が張ってあるので、それを目印にして宿を目指した。
宿に到着した市助は大切な槍を番頭に預け、「先に到着しているお連れ様」の部屋を案内されて、唐紙を開けると果たして武士が五、六人で酒を飲んでいた。岡田軍右衛門と家来たちだった。どうやら同じ「月星の紋」のため間違え、友之丞らはこの先の桔梗屋さんでしょうと宿の者に言われる。市助は無礼を詫び、番頭に槍を返してほしいと言うと、岡田様が拝見したいと言うので渡したという。市助は返してほしいと頼むが、酔った軍右衛門は「お前は無礼を働いた。返してほしかったら、主人直々に参れ」。
仕方なく市助は去り、桔梗屋に向かい、友之丞に事情を説明した。友之丞は理解し、丸腰で岡田軍右衛門の部屋を訪ね、武州平間村の武士と名乗り、「平にご容赦ください」と頭を下げた。だが、軍右衛門は「田舎侍め。槍は戻さぬ。考えが変わった。ここにあの爺さんの首を持ってくれば返してやる」と無理難題を突きつけた。酔った勢いだったのだろう。
友之丞は親同様の恩人である市助を殺すわけにはいかないと思う。だが、他に良き考えが浮かばない。先祖伝来の大切な槍は取り戻さなければいけない。軍右衛門の要求を知った市助は「すぐに私の首を斬ってくださいまし」と願い出る。「言い残すことはないか」「何もありません。えらく世話になり、恩返しをせずに死ぬのは申し訳ない…ここに300あります。これでおもちゃを買って、孫の土産にしてください。土産を買うと約束したのです。じいさまはどうした?と訊かれたら、まだ帰らないと答えてください。死んだとは言わないでほしい。そのうち忘れると思います…もう一遍だけ頬っぺをくっ付けて可愛がりたかった…孫の顔がちらつくので、早く斬ってください」。
友之丞は市助の首を落とし、それを持って岡田軍右衛門に許に行く。「持参いたした。お確かめあれ」。軍右衛門は首を確かめ、槍を友之丞に返す。「よく確かめろ」に、「相違はないけれども、人の道に劣るおこない。槍の切れ味を確かめたい」と友之丞は言って、軍右衛門の胸を一突き。「親父の仇…岡田軍右衛門を討ち取ったり!尋常に勝負なさん!」。だが、軍右衛門の家来たちは皆、尻込みするばかりだ。
友之丞は武士を一人殺してしまった。自分も切腹しようと、左手に市助に首を持ち、槍を抱えているところ、そこは浅野内匠頭が泊っている宿の前だった。事情を訊いた原惣右衛門が内匠頭に報告する。「不憫じゃ」。このことを浅野家から尾州徳川家に問い合わせるが、そのような卑怯なことをする者など家中にいない、岡田軍右衛門などいない、人違いだろうとの返答。
友之丞はお咎めなしとなった。この浅野様の恩を父に報告し、浅野家に仕えて生涯を全うしたいと願い出て、それが叶う。千葉友之丞は千馬三郎兵衛と名を改め、赤穂藩士となり、討ち入りの忠君義士に名を連ねたという…。ドラマチックな赤穂義士銘々伝であった。


