劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵~桜吹雪 THUNDERSTRUCK」、そして まんきつの森へ 三遊亭萬橘「景清」

劇団☆新感線四十五周年興行・秋冬公演チャンピオンまつり いのうえ歌舞伎「爆烈忠臣蔵~桜吹雪 THUNDERSTRUCK」を観ました。
赤穂事件。江戸幕府の理不尽な裁定により、御家取り潰しとなり、すぐさま浪人生活という悲惨な境遇に陥りながらも、艱難辛苦に耐えて、赤穂義士たちは見事に仇討本懐を果たす。当時の幕府の締め付け政策に閉塞感で爆発寸前だった庶民たちは、大いに溜飲を下げて熱狂し、拍手喝采を送った。この事件を基に創作された「仮名手本忠臣蔵」は、体制に対して一矢を報いたドラマとして、ぞの後ずっと日本人に愛されてきた。
今回の「爆烈忠臣蔵」はそのパロディでありながら、江戸幕府の圧政下になんとかして、御禁制となった芝居、しかも反体制をテーマにした「忠臣蔵」をやろうとする江戸の芝居者たちの奮闘をしっかりと描いた熱い物語だ。表現の自由を抑圧する天保の改革の時代に、女性が歌舞伎役者になるのを禁ずるという御法度を打ち破ってでも歌舞伎の舞台に立ちたいという女性を中心に、自分たちがやりたい芝居をやるために猛進する姿が清々しい。
演出のいのうえひでのり氏はプログラムの「ごあいさつ」で、今回の芝居にこめたメッセージについて、こう書いている。
芝居ができなかった、あの時期、“不要不急”という言葉で切り捨てられたやりきれなさ、虚しさ、くやしさに、「Screaming for Vengeance」だ!!大いに笑って蹴飛ばしてやれ!歌って!踊って!燃え上がれ!そんなお祭り公演にしたい。以上、抜粋。
復讐の叫び。つまり、忠臣蔵で描かれた反体制と今回の芝居はリンクする。なるほど!と思った。体制に対する反骨精神があればこその、表現の自由であり、言論の自由なのだ。観劇後は小難しいことなど言わずに、ただ「面白かったあ」で良いと思う。だけど、こういう面白い芝居を観ることができるのも、製作者たちの熱い思いがあればこそ。感謝の気持ちを抱きながら、家路についた。
「まんきつの森へ~三遊亭萬橘独演会」に行きました。「五貫裁き」と「景清」の二席。
「景清」。木彫り職人として右に出る者がいなかった定次郎が失明してしまったことの嘆き悲しみをしっかりと描いているのが良い。眼科医の石田先生に「酒を飲みすぎ、女遊びに現を抜かした天罰だ」と見放されてしまった。友人に赤坂の円通寺が御利益があると言われて願掛けに通ったが、隣でお題目を唱えている女性と仲良くなり、料理屋でお酌をしてもらった…それっきり通うのをやめてしまった。小川の旦那に「真面目に信心しないと駄目だ」と諭されると、「御利益なんて元々ないものだ」と吐いて捨てるように言う定次郎。
小川の旦那が「そのままでいいのか。お前は木彫りの名人だったが、後世に名を残すものをまだ彫っていない。私が頼んだ根付だって、まだ出来てこない。そんな半端でいいのか」と詰め寄ると、定次郎は「木彫りなんて子供の遊びのようなもの。誰だって出来る。そのうち誰かが穴埋めしてくれる」と平気なことを言う。旦那が定次郎の腕が傷だらけなのを見て、「自分に嘘をついてはいけない。おっかさんをないがしろにしていいのか」。
これを聞いた定次郎の心情の吐露が胸に迫る。仲間の皆と同じように、酒を飲み、女遊びをし、博奕を打った。なんで、俺だけがこんな目に遭わないといけないのか。本気で信心して、もしそれが駄目だったら、打つ手がない。それが怖い。だから、本気で信心できないのだ。
小川の旦那は「神様に何かしてもらおうと考えるからいけない。自分で治ろうと思い続けること。それが信心だ」。定次郎はこれを聞いて、上野の清水の観音様に本気で信心することにした。旦那は「百日で駄目なら、二百日。二百日で駄目なら、三百日。命があらん限り、通いなさい」。人が変わったかのように真剣に願掛けに通った。
百日目。目が明かない。定次郎は観音様に悪態をつく。「簡単に引き受けるな!三日目くらいで夢枕に立って『明かない』と言ってくれたら良かった。賽銭泥棒!詐欺師!」。「この賽銭はただの賽銭じゃないんだ。おふくろが水仕事や縫物をして稼いだ銭だ。毎日、おふくろは水仕事でボロボロになった手で賽銭を俺に渡してくれる。そして、石段の下まで見送ってくれているのを俺は知っている」。
冗談じゃない。きょう、家を出るときにおふくろは言った。「お前の来ている着物は縞物だよ。今は見えないだろうが、帰ってくるときには縞の一本一本が見えるようになって戻ってきておくれ」。この着物はおふくろが夜なべをして縫ったものだ。そして赤飯と尾頭付きを用意して待っているんだ。おふくろも俺ももう死ぬしかない。お前は二人を殺した罪で、どう低く見積もっても終身懲役だ。
「やい!覚えていろ!」と観音様を後にする定次郎。萬橘師匠の演出では、この百日目の願掛けに小川の旦那は登場しない。だから、「百日が駄目なら二百日と言ったろう」と諫めたりすることはない。雲が出て、雷が鳴り、雨が降り、定次郎が気絶。ようやく気が付いたときには、雨はやんでいて、お月様が綺麗に出ているのが、定次郎にハッキリと見えた。「ハッ!見える!ありがとうございます!」。
そこに小川の旦那が現れる。他の演者の場合は雷が怖くて定次郎を残して逃げてしまったという描き方だが、萬橘演出ではここで初めての登場だ。「旦那のお陰で目が明いた、でも旦那逃げたでしょ?」と言うが、「私はお前のおっかさんがお前の帰りが遅いから見てきてくれと言われ、初めてここに迎えに来た…ご利益があったんだね」と喜ぶ。
「じゃあ、観音様から引き揚げるときに手を引いてくれたのは誰だろう?」という定次郎の台詞。それはまるで観音様のお導きがあったかのよう…と思わせる。そんな素敵な萬橘師匠の独自の演出が光る高座だった。

