9歳より喋り続けて45年記念落語会 柳家花緑「中村仲蔵」

「柳家花緑スペシャル独演会~9歳より喋り続けて45年記念落語会」に行きました。

「つる」柳家花緑/「おしくら」立川談春/「穴泥」柳亭市馬/中入り/座談会 花緑・市馬・談春/「中村仲蔵」柳家花緑

花緑師匠は中学を卒業して、祖父の五代目柳家小さんに入門した。だから、芸歴では45年ではない。だが、小学校3年生のときに初めて叔父にあたる三語楼師匠(現六代目小さん)に落語「穴子でからぬけ」を習って、客前で演じた。それから数えて45年というわけだ。その後、「桃太郎」も習い、祖父の小さん師匠からは「芋俵」を初めて習ったという。

驚いたのは、「初高座」の録音が残っていることだ。座談会と「中村仲蔵」の間の舞台転換の間にその録音7分がフルで流れた。日本橋の蕎麦屋「藪伊豆総本店」での柳家一門会で、小さん師匠、三語楼師匠、紙切りの二代目正楽師匠、そして小三治師匠が並ぶ中での出演だったそうで、オーディオマニアだった小三治師匠が録音してくれていたのだった。9歳の達者な「からぬけ」が聴けただけでも、きょうの会に来た甲斐があった。

花緑師匠の「中村仲蔵」は三遊亭竜楽師匠から習ったものだそうだ。彦六→五代目円楽→竜楽→花緑の流れ。仲蔵の女房おきしに重点を置いた演出は花緑師匠独自のものだ。

仲蔵は中村伝九郎という小芝居の役者の弟子で、名題になれる血筋ではなかった。だが、花道で「申し上げます」の台詞を忘れたが、早速の機転で本舞台に上がり、四代目團十郎に「親方、台詞忘れました」と言って、「面白い男」だと気に入られた。

だが、機転だけでは役者はやれない。貧乏で楊枝削りの内職ばかりしている仲蔵を「俺のところに居候しろ。芸のことだけ考えて、みっちり稽古しろ」と暮らしの保証をしてくれた。これを有難く思い、後に五代目團十郎になる息子と切磋琢磨して芸を磨き、名題昇進を果たすことができた。

名題になって初めての狂言。就いた役が忠臣蔵五段目、斧定九郎一役。これには仲蔵も気落ちする。客席が関心を持たない弁当幕、それも山賊姿の冴えない役である。所詮、俺は血の無い役者か…と思う。

だが、女房のおきしの一言で目覚める。

これは團十郎の親方がわざとやっていることではないか。周囲の反対を押し切って、名題に昇進させた。これで良い役でもつけようなら、役者衆はやっかむ。仲蔵は自分の役に工夫を入れるのが得意だ。こいつに定九郎をやらせたら、何か面白い新しい定九郎を拵えるのではないか。工夫をしてみろ。それでこその名題昇進なんじゃないのか。

果たして、仲蔵は妙見様に願掛けに行った帰りに、蕎麦屋で出会った三村新次郎という旗本にヒントを得て、見事な定九郎を拵え、観客を唸らせて評判をとることになる。仲蔵が五段目という弁当幕に花を咲かせた、五万石の家老の倅が山賊の格好をしていたのがおかしいのだ、あの白塗りの定九郎こそ本当の定九郎だと噂が噂を呼んで、江戸中から観客が押し寄せる。当たり狂言にしたのだ。

師匠の伝九郎がお前はいずれ檜舞台の座頭になる男だ、そんな弟子を持てたことが誇らしいと喜んだ。そして、何よりも内助の功のおきしが亭主の成功に涙を流して喜んだことは言うまでもない。素敵な花緑版「中村仲蔵」だ。