歌舞伎「火の鳥」、そして人形町噺し問屋 三遊亭兼好「宮戸川」

八月納涼歌舞伎第二部に行きました。「日本振袖始」と「火の鳥」の二演目。
「火の鳥」。火の鳥が人間に授ける永遠の生命とは?というのが、この物語のテーマだろう。多くの国を侵略、血で血を洗う戦の末に領土を広げてきた大王は病の床に就いても、国土を拡大し、永遠の命を手に入れたいと欲する。そのために、兄の王子であるヤマヒコに火の鳥の捕縛を命じる。すると、兄に対する嫉妬心を抱く弟の王子のウミヒコも火の鳥捕縛の役目を願い出る。そして、二人の兄弟は火の鳥を求めて旅に出る…。
第四場の「元の宮中」の火の鳥のメッセージが、現在の紛争の絶えない世界情勢に当てはまっていて、考えさせられる。火の鳥捕縛に失敗した兄弟と父である大王の前に現れた火の鳥は、兄を退けて権力を手に入れようとしたウミヒコや永遠の力を授けてほしいと願う大王のエゴイズムを非難すると同時に、永遠の力というものは火の鳥自身が与えるものではないと告げ、人間に真のことを伝えるためにやって来たと言う。
すなわち、四十六億年前に大地の奥深くにある赤きマグマより生まれた火の鳥は、地球が永遠でないのと同様、永遠の存在ではない。自らの身体が滅びようとしたとき、火の中に飛び込み、身体を燃やし、宇宙からの力を受けて再生してるため、人間は永遠の力を有していると考えているのかもしれないが、それは違う。火の鳥自身も広大な時空を飛びながら、永遠とは何かを探求する修行の身であり、力の限り宇宙を飛び交わなければならないのだ。
それでは、永遠の力をどのようにして手に入れることができるのか。真実の永遠は形あるものではなく、人間の中にある「魂」だ。かりそめの栄華や儚い美しさに捉われ、気づかぬままに地球を汚し、国同士で争う愚行を繰り返すことは人間に必要な務めなのか。人間が地球に居るのは奇跡のようなことだということを忘れず、永遠とは何であるかを知り、己を磨き、末世末代に至るまで、その意味を伝えるために常に思いを巡らせてほしい。
このメッセージが大王、ヤマヒコ、ウミヒコの心を動かした。大王は全ての諍いを止めることを誓い、国の将来や民のために出来る限りの力を注ぐと決意する。ヤマヒコは自らも己の中にある魂に向き合うことを誓い、ウミヒコも人としての真の務めを全うしたいと願い、二人は固く手を取り合う。
その姿、心こそが永遠の愛、永遠の魂なのだ。そして、その心こそが、人間の尽きることのない思いであり、互いを思いやる愛の心こそ、永遠なのだ。
平和とは決して言えない現在の世の中に対する、深遠なテーマ性を打ち出したこの新作歌舞伎は傑作だと思った。
「人形町噺し問屋~三遊亭兼好独演会」に行きました。「天狗裁き」と「宮戸川」の二席。ゲストは漫才のおせつときょうた先生、前座は三遊亭けろよんさんが「寿限無」、三遊亭げんきさんが「子ほめ」だった。
「宮戸川」は今年4月に「俺のミヤトガワ」で兼好師匠が新作ネタおろしした(下)を含む通しバージョン。本来の陰惨な「宮戸川」ではなく、兼好師匠らしい明るいハッピーな通し口演である。
霊岸島の叔父さん、久太郎の家の二階で男女の仲となったお花と半七が夫婦になることを半七の父親の善兵衛が許さない。それを認めさせようと、久太郎がお花の実家の船宿を訪ねて、母親のおさよから話を聞いてみると意外な過去があった…。
おさよは若い頃、小町と呼ばれる器量良しだった。だが、気の進まない縁談が成立して許婚が来てしまう。おさよは幼馴染の善兵衛に「駆け落ちに付き合ってほしい」と頼み、船を漕いで二人で逃げ出した。船宿の若い衆が「米屋の倅の善兵衛がたぶらかしたらしい」と言って追いかけてくる。雨の降る宮戸川の岸辺に降りて、お地蔵様の祠に二人で隠れた。
おさよが「好きな人と駆け落ちの真似事がしたかった」と言うと、善兵衛はその気になって、「もし本当におさよさんさえ良ければ、駆け落ちしてもいいよ」と言って、おさよを抱きしめる…と思ったら、お地蔵様を抱いていた(笑)。
結局、若い衆に見つけられて、善兵衛はボコボコにされてしまった。多分、そのことを恨みに思って、お花と半七の仲を許さないのではないかとおさよ。「でも、あのときに貧乏してもいいから、おさよさんと夫婦になりたいと言われたちときは嬉しかった…あの一言があるから、今も生きていられるの」。
その話を弟の久太郎から聞いた善兵衛は「半七に言っておけ。尻に敷かれないように気をつけろとな」。最終的に善兵衛はお花と半七の結婚を許した…。ハッピーエンドな「宮戸川」通し。素敵だった。