泉岳寺講談会 神田織音~神田すみれ「乳房榎」、そして新宿講談会

泉岳寺講談会に行きました。今回は神田織音先生と神田すみれ先生で「乳房榎」を俥読みで完全通しをおこなうとのことで、おっとり刀で伺った。

「煙草屋喜八 蛸の伊兵衛」神田紅純/「北條政子」神田蘭/中入り/「乳房榎 真与太郎の行方」神田織音/「乳房榎 菱川重信」神田すみれ

織音先生がいわゆる「おきせ口説き」~「重信殺し」までの通常よく読まれる部分で、すみれ先生が「十二社の滝」~「真与太郎の仇討」まで。すみれ先生が担当したパートは僕は歌舞伎でしか観たことがなかった。(すみれ先生のお言葉によると、3年に1回程度の頻度で織音先生と何度も演られているそうだ)。

織音先生のところで、磯貝浪江が菱川重信の弟子になりたいと思ったとき、“地紙折(じがみおり)”の竹六という人物に入門の仲介を頼んだという説明があったが、この竹六がすみれ先生のパートでも出てくる。

さて、すみれ先生は浪江が正助の手を借りて重信殺害に成功した後から。遺体を引き取ったおきせはまさか浪江が殺したなど知らずに葬儀を済ませる。そして、浪江とおきせは正式に夫婦となった。夏のある日、浪江は正助を亀戸の巴屋という料理屋に招き、真与島家に婿入りしたことを告げると同時に、おきせが懐妊したと報告する。ついては「頼みがある」。真与太郎が邪魔だ。成長したらきっと自分のことを仇として狙うだろう。だから、真与太郎を亡き者にしてほしいと迫る。

重信殺しへの加担を頼んだとき同様、浪江は刀の柄に手をやって、「承知しなければ、お前を殺すまでだ」という勢いだ。十二社の滝壺に放り投げて殺せと命じる。岩に当たって粉微塵になり、水に流されて行方知らずとなるであろうと。「わしを裏切るつもりか?」と浪江は正助を睨む。有無も言わせずとはこのことだろう。おきせに対しては、「乳が出ないのだから、里子に出す方が良いのではないか。幸い、正助の妹の嫁ぎ先の鳩ケ谷に良い乳母がいる」という。おきせは浪江の“好意”に甘えることにして、真与太郎を正助に託す。

正助は真与太郎を連れ、柳島の真与島家を出て、十二社権現へと向かう。「泣くんじゃない」と落雁を与え、おしめを替えてやり、「殺されるとも知らずに笑っている…堪忍してくれよ…南無阿弥陀仏」。そう念仏を唱えて、滝の中へ放り込む。月が雲間に隠れ、霧のようなものが出てくる。すると、重信が真与太郎を抱いて滝壺から出てくる。「旦那様、ごめんなさい!」「浪江に脅され、よくも殺したな。おきせも犬畜生だ。酷い目に遭わせてやる。俺の顔をまともに見られるか?」。

重信の亡霊は続ける。「おきせも浪江も許せない。殺してやる。正助も骨を砕いてしまいたいところだが、お前が死んだら真与太郎を養育する者がいない。改心するなら、この真与太郎を連れて行け。そして、成人したら、親の仇は浪江だと教え、仇討ちさせろ」。「きっと仇討ちさせます。お許しください」「正助、忘れるでないぞ」。重信は消えた。月が出てきた。そして、真与太郎が目の前にいる。「旦那様は我が子真与太郎が可愛いがゆえに、私を許して真与太郎を任せたのだろう。必ず、仇討します!」。

正助は故郷の練馬赤塚村に住む姪のお房と亭主の文吉のところに厄介になることにした。浪江から渡された20両を文吉に託そうとすると、人の好い文吉はそれを断った。そして、近所の松月院の門番になる。この境内にある榎の木からは甘い白い汁が垂れ、それを飲むと乳を飲むのと同じ効用があり、またそれを乳に塗ると乳の病が治るという評判で、参詣に人が絶えない。誰となく“乳房榎”と呼ばれるようになった。

ある日、四十格好の男が正助に「水を一杯ください」と言う。そして、その男は「正助さんでは?竹六だよ!」。おきせは出産するが、乳が出ない。医者に診せても、薬を飲んでも、効かずに赤ん坊は死んでしまった。左の乳に腫物ができ、痛いと言うので、この“乳房榎”の噂を聞き、浪江に行って来いと言われて来たのだという。逆に「正助さんは?」と訊かれ、つい正助は心を許して、全てを打ち明けた。竹六も「浪江は酷い男だな…真与太郎をよくここまで大きくした。天国の重信先生も喜んでいるだろう」。正助はここにいることは誰にも言わないでくれ、と念を押した。

竹六が真代島家に戻り、浪江に“乳房榎”を渡すとき、うっかり口を滑らせて、「正助さんが…」と言ってしまう。顔色を変える浪江に対し、竹六は誤魔化すが後の祭りだ。浪江はおきせに「この乳を飲めば痛みも治る」と言ったが拒むので、柔らかい絵筆で乳に塗ってやる。八ツ時分。おきせが猛烈な痛みを訴える。そして、浪江に言う。「乳に痛みが出ると、熱が出るが、同時に必ず重信が出る」という。そして「おのれ、犬畜生め。よくもわしを殺したな」と言うのだ。「重信の祟りでございます」。

おきせの左胸の下が紫に腫れ、そこに膿が溜まっている。これを出せば痛みが取れるのではないか。おきせは小刀で裂いて膿を出すように、浪江に頼む。浪江は小刀を持ち、ちょっと軽く突いたつもりだったが、誰かが柄を持っているかのように小刀が五、六寸も胸元を刺して、血がドクドクと出てくる。そして、その胸元から白緑色の鳥が出てきて、羽を羽ばたかせ、舞う。浪江はその鳥を斬ろうとするが、うまくいかない。鳥の顔は重信そっくりだ。やがて鳥はクチバシで浪江の額を突き、血が流れ、浪江はその場に倒れてしまった。

翌日、おきせの埋葬を済ませた浪江は竹六に「正助のところに案内せよ」と命じる。従わなければ「殺す」という勢いだ。一方、松月院では正助がお盆の十三日とあって、おしょろさまのお迎えの準備をしている。五歳になった真与太郎に言い聞かせている。「ここにいる重信様のお位牌、これがお前のお父様だ」。「オイラのお父っつぁんはお前じゃないか」という真与太郎に対し、「わしはお父様の草履取りだ」と答えると、真与太郎は「オイラの草履も取ってくれるのか?」。お前の父親は元は越中守で350石取りのお侍だった、それが磯貝浪江に殺されたと全てを話す。お前はお父っつぁんの魂に助けられた、忘れちゃなんねえ。浪江が仇だ。助太刀するから仇討するんだぞ。

これを物陰で聞いていた浪江が「とんでもない奴だな!一刀両断にしてやる!」と襲い掛かるが、刀が茅葺に邪魔されてうまく操れない。そこを正助が心張り棒で滅多打ちにすると、不思議なことに五歳の真与太郎が小柄を持って「おのれ、お父っつぁんの仇!覚悟いたせ!」と言って、浪江を斬り殺した。

無事仇討本懐を遂げた真与太郎は10年後、十五歳のときに秋本越中守に帰参が叶い、真代島伊惣次という父親の名跡を継いだという。そして、正助は諸国行脚の旅に出た…。三遊亭圓朝作「乳房榎」は怪談であると同時に、仇討物でもあり、そこにカタルシスを感じた。

新宿講談会に行きました。

「谷文晁 名画の虎」田辺凌天/「曲馬団の女」田辺いちか/「細川の茶碗屋敷」神田織音/中入り/「谷風の情け相撲」宝井琴凌/「鬼婆伝説 なごりの旅」宝井一凛

凌天さんの「名画の虎」。名人ともてはやされ、報酬に応じて絵筆にこめる力を塩梅するようになってしまった谷文晁。自分では気づかないうちに、慢心や驕り昂りが絵に顕われていたのかもしれない。その鼻っ柱を折ってくれたのが雲州松江の松平出羽守だ。呼び出しておいて軽んじた接待をされたことに立腹した文晁は出羽守の屋敷を出ていってしまう。

そして、引っ越した先々ですぐに店立てを食らってしまうのも、出羽守の差し金だった。再び呼び出されたが、通されたのは庭先に莚の上。そこで虎の絵を描けと命じられ、文晁はそれまでの怒りをぶつけるように腹立ちまぎれに描いた虎の絵…これが大層素晴らしかった。出羽守いわく、「これまでは絵が手際良すぎて、筆に気迫が足りなかった。だが、この虎には勢いがある。これぞ猛虎だ」。天狗になっていた天才絵師の文晁がこれによって目を覚ましたというのが良い。

いちかさんの「曲馬団の女」。戦争未亡人を装って、香典泥棒を働こうとしたお蘭だが、戦死した鹿島壮吉の母親の優しい気持ちに接して、「この人を母と思い、親孝行しよう」と思い直すところに、この読み物の美学がある。

そして、戦死したはずの壮吉は敵国の捕虜となっていただけで、戦死は誤報だった。帰国し母親を訪ねた壮吉がお蘭から正直に全てを打ち明けられたとき、怒りを覚えるどころか、感謝の気持ちを持つ。そして、お蘭に「僕の妻になってくれないか」と求婚するという…。嘘から出た実(まこと)とはこういうことを言うのか。人間、捨てたもんじゃない。

織音先生の「茶碗屋敷」。元松平安芸守の家来の川村惣左衛門も、細川越中守の家来の田中宇兵衛も、そして紙屑屋の太兵衛も皆正直で良い人。気持ちが良い。阿弥陀如来から出た50両、太兵衛に案内されて田中が川村宅を訪ね返却するときに、「刀にかけても」とあわや真剣勝負になりそうになったが、それも両者が正直すぎるほど正直だったからだ。

家主の仲裁で川村が50両受け取る代わりに、愛用の茶碗を田中に贈ると、それが吉田久庵の目利きで300両の値打ちがあることが判明。このときも、川村は素直にその茶碗の返却に応じる。そもそも川村惣左衛門という浪人がなぜ松平安芸守の元を離れなければならなかったのか。こんな立派な武士はいない。

だから、この話を田中宇兵衛から聞いた細川越中守は、早速に安芸守に口添えをして、川村は見事に帰参が叶ったのも道理である。落語の井戸の茶碗は滑稽味をかなり加えてあるが、講談で聴くと心に沁みる誠に良い読み物である。