新作歌舞伎「俵星玄蕃」、そして立川談笑「慶安太平記」最終話
十二月大歌舞伎第2部に行きました。「爪王」と「俵星玄蕃」の二演目。「俵星玄蕃」は昨年の「荒川十太夫」に続き、講談の赤穂義士外伝から脚本になった舞台だ。
「俵星玄蕃」。尾上松緑演じる俵星玄蕃正照と坂東亀蔵演じる杉野十平次の、口には出さないというか、出せない心の内をお互いに慮りながら交流している武士の友情が素晴らしかった。
杉野は夜鷹そば屋の当り屋十助として素性を隠して、吉良邸の様子を窺っている。その得意客となり、懇意になったのが宝蔵院流の槍の名手、俵星玄蕃だ。討ち入りの日取りが決まり、杉野は玄蕃に国許へ帰る暇乞いと称して挨拶に行くが、玄蕃も米沢藩上杉家の召し抱えられることが決まったという…。玄蕃が吉良家の附人になる、つまりは赤穂浪士の敵になるということ。だが、杉野は平静を装い、玄蕃の仕官と自分の旅立ちを祝おうと酒を酌み交わす。
だが、玄蕃には杉野の素性は武士であることを見抜いていた。しかも、赤穂浪士が討ち入りするのではないか、もしそうなら赤穂浪士を応援したい、ゆえに上杉家からの仕官の話は気が進まないと思っている。それとなく杉野に仇討の話題を振る玄蕃は忠孝を重んじ、情に厚い男である。
杉野は計略が露見することを恐れ、自分はしがないそば屋だと答える。浪士を率いるはずの大石内蔵助が放埓しているのが何よりの証拠、討ち入りは無いだろいうと答える。そば屋とその客という立場を超えて友情のようなものが芽生えていただけに、玄蕃に嘘をつくのは心苦しかったに違いない。
加賀前田家の使者、実は赤穂浪士の村松三太夫と三村次郎左衛門が玄蕃を訪ね、千石の石高で召し抱えたいと打診したとき、玄蕃は上杉家仕官を理由に断る。これも玄蕃にしたら本意ではなかったろう。三村から「犬侍」と罵られながらも、カッとならずに冷静でいられたのは、もしかしたら、この村松と三村が赤穂浪士であることも、また見抜いていたのかもしれない。
12月14日の夜。なぜか胸騒ぎがして寝付かれない玄蕃が耳にしたのは、山鹿流の陣太鼓の音。さては赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったな!と推し測った玄蕃は槍を手挟んで松坂町の吉良邸に向かう。そして、火事装束に身を包んだ杉野十平次との再会。「そば屋!」と呼ぶ玄蕃の声は、杉野たちが吉良の首を刎ね、見事に仇討本懐を遂げることを祈る、熱血漢の叫びに聞こえた。
杉野十平次と俵星玄蕃の心の交流がとても美しく輝いて見えた。
夜は内幸町へ移動し、立川談笑月例独演会に行きました。4月からスタートした「慶安太平記」全9話のきょうは最終話である。
イラサリマケー/文七元結/中入り/慶安太平記⑨大事、露見す
慶安4年4月22日。由井正雪の計画が上手く進んでいれば、江戸城に仕掛けられた爆薬が火を放ち、11歳の将軍・徳川家綱は誘拐され、その爆音は品川から小田原、駿府にまで連なり、東海道は封鎖され、京の帝の身柄も拘束して、第5代将軍頼宣が誕生して、世の平安が訪れるという筋書きだった。
だが、松平伊豆守は正雪の動きをいち早く察知し、4月16日に本郷にある丸橋忠弥の屋敷を50人の捕方が囲み、槍で抵抗する忠弥を召し捕った。駿府にいる正雪以下17人は22日の夜には来るはずの報せが届かず、嫌な空気に包まれていた。
宿の主人が「駿河の奉行の遣いが来ています。お客様の中に由井正雪様はおられますか?」と尋ねると、「私が由井正雪だ」。宿の周りは侍が沢山ひしめいていると言う。正雪は「しばらくお待ち頂くように伝えてくれ」と言って宿賃、そして「迷惑料」を主人に渡す。「知恵伊豆の報せの方が早かった。逃げられるものではない。手筈の通りだ。きょうまで付いてきてくれて礼を言う。望みは叶わなかったが、悔いはない」。そう言って、正雪は腹を切った。そして、残りの17人も後に続いた。大広間は血の海になった。
正雪自害の報せは名古屋、京、大坂に届いた。金井半兵衛は切腹。吉田初右衛門はお縄になった。奈良の牧野兵庫守は地元に戻った。そして、丸橋忠弥と吉田初右衛門の取り調べが行われる。連判状を見たか?誰の名前があったか?拷問にかけられた。
正雪の故郷である駿府にいた兄、その息子含め一族は全員死罪となった。丸橋の年老いた母が連れ出され、抱き石をさせられた。だが、決して口を割らなかった。吉田の6歳になる息子を水責めにすると、吉田は「すべてを申し上げます」と観念した。
松平伊豆守が息子の新之助を連れて、根岸の里に住む“ご隠居”を訪ねた。「お久しゅうございます」「さすがは知恵伊豆。大層な働きだったな。幕府崩壊を未然に防いだ。徳川の御世も安泰だな」。ご隠居はそう言った後、「取り調べは大層厳しかったとか。これまでの改易、取り潰し、御家断絶、少々やりすぎでは?これでは浪人たちの怒りや辛みは募るばかりだ。また次の正雪、そのまた次の正雪が出てくる」。
「正雪は武士が過ごしやすい世の中を求めて命を捨てた。お前さんのような筆頭家老であれば、力でねじ伏せたり、恐怖で押さえつけるようなことでなく、肚ひとつでどうにかなるものではないか。奴らがし得なかったことができるのではないか」「お前さんと初めて会ったのは、ちょうどこれ(息子新之助)くらいの年回りだった。私は廻船問屋をしながら、市ヶ谷の楠木不伝の道場に極めて利発な青年がいると聞いた。だが、お前さんには及ばなかった。一手も二手も先を読んでいた。勝負を始める前に詰んでいた」。「あのような浪人たちが出ないように、もう人肌脱いでくれないか。考えてみてくれ」。
新之助が伊豆守に訊く。「父上、今の方は?」「廻船問屋の主人をしていた。今は隠居の身だが。二代将軍秀忠の落とし子、つまりは三代将軍家光の兄にあたる」。「今晩は鍋にするか。父はたらふく酒を飲みたい気分だ」「あの空!西の空の夕日が見事です」「真っ赤な空を見て、美しいと思えるか。羨ましい」。
由井正雪の乱を境に、幕府は方針を大転換する。兵力や恐怖による武断政治から脱却し、徳と冷静な判断によって大名を差配するようになった。外様や浪人を排他とするのではない、平和が訪れた。血生臭い時代から天下泰平へ。その礎を築いたのは、正雪の働きによるものかもしれない。由井正雪は大罪人という悪名を剥がしてもいいかもしれませんと談笑師匠は結んだ。
素晴らしい談笑版「慶安太平記」全9話であった。