通し狂言「妹背山婦女庭訓」第二部

国立劇場で「妹背山婦女庭訓」第二部を観ました。先月の第一部に続く通し狂言だ。国立劇場歌舞伎公演は昭和41年11月に開場記念の第1回として「菅原伝授手習鑑」第一部を上演して以来、今月で333回を数えるそうだ。上演の途絶えた作品・場面の復活や、物語の始まりから結末までを首尾完結させた「通し狂言」の上演など、国立劇場ならではの上演形式を取っていて、歌舞伎文化に大きく貢献してきた。“初代”国立劇場という器は暫くの間なくなるが、“二代目”国立劇場が開場するまでの間も、他の劇場や施設において国立劇場主催の公演を継続して実施するという。期待したい。

「道行恋苧環」で、烏帽子折求女実は藤原淡海(中村梅枝)をめぐって、入鹿妹橘姫(中村米吉)と杉酒屋娘お三輪(尾上菊之助)の二人の女性が恋の鍔迫り合いをするところを、舞踊劇として見せて、二幕目の「三笠山御殿の場」へと繋げていくところが興味深い。

そして、三笠山御殿の場。橘姫が蘇我入鹿(中村歌六)の妹だと知り動揺する求女に対し、姫は求女が藤原淡海だと知っていながら、恋心が抑えられなかった、ゆえに正体を明かせなかったと告白するところが凄い。求女の父の藤原鎌足と蘇我入鹿は敵対関係にあるわけで、橘姫は「好きな人になら、殺されてもいい」と言っているようなわけで、その覚悟に求女も心が打たれるわけだ。

求女は考えた。入鹿が宮中から奪った十握の宝剣を取り戻したい。橘姫の力を借りて、それを実行できないか。その作戦を橘姫に囁くと、兄への裏切りになるが、好きな求女のためなら剣を奪回すると橘姫は約束する。大義名分としては、帝のためにということにもなるし。そして、話はとんとん拍子に進み、二人は内祝言を挙げる段にまでなった。

一方のお三輪。求女に付けていた苧環の糸は切れていて、途方に暮れる。だが、謎の人物に出会う、これは本当に謎だが、通りすがりの「豆腐買おむら」(中村時蔵)がお三輪に「橘姫と求女が内祝言を挙げる」と告げる。“歌舞伎の都合”なのだが、これによってお三輪は焦り、嫉妬に燃え、御殿周辺を徘徊する。

ここで官女たちに見つけられ、「求女に会いたい」一心につけこまれて、祝言の席の作法を厳しく指導したり、無様な姿で馬子唄を歌わせたりと、散々に苛め抜かれるお三輪の姿が哀れである。挙句に、内祝言の口上が耳に入り、お三輪の心に嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。

この“嫉妬の炎”がカギになる。漁師鱶七実は金輪五郎今国(中村芝翫)がこの嫉妬に燃えた女性を探していたのだ。蘇我入鹿は、その母が白い雌鹿の生き血を飲んで授かった魔人で、鹿の性質を備えている。そのため、爪黒の雌鹿の血と疑着の相(嫉妬や執着に囚われた状態)の女の生き血が注がれた笛の音を聞くと正体を失うという…。

そのため、藤原鎌足の家来である金輪五郎が主の命に従って、すでに雌鹿の血は手に入れていた。残るは疑着の相の女…、そこにお三輪と遭遇したというわけだ。金輪五郎はお三輪を刃で貫いた。そして、これはあなたの想い人である求女の敵を倒す手立てになるのだと説明した。すると、自らの命を捧げれば求女、つまりは藤原淡海のためになると知ったお三輪は喜ぶ。そして、恋人の面影を慕いながら、苧環を愛おしみ、息絶えるのだ。

「道行恋苧環」で表現した恋の三角関係が、悪の権化である蘇我入鹿を藤原鎌足が討伐することに結びつく。単純なラブストーリーではなく、国の行く末を左右する壮大なドラマにつながっていくところに、名作歌舞伎として長い間上演され、現代でも古臭くない芝居として生き残っているのだと感じた。