19時40分の残酷~オモ(重)クラ(暗)い喬太郎~「雉子政談」
鈴本演芸場7月上席三日目夜の部に行きました。今席は柳家喬太郎師匠が主任で、「19時40分の残酷~オモ(重)クラ(暗)い喬太郎~」と題したネタ出し特別興行だ。10日間のラインナップは①死神②牡丹燈籠~栗橋宿③雉子政談④重陽⑤赤いへや⑥棄て犬⑦宮戸川(通し)⑧わからない⑨サソリのうた⑩鬼背参り。きょうは三日目。小泉八雲原作の噺に聴き入った。
「狸の鯉」柳亭市遼/「転失気」柳家やなぎ/奇術 アサダ二世/「壺算」柳家小平太/「暴ソバ族」林家きく麿/漫才 ニックス/「廿四孝」柳亭市馬/「短命」古今亭菊之丞/中入り/ものまね 江戸家猫八/「もぐら泥」入船亭扇橋/紙切り 林家二楽/「雉子政談」(小泉八雲原作)柳家喬太郎
やなぎさん、食べません、壊れません、気体ですから。借りられないよ、ジップロック?アサダ先生、きょうはちゃんとやりますよ。風船割りはマジックなのだろうか?小平太師匠、商売をしたという実感が沸かない瀬戸物屋さん。
きく麿師匠、甲州街道の富士そばを制圧!かき揚げを制するものは世界を制する。ニックス先生、そうでしたか。市馬師匠、孝行の徳によって天の感ずるところ。菊之丞師匠、車に轢かれたチンコロみたいにおまんまをよそうお嬢様。
猫八先生、イヌ~アシカ~シマウマ。少年の夢を壊さないクラゲの鳴きまね。扇橋師匠、情けない泥棒先生。犬だけでなく、酔っ払いにまで小便されそうになる。二楽師匠、鋏試しは芸者さん。注文で、川開き、七夕。
喬太郎師匠、シーンと客席全体が聴き入る。まず、おふくの心の清らかさに感じ入る。逃げこんできた雉を義父の生まれ変わりと信じ、米櫃に隠してやり、狩りをしていた村人から守ってあげた優しさ。それが愛おしいほど伝わってくるのは、師匠の雉の演技に思いのこもったリアリティーがあるからだと思う。
それとは正反対に、その雉の首を絞めて鍋にして食おうと言い出す亭主の五郎吉の残酷さ。世にも怖ろしい夫の言葉を聞いて、おふくは畑に行くと装って、代官様に訴えにいく行動に共感する。
そのことから五郎吉は馬脚を顕す。近郷近在で押し込みを働き、女を犯し、子どもを殺し、金銀を奪うという残虐な犯罪の実行犯であることを代官は見抜く。裏社会で暗躍していた五郎吉の正体が暴かれた。亡くなった父はそれを憂いて、嫁であるおふくの夢枕に立ったのだろう。
お白州で裁かれ、討ち首を言い渡された五郎吉が最後まで反省しない態度に、この男は生まれもっての性悪なんだなあと思う。自分が処刑されたら、「ここにいる人間の一族郎党を呪い殺す。根絶やしにしてやる」と言い放つ五郎吉は最期まで悪党だった。討たれた首が沓脱石に堅くかじりついている姿にゾッとする思いだ。
妻のおふくは悪党だった自分の夫が処刑されたことに、安堵している。そして、五郎吉の着ていた着物を譲り受けたいと言う。血まみれになったその着物は、亡き義父の形見だった、洗い清め、その布を使って守り袋を作るという。夫の五郎吉は憎いが、その実父には成仏してほしいという、おふくの清らかな願いが籠められた終わり方に、この噺の救いを見たような気がした。