田辺いちか「腰元彫名人昆寛」値は高く、仕事は遅く、催促は無し。これぞ、名人!

らくごカフェで「田辺いちかの会」を観ました。(2022・05・14)

いちかさんの「腰元彫名人昆寛」が良かった。

本当の名人というのは、気まぐれのように見えるが、一度思い込んだら、夢中になって仕事をすると、ものすごい仕事をするものだ。左甚五郎に関する落語、講談、浪曲を聴いていてもそうだが、この昆寛もまたそうなのだと思った。

値は高く、仕事は遅く、催促は無し。これを看板にしているくらいだから、よっぽど自信があったのだろう。というか、良い仕事をするためには、それくらいの了見を持たないと駄目なのかもしれない。

こんな亭主をもった女房のおかじは大変だけれど、内助の功というのだろうか、そういう気まぐれを認めて苦労するのを幸せに思っていたのかもしれない。

思いつき。屋根屋の会話で「コン、カン?狐が半鐘を鳴らしたような名前だな」と言うのを聞いて、昆寛はひらめいた。

そして、借金をして子ども衆を集めて、王子稲荷に連れていき、たんまりとご馳走をして火消しの鐘を鳴らさせ、その姿を活写した。また、汐留に潮干狩りに連れて行き、子ども衆が遊びに興じる姿も活写した。

これを基に、一カ月仕事場に籠り、昆寛は腰元彫を彫った。細かい見事な作品であったが、尾張屋は紀州公からの催促に気を取られ、この真価を見抜くことができない。2分の値しかつけなかった。

女房おかじはこれに腹を立て、一旦は離縁する。だが、日本一の目利きが、この腰元彫に「800両」の値を付けた。尾張屋、びっくり。おかじも、びっくり。この腰元彫を紀州公に納めると、殿様は大層喜んだという。

本当の名人とは何か。値は高く、仕事は遅く、催促は無し。目の前の小さなことに心を奪われるのではなく、ゆったりと構えて大きな目でものを見ろ。そう教えてくれるような講談だった。