【プロフェッショナル 数学教師・井本陽久】答えは、子どもの中に(6)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 数学教師・井本陽久」を観ました。(2020年1月7日放送)

きのうのつづき

それは9月のある夜のこと。まるで奇跡のような授業を目の当たりにした。

その現場は井本が学校以外に開いたあの教室。中学1年生から3年生まで様々な生徒が通う。

境界を書いて、いくつかに分けているじゃん。その境界は何筆書きで出来ているか。

井本が出した問題は図形の境界を何筆で書けるかというもの。そして、そこにどんな法則があるかを考えさせる。

早速、一人の生徒が法則を思いついた。

エリアの数―1

だが、別の生徒が穴に気づいた。

井本が出したこの問題は覚えた知識を使って解けるようなものではない。決まった解き方はなく、自分の頭で考えるしかない。井本はいつものように生徒を観察し、ひたすら見守る。自分の中から追いやったはずの、できる、できない、の評価や価値観。今でも囚われそうになることがある。

彼らを信じるっていうこと、ひとつだと思いますけど。信じるは重いな。信じるじゃなくて、駄目な子なんかいないんですよ。そういう感じですかね。駄目な子なんかいない。

井本が想定していた答えに生徒たちがにじり寄る。

そして、ついにその答えに辿り着いた。

エリアの数―1―十字の数

そのときだった。別の生徒が待ったをかけた。井本の答えも違っていた。

正直に言います。俺がこの授業で準備するときに、こういうやつは絶対出てくるよな、反例あるのに、これも出てくるよな、反例あるのに、正解はこれなんだよなって、用意してたんだけど、これも反例あったね。

だから、本当に答え、分かりません。分からないから、どんな場合でも通じる式を考えて、ちょっと誰か。もう、未知の領域です!

子どもたちが躍動する。限界など軽々と飛び越える。

僕が数少ない講義をしているときでも、まったく無視という、最高ですよね。もう、だから、先生の言うことなんか別にいい。考えるのに夢中。

井本が語る。

わらわれがありのままを認めていれば、その子が将来必要になるようなものなんて身につくと思うんですよ。伸びるというか、伸びていくですね。勝手に子どもたちが伸びていく。どこへ行くか分からないけど、伸びていくのは彼ら自身だし、どの方向へ行くかは誰も分からないし、彼らも分からないかもしれない。でも、それを信頼して見守っていく。子どもって、全然信用していいんですよね。本当に信じて、彼らの考えるように、やるようにやったら、こんな生き生きするんですもん。

気づくと、井本も夢中になっていた。

また子どもたちに教えてもらった。

もう一度、あの問いを投げかける。先生って何ですか?

一言じゃ言えないですよね。ただ、教える人、教わる人っていう関係ではないですね。先生と生徒ってね。何一つ、教えていない。教えようとしても、聞かないみたいな。勝手にやっているんですよ。これが面白いと思いますね。

教える人ではなく、共に学ぶ人。

井本にとって、プロフェッショナルとは。

「今の君も、これまでの君の人生も全部OK!大丈夫!」って心から思ってあげられること。“愛”ですね。

いやぁ、番組の中で何回、泣いたことか。このドキュメンタリーの中の「学校」はそのまま「会社」とか「組織」という言葉に置き換えられる。人生、ありのままでいい。その人の仕事や生き方は評価するべきものではないし、一定の価値観に縛られてはいけない。勇気をもらいました。ありがとうございます。