【プロフェッショナル 声優・神谷浩史】答えを求めて、声を探す(3)
NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 声優・神谷浩史」を観ました。(2019年1月7日放送)
きのうのつづき
声優ブームの今、その活躍の場は大きく広がっている。業界きっての実力派の神谷。声だけでなく、様々な姿を見たいという多くの女性ファンを抱える。その期待に応えるため、10年前から音楽活動もおこなっている。
神谷が語る。
やっぱり僕らは日雇い労働者なので、「ここに行ってください」「この仕事をお願いします」って、依頼がない限りは、自分から能動的にお仕事を作っていけなんですよね。
求められれば何でもやるという神谷。そこには声優という仕事を全うしたいという一つの覚悟があった。神谷は養成所を卒業した1年目にデビューを果たす。アニメ「ママレード・ボーイ」24話の生徒C。「銀太、すごい」の一言だった。
神谷が振り返る。
1年目のときって、1カ月に1回仕事があるかないか、2か月に2本あるかないか、みたいな。本当に自分が最初にやりたいなって思っていたアニメーションっていうか、お芝居っていうのはほとんどなかったですね。だから、すごい悩みましたよ。
神谷にチャンスが訪れたのは20代半ばの頃。90年代後半に巻き起こったアニメブームだった。
神谷が語る。
少しずつアニメの本数が増え始めて、今活躍されている既存の声優さんだけではそこをカバーしきれない。こぼれてきたものを僕らがやっていたんだと思うんですよ。それでも嬉しかったですね。
念願のアニメの仕事が増え始めたときだった。その後の人生を大きく変える事故に見舞われた。バイクの自損事故。全く一カ月の記憶がないという。気が付いたら、ベッドの上だった。奇しくも、事故を起こしたその日は主役アニメの第1話の収録日だった。
ベッドの上で一カ月半を過ごす。神谷は当時の心境をこう話す。
その間、自分がやっていた役は別の方が立派にやってくださいましたし、それで特にものすごい問題になっているわけでもないですから。僕じゃなくても成立するんだって。
神谷はベッドの上で、これまでの生き方を振り返った。
もうどうしたらいいか、わからないけれども、ある意味、この業界にすがらないと生きていけないのかもな、と。そのためには自分で動かないといけない。でも、今まで僕は自分から何かをアプローチすることなく、ただ待って、誰か認めてくれないかなって思っていた。でも、「そうじゃないよ」って思い知るのに必要だった経験が交通事故だったんだと思う。
だから本当に僕はバカだったから、そのくらいの経験をしないと気づけなかったんですよ。なんとなく仕事が来るのを待っているような、受け身の姿勢でしかなかったんですから。そら、仕事なんかないですよね。
その後、神谷はがむしゃらのオーディションを受けた。これだと思う仕事があれば、必死に売り込んだ。つかんだ仕事は期待を上回るよう徹底的に役になりきった。
ずっと自信がなくて、自分の居場所なんてないって、ずっと思ってましたけど、自分からアプローチすれば居場所を作ってくれようとするんだなって。作品を作り続ける場所にいられる。やっぱり常に必要とされているってことじゃないですか。
だから、休みは怖いですし、未だに体が動かなくなることも怖いし、人から信用されなくなることも怖いし、怖いものだらけですね。でも、そんな中で、自分の体を使って、自分を起用してくれる人が「またこの人と仕事したいな」って思ってくれたら、最高だなと思っています。
つづく