【春談春】立川談春という噺家の凄さと優しさを観た(4)
紀伊國屋ホールで「春談春~お友達と共に~」を観ました。(2021・01・10)
千秋楽。ゲストは柳家花緑師匠。談春師匠いわく、「こいつだけは、はっきりと友達と言える」と。出会ったのは、談春23歳、花緑(当時は小緑)18歳。5歳違いだ。五代目小さんが、談春にむかって「小緑の友達になってやってくれ」と頼んだとか。以来、なぜか小さん師匠には可愛がってもらったと思い出を語る。思えば、この会場の紀伊國屋ホールを会場にしている紀伊國屋寄席は小さんがずっとトリを取るホール落語の老舗だった。不思議な縁だ。
花緑師匠が言うに、「生前、祖父は『噺家は人の懐に飛び込むようでないといけない』と言っていた。兄サンは懐に飛び込むのが上手いんですよ」。若き日の談春が国立演芸場で独演会を開いたときも、ゲスト出演をお願いするため、直接、目白の小さん宅を訪ねたという。稽古もたっぷりつけてくれた。「蒟蒻問答」を2時間以上かけて。まず、一席、お手本を見せてくれ、その後に個々のポイントとなる仕草や表情を丁寧に教え、また一席通して演ってみせてくれる。至福の時間だったと。どうやら、五代目も四代目からそうやって稽古をつけてもらっていたらしい、とは花緑の談。花緑は血の繋がっている兄以上に「兄弟だと思っている」と。
「権助魚」立川こはる
「粗忽の使者」立川談春
なんでこんな面白いストーリーが生まれるかと言うと、殿様である赤井御門守が家来の治部田次武衛門のことを、ことのほか寵愛したからだというのが冒頭で明かされるのがいい。粗忽の極み、いや五代目小さんの言葉を借りれば「健忘症」の治部田が愛しくて堪らなかったのだろう。困ってしまうのは、重役たちで、使者を誰にするかについても殿の使命で治部田になってしまったときの困惑はいかばかりか。
「弁当」呼ばわりされた別当が、馬に前後逆に乗ってしまった治部田に対し、「そのままでいいんじゃないか」と、使い先まで馬を走らせてしまうのは想像しただけで可笑しい。江戸市中の町人たちが、馬の尻尾を必死に掴んで離さない馬上の侍をどのような目で見たのか。想像しただけでも楽しい。
口上を失念して、思い出すために尻をつねってもらう段も、子供の頃からつねられているので、皮膚がカチカチになっている様子が目に浮かぶ。そこに名乗り出た職人の「留っこ」のざっかけない態度も痛快で、遠慮なく閻魔で尻をつねる様子は爆笑である。
「あたま山」柳家花緑
今年1月2日に国立演芸場の初席で花緑と談春が楽屋で会ったそうだ。ずっと会う機会がなくて、この日に会えたのは何かの縁ではないかと。この日は五代目小さんと談志の誕生日だからだ。この二人は師弟でありながら、本当の親子のように仲が良かったと。そして、それぞれの弟子である談春と花緑もまた本当の兄弟のようであると。ネタ交換したとき、談春から花緑へ「紺屋高尾」を、花緑から談春へ「唖の釣り」を、それぞれ教え合った。談春兄サンは一発で覚えてしまい、この人の脳は一体どんな風になっているんだろうと驚愕したそうだ。
「妾馬」立川談春
主人公・八五郎の町人としてのざっくばらんな魅力と、ちょっとだけある権力への反発心、それに母や妹に対する愛情で成り立っている噺だ。八公が大家に呼び出されて紋服を着せられて、「お前の妹のおつるがお世取りを産んだ」と聞かされたときの反応が全てを表している。え!?鳥を産んじゃったの?ミミズク?俺が両国の見世物小屋に行って呼び込むのか。親の因果が子に報い!ミミズク娘だ。
お屋敷に行く前に紋服を母親に見せたときは、母親が泣いて「これで安心だ」と言う気持ちが伝わる。八五郎は職人なのに、ガラポンと博奕ばかりして、了見が定まらない。生まれ損ないだ。もう、嫁が来るのは諦めた。そのお世取りは外孫だが、初孫。本当はおしめを替えたり、抱いてみたりしたいがかなわない。せめて、お前が会ってきたときの様子を土産話として聞かせてくれ。
ここで、八五郎が母親への愛情をみせるのは、権力への反発心も含まれているのだろう。俺がちゃんと殿様に話をする。おかしいよ。おふくろが孫に会えるようにしてやる。約束する。そりゃあ、出世かもしれない。でも、勝手におつるを連れていっちゃって、男の子が生まれたからって。本当は向こうがこっちに来て、こういう風になりました、よろしくお願いいたしますと挨拶に来るべきじゃないのか。大名かもしれないが、言わせてもらえば俺の舎弟だぜ。ごもっとも。
お屋敷訪問。田中三太夫に導かれ、殿様と対面。酒肴をご馳走され、八五郎が言った言葉が印象的。だから、手土産持ってくればよかったんだ。椎茸昆布。お目録をもらえるから手ぶらじゃ、みっともないので佃煮屋で買っていこうとしたのに大家もおふくろも止めるんだ。ざっかけない。殿様の横に赤ん坊を抱いて座っている妹を見つけ、「つるっぺ!」。愛すべき好人物だ。
そういう八五郎だけれども、町人として27年生きてきた経験から、妹にきちんとものが言えるのが立派だと思う。しばらくは苛められるぞ。たまたま、ツラが良くて召し抱えられたけど、この屋敷には綺麗な人がいっぱいいる。お前は運が良くて、そこに座っていられる。他人の幸せほど悔しいものはないんだ。諦めろ。その分、お世取りを可愛がれ。実るほど・・・・・稲穂かな、だぞ。アンちゃんは若い頃、キャンキャン人に噛み付いてきた。今は噛み付かれる歳になった。人には可愛がられた方がいいぞ。お前はそうやって生きろ。見事な人生訓ではないか。
その後の台詞が沁みた。「苦労かけたな。お前もアンちゃんの妹で辛かったか?俺は間違っていたか?」。それに対し、つるはこう答えた。「アンちゃんの妹で面白かった」。良かった、ではなく面白かった。最大級の誉め言葉じゃなかろうか。
そして最後にはきちんと殿様に仁義を切る。母親が初孫に会いたいと言っている。生まれて初めて母親を喜ばしてやりたいと思った。「生まれ損ない」とボロボロ涙流されたら、やっぱり母親に「ありがとう」と言われたい。お目録も要らない。お願いします。すごいイイ兄ではないか。
談春師匠とゲストの皆さま、5日間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。