【春談春 お友達と共に】来年1月連続9公演開催。なぜか、10年前の「アナザーワールド」での「庖丁」の口演を思い出した。

立川談春は今年、54歳である。今から10年前、44歳のとき、つまりは2010年1月から成城ホールで「談春アナザーワールド」という独演会を毎月開催した。時折、休みを挟みながら、2012年9月まで、18回続けた。

なんでこんなことを思い出しているかというと、このコロナ禍で談春師匠はほとんど落語をやっていなかった。それが、来年(2021年)1月に突如、紀伊國屋ホールで9公演、色々なゲストを迎えて「春談春~お友達と共に」という独演会を開くからだ。紀伊國屋は実に13年ぶりだそうだ。このラインナップが興味深い。

6日昼 「棒鱈」「小猿七之助」 ゲスト:桂宮治・春風亭正太郎

夜 「唖の釣り」「夢金」 ゲスト:桂吉坊・古今亭文菊

7日昼 「鰻の幇間」「白井権八」 ゲスト:三遊亭兼好

夜 「首提灯」「明烏」 ゲスト:柳家一琴・柳家小せん

8日昼 「よかちょろ」「ねずみ」 ゲスト:柳家三三

夜 「蜘蛛駕籠」「御神酒徳利」 ゲスト:三遊亭遊雀

9日昼 「巌流島」「紺屋高尾」 ゲスト:三遊亭萬橘

夜 「へっつい幽霊」「厩火事」 ゲスト:橘家文蔵

10日昼 「粗忽の使者」「妾馬」 ゲスト:柳家花緑

弟子である立川こはるが毎回出演するのも興味深い。真打昇進を見据えての動きの一環だろう。

ということで、(どこが「ということ」なのかわからないけど)10年前の4月、「談春アナザーワールド4」の「庖丁」の口演が見事だったのを思い出して、そのときの僕の日記を再録することにした。懐かしい。ちなみに、今回の9公演に「庖丁」はネタ出しされていない。以下、当時のテンスでお読みください。

師匠も44歳になり、「経験に自分が惑わされるようになった」と。厚生年金会館ホールでの昼夜2回公演を終えて、身体にストレスが相当たまっているという。「2000人入れても赤字が出るので、2回公演にしたんです」。何しろ、高座の背景に配した巨大スクリーンに映像を映し出す費用だけでも馬鹿にならない。その上、マクラ代わりにと製作したビデオの編集代とかスタジオ代がベラボウに高い。なるほど、そんな裏事情があったのか。僕は単純にチケットが即完売になってしまい、それでは倍儲けようと昼公演を追加したのだとばかり思っていたのだが。

続いて、4月13日の紀伊國屋ホールでの「立川流落語会」で家元が復活した話題。「志らくと一緒は嫌なんだよ。でも、『俺の分身を2つ出す』と口説かれたら、出ますよ」。ここで、「あの落語会に行った人!」と観客に挙手させると、意外なほど多くの人が手を挙げていた。20人はいただろうか。ヤフオクで10万円近い値がついたというプレミアムチケット。僕は抽選に当たったのだけれど、家元に対する思い入れがそれほど強い人ではないので、昔から家元を追いかけ続けている人にドキュメントとして見てもらう方が良いだろうと判断し、知り合いにお譲りした。談春師匠はこの日の演目と同じ「庖丁」を演ったのだが、家元は志らく師匠に「こいつ、できんのか?」と聞いたという。そして、暫く間があって、「あぁ、こいつのは、そこそこ聴かせるんだった」と呟いたそうだ。そう、この日も素晴らしい「庖丁」を聴くことができた。

立川談春「庖丁」
虎が久しぶりに常に会う。「いいナリしているなぁ」「俺、カカァ、もらったんだ。清元の師匠で、ベタ惚れのバカ惚れなんだ。でも、若い女ができた・・・」。3年ぶりの再会に、いきなりノロケだ。「鰻、食うかい?」と常は虎を誘い、馴染みの鰻屋に入る。「いらっしゃいまし」「きょうは込み入った話があるんだ。二階を貸してくれ」。番頭が「いつもお世話になっています」と最敬礼するのに対し、「この店はそこそこ食わせるんだ。よく用いている」と、いい貫録の常だ。八王子から甲府、駿府、上総と転々としたが駄目で、一昨日に江戸に戻ってきたという虎は、「願えば、会えるね」。
常は「実はお前に相談がある」と、込み入った話を持ちかける。「カカァは芸人なんだが、変に堅すぎるんだ。チョイと惚れられているくらいの方がいいな。バカ惚れ、ベタ惚れは気ぜわしくていけない」と不満を述べて、「最近、娘みたいなコレができてよ。一緒になりたがっているんだ。ついては、今の女房と別れなきゃいけない。何か巧い手はないか?」。そして、虎に「儲け話があるけど、乗るか?」と、けしかける。「俺の家に行って、うちのカカァを口説いてくれ。手を握る。首に抱きつく。押し倒す。そこに、『間男見つけた!よくも亭主の顔に泥を塗ったな!』と踏み込んで、宿場女郎にでも叩き売ってしまおうと思うんだ。歳は32。若く見えるいい女だ。マグロなら中トロだ。30両にはなる。それを山分けだ」。

「そんな仕事、やり慣れていない。女を口説くのは苦手だ」と尻込みする虎に、「シラフじゃできないだろう。一升瓶を持って行って、ガブガブやりながら、口説け。ネズミいらずの二番目の右側に乙な佃煮があるよ。蓋物の白い方だ。それから、台所の上げ蓋の三枚目にキュウリの糠みそがあるよ。俺の親切、受け取れよ。名前はおあき。生半可な酔い方じゃできないぞ」と頼む常。常の兄貴にはお世話になっている虎は、金にもつられて、「早く来てくれよ。俺はそんなにもたないよ」と、引き受けた。

「人間なんて、わからないものだ。どこに運が転がっているか」と言いながら、虎は常の家に。「ごめんください。常兄ぃのお宅ですか?あっしは、虎と言いまして、一昨日、三年ぶりに江戸に帰ってきました。兄ぃが所帯を持ったそうで、これわずかなものですが・・・(一升瓶を差し出し)、しみじみ思い出話がしたいと思いましてね」。応対する、常の女房、おあき。掃除が行き届いている。「いい女だな。これ、売っちゃうのかよ?」と内心思う。「グズ虎、ダメ虎でしてね。酒がやめられないんです。捜して、捜して、ようやくここを訪ねたんです。駆け出して、この辺が(喉のあたりを指し)、ヒリヒリするんです」「お茶ですか?お水ですか?」「オチャケですよ」「お酒、ないんです」「土産の一升瓶、飲みます」。「生憎、肴がありませんの」と言いながら、湯呑みを差し出すおあき。「いい女だなぁ」と、酒を飲む虎。「美味いなぁ。近所の酒屋だけど、いい酒だ」。

「肴はいらないんですけど・・・」「ないって言ったでしょ?」「佃煮、ありませんか?あるでしょ?ない?では、出しましょう、自分で」。そう言って、虎は立ち上がり、「ホッホッホッ」と笑いながら、ネズミいらずから佃煮を出してきて、「このハゼは美味いねぇ」とするのが不気味な可笑しさだ。湯呑みを飲み干して、「兄ぃ口が奢っているから、所帯の苦労が多いと思います。あっしは、指しゃぶったって、飲んじゃう口ですがね。こんなに美味い佃煮は初めてだ。さすが、兄ぃは筋の通っていないものは食わないなぁ」。そして、「お酌しましょう。飲んでくださいよ。いいでしょ?」と、虎はおあきに湯呑みを渡そうとする。「私は不調法なんですよ。頂かないんです」と、固辞するおあき。「唇を当てるだけ。そうしたら、私に返してください。私が当てる。いいでしょ?」と言う虎に、「下戸ですから!飲みませんから頂きません!」と、キッパリと断るおあき。虎は「正しいだけに、面白くないな」。

「大変結構な佃煮ですが、味が濃い。さっぱりしたものが食いたいな。糠みそ、どうですか?」「お生憎様、ないの!」「ない?なんて言うの?面倒くさいから、出しましょうか?」。そう言って、虎は上げ蓋の三枚目から漬かりものの大根を取りだし、庖丁を出して、自分で切り刻む。「大抵、上げ蓋の下なんだ。ヘッヘッヘッ」と笑う虎に、おあきは「何で、そんなに知っているの?」。「美味い!こんなに美味いコウコを食ったの、初めてだ。大したもんだ。自慢するだけのことはある。昔から言うよね。糠みその味がいい家のおカミさんは・・・ねぇ。ヘッヘッヘッ」と嗤う虎が、だんだん不気味になってくる。

「いい心持ちだ。間がもたないや。清元のお師匠さんなんでしょ?」「なぜ知っているの?おかしい」。「三味線はどうなの?聞きながら飲むなんて、どう?弾かないよねぇー、この空気の中で。私が歌うから、弾きませんか?」。虎の依頼をプイ!と無視するおあき。虎は口三味線で小唄を歌う。♪心でとめて返す世は 可愛いお方のためにもなろうと 泣いて別れて~ そして、おあきに手を出す虎。ピシャリ!と手を叩くおあき。♪チョキの布団も夜露に濡れて~ さらに歌って手を出すと、再びピシャッ!と手を払う。♪あとはもの浮き 一人寝するも~ 虎が触るとおあきがひっぱたく。「何をするの!」。♪ここが苦界の仲かいな~ さらに詰め寄ると、両手を摑んで叩くおあき。「芯にきた。あっ、痛ぇ。おぶち、お叩き、何でもおしよ。♪振られる覚悟の洗い髪~」。三つ殴って、虎の顔が紫色になっちゃった。「芯はやめなさいよぉ」。

そして、おあきが「何だよ!亭主のある女を口説くツラか!猫がトタンから滑り落ちるような声をして!ブリのアラみたいな顔して。骨太で、脂ぎって、血生臭い!ブリのアラ野郎!」。これには虎もキレた。「馬鹿らしくて、やってられないよ!自棄だ。てめぇの亭主に頼まれたんだ!全部話してやる!常は女を泣かせる悪い奴なんだ!」と見事な啖呵を切る。「俺だって仕方なくやっているんだ。ざまぁみやがれ!酒飲んで、酔ったふりして、口説いてくれと頼まれたんだ。動かぬ証拠があるだろう!何で俺が佃煮とキュウリのコウコの在り処がわかるんだい!」。慌てるおあき。「ちょいと、虎さん。本当の話ですか?」「もうすぐ、庖丁持ってくるよ。人間じゃないね、あいつは」「アンチクショウにそんなことが言えた義理ですか!私は売られるんですか!冗談じゃないよ!上等じゃないですか!言いたいだけ、言ってやりますから」。

憤慨したおあきは、猫撫で声に変わり、虎に言う。「お願いがあるの。私の傍に居て。気丈夫だから。虎さん、苦労しているようだけど、行くところあるの?アンチクショウを叩き出して、家で一緒に住まないかい?私のいい人になってくれる?私みたいな、お婆ちゃんじゃぁ、嫌?」「猫がトタン板を滑り落ちていくような声なんでしょ?ブリのアラみたいなツラなんでしょ?」「私、今度のことで、しみじみ懲りたの。一緒にあるについちゃ、世間を狭くした。虎さんは優しいでしょう?誠意がありそう。実がありそう」「ようやく気がついたな。ここに居て、いいの?俺は大事にするよ!」。大逆転劇。常の女房のおあきと、虎がいい雰囲気になってしまう。「色々、話もあるから、酒の支度をします。お膳も支度してあるんだよ」「凄いマグロ!」「さぁ、仕立ておろしの着物に着替えて。お酌してあげる。私のお酌で一杯、飲んでぇ」。

そこに、常がやってきた。「どうなっているんだぁ?いい芝居だな。俺の着物を着て、お酌させて。しなだれかかっているよ。隅に置けないな」。そして、予定通りの芝居をはじめる。「間男、見つけた!勘弁できねぇ!亭主の顔に泥を塗ったな!とんでもないアマだ!」。すると、おあきは居直る。「私は虎さんから、すべて話を聞いたんだよ。宿場女郎に売って、山分け?庖丁持って、何しているんだい?人間みたいにしてやったのは、私のお陰だろ?汚い着物着て、出ていけ!これからは私のいい人は虎さんなんだから。何か、言ってやって!」。答える、虎。「こういうことになっちゃった。とりあえず、引き取ってくれ」。「どうなっているんだ?」「こうなっているんだ」。おあきも、「虎さん、優しくしておくれ。捨てちゃ嫌だよ。大事にしてくれなきゃ、嫌だよ。飲み直そう!」。

退散した常が再び戻ってきた。「庖丁、ここに出せ!」「アコギだね。話をひっくり返しにきたのかい?四つに切るなり、八つに切るなりしなよ。さぁ、やってみろ!」に、「庖丁を魚屋に返しに行くんだ」で、サゲ。この噺の一番の面白さは、常の女房だったおあきの人物造型だろう。前半、芝居で虎が口説きにかかるのを、勝気な性格でやり返すところ。後半、常の企みを聞いて、虎の真面目なところを見込んで一緒にならないか?と可愛い部分を出すところ。そこには、情に流されない冷静な女の強さが流れている。性悪男の常よりも、一枚も二枚も上をいっていた、おあきのしたたかさを巧みに描く談春師匠の、もはや十八番になっている言ってよい高座だ。