神田松鯉 講談には男の美学があり、夢がある。そして、日本人が忘れてはいけない“惻隠の情”がある。

マイナビ新書から出版された神田松鯉著「人生を豊かにしたい人のための講談」を読みました。

新宿末廣亭の11月下席(21日~30日)夜の部は、毎年恒例の神田松鯉先生が主任を務める「赤穂義士伝特集」である。

21「殿中松の廊下」22「梶川与惣兵衛」23「大石東下り」24「神崎詫び証文」25「小山田庄左衛門」26「天野屋利兵衛」27「大高源吾」28「赤垣源蔵」29「義士勢揃い」30「荒川十太夫」

18年の暮れに放送した「忠臣蔵の世界」で「大石東下り」を皮切りに、19年夏の「怪談の世界」で「番町皿屋敷」、20年正月の「講談の美学」で「笹川の花会」をラジオの公開収録で読んでいただき、大変にお世話になった。

「講談の美学」の座談会で、松鯉先生が言ったお言葉が忘れられない。「長いモノには巻かれない、これが男の美学です」と。常々、講談の魅力は「男の美学」にあるとおっしゃっていた、松鯉先生のこのお言葉は僕の背中を結果的に押していただいた。人生の恩人だと密かに思っている。

先生が今回書かれた著書「人生を豊かにしたい人のための講談」でも、そのメッセージがくっきりと浮かびあがっていて、勇気づけられた。以下、抜粋。

私が思う講談の魅力は、「男の美学」にあると思います。とくに軍談から後世の世話物(義理や人情の葛藤を写実的に描いた作品)になると、主人公が大変魅力的です。弱い物はいじめない、長い物に巻かれない、人の窮地を見捨てない。確固たる自分を持っている。

その代表格は、都落ちする源義経一行が有名な安宅の関を越えるために一芝居を打ったという「勧進帳」でしょう。昔から大事にされていた「惻隠の情」という、相手の立場や気持ちを慮って行動する男たちの情けが描かれています。

義経を捕らえるために設けられた関所を何とか抜けるために、涙をこらえて主君である義経を打つ弁慶。その弁慶を信頼してすべてを委ねる義経の覚悟。相手の正体を知りつつも弁慶の忠義の心に打たれ、関所の通過を許す関守の富樫。敵対する関係にありながら、相手の気持ちを慮り、情けをかけて通行させる。美しい心情です。以上、抜粋。

さらに松鯉先生は「天保水滸伝 笹川の花会」も例に挙げて、笹川繁蔵の花会に、険悪の中だった飯岡助五郎の名代で出席した政吉に肩身の狭い思いをさせないよう、祝儀の金額を一桁多く発表する部分を紹介し、講談の美学は男の美学に通じると書いている。そして、それは日本の現代社会においても忘れてはならない、とこの著書で訴えているところに改めて感銘を受けた。以下、抜粋。

戦後になり、日本は急速に利益共同体へと傾きました。それはそれで、新しい「個の確立」に繋がり、個性を大事にできるメリットもあるのですが、個を大事にしすぎるあまり「自分さえよければ」といった方向へと進んでいるようにも感じます。惻隠の情や、相手を慮る思いやり、人と人との絆といった、運命共同体的な要素を欠落させてしまったようにも思えるのです。

人間というのは共生動物ですから、どんな立派な人でも一人では生きてはいけません。人との繋がりを大事にする必要がありますし、相手を慮ることが欠かせません。その「慮り」の最上の形が「惻隠の情」なのです。講談は人間が「美しく生きる」という姿勢が描かれていて、大事なことを思い出させてくれます。以上、抜粋。

そして、コロナ禍という現在をも含めて、松鯉先生は「講談には夢がある」と説き、日本人全体がこういう大変な時期だからこそ、夢を持って生きていこうと、明るい提案をしている。以下、抜粋。

勧善懲悪が根本の講談は、必ず悪が滅びて正義が勝ちます。今は本当に苦労しているけれども、やがてその努力が報われたり、理解される日が訪れて、ハッピーエンドに終わります。その過程に男の美学が存在し、夢があるのです。講談を聞けば、自分自身も負けずに立ち向かう前向きな気になりますし、物語と自分の人生を重ね合わせて、「いつかきっと自分も・・・」と救われることもあるはずです。講談で勇気づけられることもたくさんあるのです。(中略)

いま、新型コロナウイルス感染拡大などで、元気を失くしている世の中です。つらく苦労している人も多いでしょう。人間は、夢がないと生きられません。心に講談があれば、どんなに今がつらくとも最後はハッピーエンドだと耐え忍ぶことができるはず。こんな時代だからこそ、講談の夢の力が大切だと改めて感じています。以上、抜粋。

松鯉先生のおっしゃる通り、「いつも心に講談を」持っていたい。僕を勇気づけてくれる講談に出会えたことに感謝である。先生、ありがとうございます。