貞鏡のネタおろしor虫干しの会 一龍斎貞鏡「紀伊國屋文左衛門 百萬両宝の入船」、そして神田梅之丞勉強会「敵討母子連れ」

「貞鏡のネタおろしor虫干しの会~一龍斎貞鏡独演会」に行きました。「修羅場日記 育児編」と「紀伊國屋文左衛門 百萬両宝の入船」の二席。前講は一龍斎貞昌さんで「木村又蔵 鎧の着逃げ」だった。

「百萬両宝の入船」。紀州の廻船問屋、紀伊國屋文左衛門にとって、嵐が続く熊野灘、遠州灘を潜り抜け、江戸へ辿り着くことは「運試し」と言っていたが、それは人生を懸けた大博奕だったのだと思う。

11月8日の江戸の鞴(ふいご)祭りに必要な蜜柑は悪天候が続いて、高騰し続け、祭りが出来るかどうかも判らない状況に追い込まれた。そこに目を付けたのが文左衛門だ。困窮して五艘あった船のうち、四艘は売り払ってしまった、残りの一艘の明神丸も質屋に預けてある。この苦境を脱するには、紀州の蜜柑を荒波の中、運搬して一山当てるしかない。

女房お貞の父、藤波河内に頼みこみ、千両を借りて明神丸を請け出し、蜜柑三万八千個余りを買い付けて、江戸まで運び込みたい。そのためには優秀な船頭が必要だ。どざえもんの千八と渾名された親分のところに「金儲けの相談」と頭を下げに行くが、時化が続く中、そんな危険なことは出来ないと断られる。

だが、文左衛門に味方してくれたものが二つあった。一つは千八の女房のお梶だ。船頭一人に対し、五十両を出す、内金二十五両は先払いするという文左衛門が出した好条件にお梶は「嵐が怖くて船が出せないのか?」と亭主を口説く。

そして、もう一つは文左衛門の強運というか、度胸である。千八を中心に船頭仲間は時化で暇なため、博奕をしていた。それを見た文左衛門は賽を借り、「これでピンが出れば、船に乗ってくれ。それ以外の二から六の目が出たら、俺の負けだ。百両渡して引き下がる」。まさに大博奕だ。果たして、文左衛門はその大博奕に勝ち、千八に「あなたは運が強い。お伴しましょう」と言わせた。

そして、江戸向きに風が吹いたところで出発し、千八以下、黒兵衛、清蔵、一平らを乗せた蜜柑船は運も味方して、見事に11月1日に江戸に到着。鞴祭りにも間に合い、紀伊國屋文左衛門は大儲けをしたという…。痛快な高座だった。

神田梅之丞勉強会に行きました。「日本名刀伝 正宗の婿選び」「天保水滸伝 潮来の遊び」「敵討母子連れ」の三席。

「敵討母子連れ」は菊池寛原作。竹之助にとっては父浜村佐兵衛を殺した高木主馬は幼年時代から母親にいつか必ず仇討するようにと言われ続けてきた敵である。しかし、毎日のように一緒に千住大橋で隅田川に釣り糸を垂れていたことで、親子ほど歳の離れた友人のように心の交流をした高木に対し、とても仇討などできる気持ちにはなれないという苦渋がよく伝わってきた。

竹之助は元服すると、母とともに父の敵である高木を探す仇討の旅に出た。父は元水戸藩馬廻り役だったが、高木主馬との果し合いの結果、両家お取り潰しとなり、「高木が江戸にいる」という情報から、江戸で敵を探す日々を送った。だが、竹之助は文武が苦手で学問を好み、体も弱く、ある日高熱を出して倒れると、医師の見立ては労咳で、「釣りなどして静養するように」と言われた。

そこで出会った品の良い老武士は釣り餌や糸の長さなどを丁寧に教授してくれ、その優しさに竹之助はいつしかやすらぎを覚える。あるときは足を滑らせて川に落ちたが、釣り竿を差し出して助けてくれた。命の恩人だ。その人物が誰であるか、母は中間の元八に依頼して調べさせると、何と敵の高木主馬であることが判明する。叱責する母とは対照的に竹之助は高木を恨む気持ちなど沸かず、あの慈愛に満ちた顔を思い浮かべると逆に感謝するというのも理解できる。

やがて、竹之助は高木主馬へ仇討せんと名乗るが、高木はいたって温厚である。きっとずっと前から竹之助が浜村佐兵衛の息子であったことを判っていたかのようだ。「私はあなたを子か孫のように思っていた。迷惑はかけられない。老い先短い命だ、捧げよう」と言うが、竹之助は「斬れません」。高木が「愚か者!武士の大義を忘れたか」と言うと、竹之助は「この人は敵じゃない。歳の離れた友人です。あなたのことは斬れません」。「わしはそなたに斬られたい」「私はあなたを斬ることはできません」。何と美しい光景であろうか。

二人の様子を見守っていた竹之助の母と中間の元八が痺れを切らして高木に襲い掛かると、竹之助と高木の刀は見事相討ちとなって両者は崩れ落ちる。「冥途の旅にお伴いたします」「三途の川で釣り糸を垂れよう」。お互いを思い合いながら死んでいく二人の姿に男の美学を感じた。