田辺いちか真打昇進披露興行「忠僕直助」「名医と名優」

泉岳寺講談会の田辺いちか真打昇進披露興行に行きました。

「扇の的」神田鯉花/「狩野芳崖 仁王捉鬼図」神田織音/「河内山宗俊 松江侯玄関先」神田松鯉/中入り/口上/「古橋廣之進」田辺一邑/「忠僕直助」田辺いちか

口上の司会は織音先生。「いちかには講談の神様が宿っている」。講談協会が一般社団法人になって第1号の真打誕生。冬は義士、夏はお化けで飯を食う講談師のメッカである泉岳寺での披露目。さらに10月14日は三方ヶ原軍記の一言坂の戦いがはじまった日。そして、人間国宝の神田松鯉先生が口上に並ぶという…。それだけの期待を背負ったいちか先生の益々の精進を願った。

松鯉先生。近年、若手の活躍で講談界が活性化してきた。その活性化前の「講談が売れない低迷期」に入門をしたことはいちかさんの手柄だ、本物の志を感じる、その心掛けに敬意を表する、と絶賛。いちかさんは一鶴先生の孫弟子にあたるが、私の師匠二代目山陽と一鶴先生は家族同様の付き合いをした。よく平井の御自宅にも伺った。吉行淳之介先生の企画で「一鶴・連山奇人変人二人会」が開かれたのを思い出す。連山は私の兄弟子です。一鶴先生が「東京オリンピック」で売れ、連山兄さんが「ラバウル戦記」で売れた…。懐かしそうに思い出を語る松鯉先生が「講談界も新しい時代を迎えた」と言って、いちか先生の活躍に大いに期待した。

一邑先生。直弟子としては初の真打昇進に、「いちかを一から育てたのは私です」。私の師匠一鶴は破天荒だったが、「弟子を取れ」と口癖のように言っていた。私の前座時代は寄席にお客様が一人も入らずに休席になったこともあるほど低迷していた。それが松鯉先生の弟子の伯山さんが講談界を盛り上げ、ここまで来たことは感慨深い、と。いちかを陰になり、日向になり、応援してくださいと頭を下げた。

いちか先生の「忠僕直助」。恩人に恩を返す読み物を読みたい、と。二親を亡くした直助を自分の子どものように育ててくれた岡島八十右衛門への忠義心を丁寧に描いている。

大野黒兵衛に鈍刀を馬鹿にされ、知行泥棒、禄盗人と罵られた岡島に立派な刀を贈りたい、それも稼いだ金で買うのではなく、自分で鍛えた刀を渡すことが本当の孝行ではないかと考えた直助はすごいと思う。

名人と名高い津田越前守助広に弟子入り志願し、他の弟子より二倍も三倍も修業を積んで早く一人前の刀鍛冶になろうという志が見事だ。10年修業した惣領弟子の三八に代わって自分が師匠の向こう槌を勤めたいと、3年しか修業していない直助が直訴したのは、普通に考えれば無茶な話であるが、直助にはそれだけの自信を裏付けする努力があったのだろう。師匠助広の「打ち損なったら破門だ」と言って、その覚悟を見ようとする寛大さが素敵だ。

果たして、直助の向こう槌は助広が「お前は誰の弟子だ?これまで、どこで修業してきたのだ?」と疑うほど、素晴らしいものだった。「久しぶりにいい汗をかいた。息の合った仕事が出来た」。直助の腕前は「脇で10年修業してきた腕前」だと言われ、こんな嬉しい言葉はないと師匠に事情を説明する。

師匠助広はそれで納得した。つまり、心掛けが良いから腕前も上達したということだろう。「斬れる刀を鍛えたい」と思っていると、悪刀しかできない。だが、恩人に恩返しがしたいという一心で修業した直助だから、「高貴な刀」を鍛えることができる。要は了見なのだ。

直助は助広の養子となり、津田近江守助直となって、自分の鍛えた刀を持参し、赤穂へ帰り、岡島八十右衛門に再会、贈呈した。岡島はその刀を用いて、吉良邸討ち入りをして、見事仇討本懐を遂げる。いちか先生の思いが伝わる高座だった。

新宿講談会の田辺いちか真打昇進披露興行に行きました。

「ドン・キホーテ 109との戦い」宝井一凛/「一心太助 旗本との喧嘩」田辺凌鶴/「清水次郎長伝 お民の度胸」宝井琴調/「野狐三次 木っ端売り」宝井琴柳/「水戸黄門漫遊記 農は国の基なり」宝井琴梅/中入り/口上/「鼓ヶ滝」田辺一邑/「名医と名優」田辺いちか

口上の琴調先生。県民性はその土地で生まれた歌に表れる、熊本出身の私は♬嫁入りしたこつぁしたばってん(おてもやん)で、非常に陽気。いちかの出身は福岡で、♬都会では自殺する若者が増えている(井上陽水 傘がない)と陰気。でも、いちかはとても明るい子に育ちました!これからもいちかに優しい言葉を掛けると同時に、御祝儀もあげて応援してください!と乞い願った。

琴柳先生。いちかは二ツ目になった頃から、真打に負けないくらい、キラッと光るものがあったと言って、自分の禿げ頭をさすったのが可笑しい。私はいちかが若い頃から大好きだった、「いちか、ばちか」の勝負…と冗談を飛ばした。

琴梅先生。2つ驚いたことがあった、と。9月2日の読売新聞で見開き2面にわたって、「2人の新真打誕生」という見出しで、一花さんといちかの特集を組んでいたこと。それだけ、お客様の期待が大きいからマスコミも取り上げるのだろう。もう一つはNHKの「熱談プレイバック」で作家・宇野千代さんの生涯を、いちかが講談で読んでいたこと。その中で、「人間の能力は氷山の一角しか現れない。もっと水中深くに潜っているものを引き出さなければならない」という宇野千代の言葉が印象に残った、と。司会の凌鶴先生が「一角と一鶴を掛けてくださってありがとうございます」と受けた。

一邑先生。師匠一鶴の預かり弟子として凌鶴、一乃を引き受けたが、直弟子として真打になるのはいちかが初めて。いちかにも将来、弟子を取って育ててほしいと願い、「一人前になるまで15年かかるので、自分の体力の限界から逆算して弟子を取らないといけない」。どうか、いちかを末永く見守ってほしいと呼びかけた。

いちか先生の「名医と名優」。男と男の約束を見事に果たす、中村歌右衛門と半井源太郎の“覚悟”に、いちか先生の講談に懸ける思いがオーバーラップして、とても良かった。

歌右衛門の眼を荒療治の末に治した半井は200両という謝礼を固辞する。「病を癒す医者と人の心を癒す役者はお互い同じ生業だ」と言う半井に対し、歌右衛門は謝金を払おうとしたことがかえって無礼だったと気づくところに、お互いの職業に対するリスペクトがあるのだと思う。だから、歌右衛門は「半井先生に万一のことがあれば、手紙一本でどんなことがあっても駆け付ける」と約束するのだ。

半井は世渡り下手で貧乏医者としてくすぶっているのも、「私は幇間ではない」という医者の矜持があるからこその裏返しだろう。向島上半で土方縫之助から踊るか、歌うかしろと命じられても、決してそれに従わない。土方の挑発に抗うために、3年前の歌右衛門との約束という切り札を使うこと、それは半井にとって「このときが万が一のとき」という苦渋の決断があったことも窺える。

歌右衛門は半井の施術を受けるときに、「役者は舞台が命。目が見えぬは役者は死んだも同じ」と言った。歌右衛門が中村座春狂言の楽屋で半井からの手紙を受け取って、座元に事情を話したとき、座元は「舞台が命ではないのか」と詰問される。だが、そこで「その命を与えてくれたのは半井先生」という強い思いがあったからこそ、満員の客席を説得することができた。

今、駆け付けなかったら、役者として、人として、三文の値打ちもない。命を懸けて、御願い奉ります。客席は共鳴し、舞台を後廻しにして今半へ駆け付けろと応援した。役者冥利だろう。そして、土方らの前で「恩人の命に代える舞い」を舞う。胸に迫る高座だった。