林家二楽一周忌追善興行

上野鈴本演芸場九月中席夜の部四日目に行きました。今席は林家二楽一周忌追善興行だ。去年一月に三代目正楽一周忌追善興行があったばかりなのに…二楽師匠の死は余りにも早すぎる。

「道灌」入船亭辰むめ/「野ざらし」春風亭百栄/紙切り 林家八楽/「宮戸川」三遊亭歌奴/「家見舞」入船亭扇遊/紙切り 林家楽一/「マキシム・ド・吞兵衛」五明楼玉の輔/「午後の保健室」柳家喬太郎/中入り/鼎談 桂小南・柳家喬之助・林家八楽/「夢の酒」入船亭扇辰/紙切り 林家楽一・林家八楽

鼎談のゲストとして、落語芸術協会理事で二楽師匠の実兄である桂小南師匠が出演したことは素晴らしい。鈴本演芸場には出演できない芸協の噺家が舞台にあがったことは快挙であり、落語協会、落語芸術協会、そして鈴本席亭の英断に敬意を表したい。

二楽師匠の結婚式の話。三代目正楽師匠(当時は小正楽)が仲人で、司会は喬太郎師匠。正楽師匠が新郎新婦のプロフィールを紹介するときに、それが書かれた紙を持ったが、体が揺れていて、紙切りの高座のようだったというのは、若干の脚色はあるだろうが、面白い。

二楽師匠が入門5年目のとき、フジテレビ「笑っていいとも」のコーナーレギュラーを勤めたことがあったそうだ。タモリさんが視聴者からのハガキを読んだ後、そのハガキを内容に沿って紙切りするという企画だったらしい。ある日、父親の二代目正楽師匠が見学に来ていて、飛び入り出演した。二楽師匠は「俺のコーナーなのに」と文句を言うと、父親は「俺だってタモリさんと一緒にテレビに映りたいんだよ」と言ったらしい。微笑ましい。

鈴本の紙切りで使用されているOHP。現在日本では製造されていないらしい。僕らの子ども時代には視聴覚教室があって、必ずOHPがあったものだが。正楽襲名披露興行の大初日。そのOHPの電球が切れた。近所の電器屋を探したが、どこにも置いていない。番頭をしていた喬之助師匠が必死で2ちゃんねるで型番を書きこんで呼びかけ、ようやく秋葉原の電器屋で見つけて事なきを得たそうだ。

鼎談の最後に、小南師匠が紙切りを披露した。噺家になる前に、若干父親に稽古をつけてもらっていたそうで、小猫を鮮やかに切り抜いた。お見事である。ちなみに、八楽さんも楽一師匠も最初は馬から入ったそうだ。

主任の高座は楽一、八楽が並んでの高座。八楽さんが鳥、楽一師匠が馬を切り、合体させて、ペガサスに!お客から「晴れのちカミナリ」という注文が出た。二代目正楽が著した「正蔵師匠と私」を原作にして、平成元年にNHKで放送されたドラマである。正蔵(のちの彦六)師匠が正楽師匠に雷を落としているところを八楽さんが切った。さすがである。

ウルトラマンとジャミラという注文で、楽一師匠がジャミラを担当することになったが、詳しくない楽一師匠は何と怪獣図鑑を取り出し、「21ページにある」と言って、カンニングをしながら切ったのがとても微笑ましかった。「スノーマンの注文で雪だるまを切った。師匠正楽はYOASOBIの注文に、補導されている女子高生を切っていた」と言うと、八楽さんが「二楽もちいかわの注文で、チーカマ(チーズカマボコ)を切っていた」。面白い。

最後の10分は八楽さんが二楽劇場を再現してくれた。音楽に乗せて、紙切り作品を次々と映し出し、ドラマにする演出。中村雅俊の「ふれあい」で、捨て犬を拾った男性が大家さんにペット禁止と怒られて…ちょっぴり切ない、だけど心温まるストーリーを展開した。

もう一つは小林幸子の「元気でいてね」。僕は去年の正楽一周忌追善興行のときに二楽師匠がこれを披露していたのを覚えている。お母さんとお父さんに感謝して嫁入りする娘の物語だったのだが、今回はこれを八楽さんが父二楽への感謝をこめたバージョンに作り直していて、胸がキュンとした。最後の「遠く離れ離れになっても、ずっと元気でいてね」という歌詞が滲みた。

楽一師匠と八楽さん、紙切りの魅力、ひいては寄席の魅力をいつまでも伝え続けてくださいね。