【アナザーストーリーズ】『キャプテン翼』~サッカー漫画が起こした“革命”~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 『キャプテン翼』~サッカー漫画が起こした“革命”~」を観ました。
僕が高校生のときに週刊少年ジャンプで連載がスタートした「キャプテン翼」。僕はそうではなかったが、同級生たちがこの漫画をきっかけにサッカーに夢中になっていたことはよく覚えている。それから12年後の1993年にJリーグが開幕したときは、報道の現場でその熱気をテレビを通じて伝えた。僕らが小学生だった頃は野球人気一辺倒だったが、その後サッカーが人気を二分する存在になったのは、とりもなおさず「キャプテン翼」によるところが大きいだろう。一つの漫画としてではなく、社会現象としてこの漫画を捉えた、よく出来たドキュメンタリーだった。
1960年代、サッカーはマイナースポーツで、「天皇杯決勝がどこかの高校のグラウンドでおこなわれた」くらいに酷い扱いだったと、元日本サッカー協会会長の川淵三郎は振り返る。ワールドカップなんて、夢のまた夢。68年にメキシコシティオリンピックで日本代表が銅メダルを獲ったときに一時的に人気が出たが、70年代はまた低迷した。
78年にブラジルから来日し、日本でサッカー教室を開いたセルジオ越後は当初、子どもたちは野球のスパイク、野球帽、体操服で指導を受けていたという。あくまでも体育の授業で経験するスポーツの一つでしかなかった。それが、4年後に変化が起きる。子どもたちが目の色を変えて練習するようになった。それは81年に連載開始、83年にテレビアニメの放送がスタートした「キャプテン翼」の影響だった。
オーバーヘッドキック。ドライブシュート。子どもたちはペレやマラドーナに憧れるのではなく、「大空翼になりたい」とサッカーをはじめた。サッカー人口は連載開始6年で30万人から60万人に倍増した。
中田英寿は小学校3年生のときに、野球にするか、サッカーにするかと悩み、サッカーを選んだ。翼のライバル、立花兄弟のスカイラブ・ハリケーン。キーパーの若島津の三角飛びと呼ばれるスーパーセーブ。これらを見て、刺激を受けた。「キャプテン翼」がなかったら、サッカーをやっていなかったかもしれない、「キャプテン翼」がサッカーそのものだったという。
野人という愛称だった岡野雅行も「キャプテン翼」の中の、「ボールはこわくない。ボールはともだち」という言葉に魅了された。ボールを抱いて寝たという。自由に蹴って走り回るプレースタイルは翼からヒントを得た。日本サッカー協会は夢を具現化しようと、プロリーグを立ち上げた。93年のJリーグ開幕。キャプテン翼世代が躍動した。
97年、マレーシア・ジョホールバル。ワールドカップ、アジア最終予選のイラン戦。勝てば初の本大会出場が決まる試合で、岡田武史監督は岡野を投入。その岡野がゴールを決めて、ワールドカップへの切符を手にした。新たな扉が開いたのだ。
「キャプテン翼」の作者、高橋陽一は1960年、東京葛飾の生まれ。幼少期から野球に親しみ、野球漫画を描いていた。高校でも軟式野球部に入部。卒業すると、プロの漫画家を目指した。78年、集英社編集部に2本の作品を持ち込む。1本はSF、もう1本は西部劇。応対した編集者の鈴木晴彦は「あなたの好きなものは何か」と問い、スポーツが好きならスポーツ漫画を描きなさいと助言した。
野球漫画で新人賞に挑戦するも、「あなたらしさがない」と応募させてもらえなかった。そこで高橋の脳裏に全く別のスポーツが浮かんだ。高校3年生のときに観た、ワールドカップのアルゼンチン大会。NHKが初めてテレビ中継したのを観て、面白いと思ったのだった。「友情のイレブン」という作品を描くも、佳作。入選しなかった。さらにサッカーにのめり込み、「キャプテン翼」で応募。見事に入選し、連載が検討されるも、2度却下されてしまう。
本当に描きたい漫画は何か。肚を括った。ワールドカップ優勝を目指す少年の物語を描こう!設定を中学生から小学生に変更し、主人公の名前も翼太郎から大空翼にした。サッカーを知らない元野球少年が描いた「夢を実現しよう」と努力する“少年性”が功を奏した。81年3月31日、週刊少年ジャンプで連載スタート。従来のスポーツ漫画から暗さを排除した、スポ根とは一線を画す“爽やかさ”が受けたのだ。
「キャプテン翼」の影響力は海を超える。2010年のワールドカップ南アフリカ大会で優勝したスペイン代表のセスク・ファブレガスは1990年、6歳のときにスペインで放送された「キャプテン翼」のアニメを夢中で観た。大空翼は中学を卒業すると、ブラジルに渡り、やがてスペインのFCバルセロナに所属する。そのストーリーに衝撃を受けたという。特に印象的だったのは、心臓に疾患を持ったライバル三杉淳との友情だ。「人としての在り方、友人、仲間の素晴らしさ。彼らのように成長したいと思った」。
個人の考え、仲間意識、成長すること、勝ちたいと思うこと、負けることを知ること…。価値観を育む時期にスポーツの素晴らしさを知り、作品とともに成長したことは重要だったと振り返る。
アルゼンチンのリオネル・メッシも「僕もいつの日か翼のようになりたい。そう思いながら毎日ボールを蹴っていたよ」。イタリアのフランチェスコ・トッティも「不可能だと思うことも挑戦する。相手選手をびっくりさせるようなすごいプレーをする」。キャプテン翼の影響力を賞賛している。
20以上の言語で、50を超える国でアニメが放送された「キャプテン翼」。連載スタートから45年経った今も、高橋陽一は漫画の設計図であるネームを描くことで、物語を紡いでいる。体力が衰えても、「ワールドカップ優勝」までの道のりをまだまだ歩み続けている気力に感服した。

