【アナザーストーリーズ】スクール☆ウォーズの衝撃 それはドラマかドキュメンタリーか

NHK―BSで「アナザーストーリーズ スクール☆ウォーズの衝撃 それはドラマかドキュメンタリーか」を観ました。
1984年にヒットしたTBSドラマ「スクール☆ウォーズ」は京都市立伏見工業高校ラグビー部をモデルにした番組だが、まずは馬場信浩が著したノンフィクション「落ちこぼれ軍団の奇跡」、そして80年に放送されたNHKの「ルポルタージュにっぽん 泣き虫先生と60人のラガーメン」が下敷きにあることが興味深かった。
「奥様は18歳」や「赤い運命」などを手がけた大映テレビのプロデューサー・春日千春は馬場の著作を読み、ドラマにしたいと考えた。テーマは「ひたぶる」。ひたむき、一途という意味だ。愛とは相手を信じて、待って、許してやることだ。「スポ根は時代遅れ」と言われた潮流に抗うように企画を進める。主役の川浜高校ラグビー部監督・滝沢賢治には山下真司を抜擢した。「太陽にほえろ!」のスニーカー刑事役で人気を得たものの、主演は初めてだった。山下は振り返る。過酷な撮影現場で、寒い、危険、痛いのは当たり前。「わしらが感じていたラグビーとちゃうで!」と言われるのが一番怖かったという。
放送は土曜夜9時。「落ちこぼれ」という表現にテレビ局が難色を示したため、当時の大ヒット映画「スターウォーズ」にあやかって、「泣き虫先生の7年戦争 スクール☆ウォーズ」に決まった。初回放送の視聴率は6.9%。だが、第7話に不良少年の大木大助が登場すると状況は変わっていく。演じたのはデビュー4年目の松村雄基。入学早々に暴力事件を起こし、退学に追い込まれた大木を山下演じる滝沢が救う場面。大木は滝沢の姿に「思いやりの心が本当にあるとは。ラグビーに負けたよ」と滝沢とともに大泣きする。嘘ではできない、本当の涙を流した。そして、号泣シーンはこのドラマの代名詞になった。
松村以外の部員役は演技経験の少ない、素人同然の俳優の卵だった。実際に伏見工業の映像を見て研究。「俺たちは役者なんだ。芝居では負けないようにやろうぜ」と松村が檄を飛ばした。滝沢監督役の山下は現場に台本を持って来ない。すべて頭の中に叩きこんで、撮影に臨んでいた。松村は他の部員と山下のパイプ役となった。
有名なシーンがある。強豪校に0-109で惨敗したときのロッカールームだ。監督が言う。「悔しくないのか!それでも、お前ら男か!」。これに対し、森田光男役の富田恭男が答える。「負けるのが当たり前と思っていた。悔しいです!」。監督は続ける。「悔しさを吐き出した後、俺はこれからお前たちを殴る。いいか。殴られた痛みなど、三日で消える。だがな、きょうの悔しさだけは絶対に忘れるなよ」。体罰への批判もあり、物議を醸したが、山下はこう振り返る。「視聴者の人たちも皆『悔しい』と思ったのではないか。10代の多感な時期に自問自答したことは、今でも心の中に残っていると思う」。
監督と部員のラグビーを通じた絆は、ドラマを超え、「大映ラグビーチーム」の結束を固くした。そして、最高視聴率は21.8%に達した。「ここは学校じゃない!戦場だ!」「お前らはゼロか?ゼロの人間なのか?」「残された時間を燃焼させろ。そこにお前の命の輝きがあるんだ」。多くの名台詞を残したドラマは、山下や松村のその後の俳優人生においても大きな自信になったという。
ドラマの滝沢監督のモデルになったのが、伏見工業ラグビー部監督・山口良治だ。「ルポルタージュにっぽん」の映像の中で、山口は部員にこう訴えている。個人にとって大事なこと、これは意地がなかったら駄目だ。この“意地”がなんで必要なのかというと、期待に応えなかったら笑われる、期待されないような人間になったらあかん。どんなことだって、お前らはやってのけられる。本当だ」。
山口は1960年代後半から70年代前半にかけて、日本代表として世界と戦ってきた。当時の日本代表監督、大西鐵之祐の座右の銘「信は力なり」が底辺にある。74年、山口は伏見工業に体育教師として赴任した。生徒は酒、煙草、バイク…不良の巣窟のようだった。バイクで校内を走り回るという嘘のようなことが本当にあった。
75年。伏見工業は花園高校に0-112で屈辱的な敗北を喫した。山口は泣きながら、「悔しくないのか!」と思いを爆発させた。当時を振り返ってこう語っている。「よし、手をつなげ」って、花園高校に追いつき追い越すまで、先生は頑張るし、お前たちも頑張るんだぞ、俺たちがやるんだぞって。グーっと握り合ったら、涙で濡れた手がね、感触がね、今でも残っています。
部員は「打倒花園」と、目の色を変えて練習に励んだ。山口は部員全員と交換日記を交わし、心の成長を見守った。そして、76年6月5日。京都府春季大会決勝を迎える。山口は部員に手紙を書いた。「雪辱の執念に燃えろ!勝利=初優勝=感激=誇り=伏工の新しい歴史の創造=青春=思い出。それは皆の捨て身のタックルから生まれるのだ」。そして、伏見工業は18-12で花園を破った。
奇跡が起こったのだ。スタンドには入部したばかりの山下清悟がいた。京都一のワルと呼ばれ、「スクール☆ウォーズ」で松村雄基が演じた大木大助のモデルになった人物だ。「泥だらけの勝利に感動し、頑張ろうと思った」。山下は2年生で才能を開花させ、78年、79年と高校日本代表に選出されるまでに成長した。1979年、全国大会初出場でベスト8に進出した。
どんなことだって、努力したらできるんだ。大八木淳史は「お前がラグビーを始めたら、きっと日本を代表する選手になる」と口説かれ、入部。活躍した。大八木の一年後輩の平尾誠二がキャプテンを勤めた80年に、伏見工業は念願の全国制覇を遂げる。山口が就任以来、7年目にして夢は現実となった。
山下清悟は卒業後、教師となり、伏見工業ラグビー部監督を勤め、定年後も常勤講師として働いている。大八木淳史と平尾誠二は同志社大学の選手として84年度の大学選手権決勝で慶應を破り、史上初の三連覇を果たす。大八木は「当たり前のことを当たり前にできる一人の人間として必要なことを山口監督から教わった」と振り返る。
現在、ジャパン・ラグビー・リーグワンの日野レッドドルフィンズでヘッドコーチを勤める苑田右二は「スクール☆ウォーズ」を見てラグビーを志した世代だ。大阪のリトルリーグで野球に熱中していた苑田は中学時代にラグビー部顧問に誘われ、ラグビーに転向した。決め手となったのは「スクール☆ウォーズ」の滝沢監督が言う「ラグビーは人生そのものだ。ボールへの執着心が勝利を呼ぶように、最後まで諦めない執着心が人生には必要だ」という台詞だ。
91年に啓光学園高校3年で全国大会優勝。92年に法政大学に入学し、1年生で全国大学選手権優勝を経験する。99年、00年と神戸製鋼で全国社会人大会連覇。03年にラグビーワールドカップに日本代表として出場した。「チャレンジすることによって、目標に達するんだ」。苑田は自分のラグビー人生の分岐点に「スクール☆ウォーズ」があったと振り返る。
伏見工業は2016年に統廃合で京都工学院高校となった。83歳になった山口良治が「信は力なり」と背中に書かれたユニホームを着て練習に励む選手たちを眩しそうに見ている姿が印象的であった。今年5月、逝去。ご冥福をお祈り申し上げます。


