ご存じ!夏の雲助一門会 五街道雲助「もう半分」

鈴本余一会「ご存じ!夏の雲助一門会」に行きました。
ご挨拶 雲助・白酒・馬石/「鰻の幇間」桃月庵白酒/中入り/「湯屋番」隅田川馬石/「もう半分」五街道雲助
ご挨拶。6月11日に急逝した蜃気楼龍玉師匠のいない一門会について、白酒師匠は「龍玉が卒業しました。酒宴では長っ尻のくせに、こういうことは早いんだから」と冗談交じりに口火を切った。今回、お客様全員に龍玉師匠の手拭いが配られたのだが、その理由を馬石師匠が説明した。通常、噺家はお正月に向けて手拭いを発注するが、一反で11本の手拭いができるので、およそ100本を目安に注文する。ところが今年、龍玉師匠は何を勘違いしたのか、100本を100反と取り違えて注文してしまい、1100本の手拭いが届いてしまった。「お客様に配っても、700本ほど余っています」。涙が笑いに換わるのが良い。
昨日が四十九日。雲助師匠は「一番手間のかかる子だった」。前座時代は師匠宅に10時に来ることになっていたが、電話がかかってきて「風邪をひきまして」と言うが、「明らかに二日酔いの声」。5回遅刻したら丸坊主という規則を作ったら、3回丸坊主になって、そのうち本人が丸坊主が気に入っちゃって、定着。これでは罰にならないから、「片方の眉毛を剃れ」と言ったことがあるとか。
前座時代の住まいは、当初秩父から2時間かけて本所の師匠宅に通っていたので、見かねた馬石師匠が月額2万1千円のアパートを探してあげたそう。二ツ目昇進が決まると、寄席には行くが、師匠宅に来なくなった。見て来てくれと頼まれ、馬石師匠がアパートに行くと、「二ツ目になるのが嫌だ」と言う。二ツ目になると給金がなくなるというのが理由らしい。師匠雲助もどう説得していいのか戸惑ったという。白酒、馬石含め話し合いの場を持ったが、埒があかないので、師匠は1万円を置いて「これで頼むわ」と去り、あとは3人で焼肉屋に行って酔っ払ってうやむやになったとか。二ツ目昇進後すぐに結婚して、「これで落ち着いた」。あれは、何だったんだろう?
元は大工だった。それも宮大工。だけど、器用かというと、これが不器用。「それは無口な噺家と同じだぞ」と言ったが、師匠宅の家具の組み立てもカーテンレールの設置も皆、兄弟子まかせで何も出来ない子だったという。白酒、馬石は素人時代に落語を演っていたから、最初は「道灌」を教えたが、龍玉は何も素地がないので、甘酒屋という小咄を教え、「覚えたら来い」と言ったが、一向に台詞が出てこない。「真っ白だったから、俺そっくり」になったと雲助師匠。寄席でのぼり(龍玉の前座名)が上がっていると、「雲ちゃん、もう上がっているの?」と先輩たちに言われたそう。「おかみさんに聞いてもらえ」と言われ、おかみさんも「これからのぼりの落語を聞かなきゃいけないの」と(笑)。
雲助師匠は「よくここまできた」と振り返り、覚えた量は師匠に追いつくほどだったという。「円朝モノもよく演っていた…勿体ない」。噺が長くなる傾向があり、15分でできる「親子酒」や「道灌」が20分にも、25分にもなる。それと同じネタを繰り返し演る。お客様から「またか」という反応があっても気にしない。あの度胸がすごかった。「鹿政談」ばかり演るので、雲助師匠が前に上がったときにわざと「鹿政談」を演って、封じたこともあったとか。
最後に雲助師匠が「蜃気楼龍玉の天国での弥栄を祈りまして…ヨー」。観客と一緒にチョン!と明るく手を締めた。
雲助師匠の「もう半分」。「もう半分」が口癖の八百屋のとっつぁんが置き忘れた五十両の入った風呂敷包み。荷売り酒屋の主人が届けてやろうとするが、女房がそれを止める。「いつもお前さんはもっと立派な店を持ちたいと言っているじゃないの。忘れた方がいけないんだ」と唆され、主人もその気になる。
この五十両にはとっつぁんの娘の優しさが詰まっていた。昔は青物問屋を手広くやっていたが、酒道楽で身を持ち崩し、棒手振り稼業に落ちぶれた。見かねた十九になる娘が「店を一軒構えて商売しておくれ」と吉原に身を沈めて拵えた五十両だった。「酒は飲まないで」と娘に言われたのに、「つい、少しぐらいはよかろう」と飲んだ。娘に合わせる顔もない。「飲んだ私が悪い」と諦めて帰る…。
そんな人情噺を聞いても、荷売り酒屋の主人は知らぬ存ぜぬを貫く非情。そして、「奉行にでも訴えられたら、俺たちの首は胴に付いちゃいない」と、出刃庖丁を手にして雨の中、とっつぁんをバラしちまおうと追いかけ、大川端で追いつく。「金はあったぜ。お前の言う金はコレのことか」と言って、出刃庖丁を見せる。ここから鳴物が入り、七五調の芝居台詞になるのが雲助師匠のカッコ良さだ。金を盗んだだけでなく、殺すと言うのだな…知れたことよ。…気の毒ながら命もろとも貰うのだ。今降る雨が末期の水。成仏しやがれ!
これぞ雲助落語!という高座で、「殺しの龍玉」と渾名された弟子を追悼した。見事であった。

