浪曲定席木馬亭 一龍斎貞鏡「八百屋お七」港家小柳丸「甚五郎 千人坊主」天中軒雲月「男一匹 天野屋利兵衛」

木馬亭の日本浪曲協会六月定席五日目に行きました。

「少年ねずみ小僧」東家一陽・東家美/「小猿七之助改心」港家小蝶次・佐藤一貴/「ささやき竹 婿取りの段」天中軒月子・旭ちぐさ/「野狐三次 木っ端売り」東家一太郎・東家美/中入り/「江戸相撲 蒙古襲来」東家孝太郎・玉川鈴/「八百屋お七」一龍斎貞鏡/「甚五郎 千人坊主」港家小柳丸・佐藤貴美江/「男一匹 天野屋利兵衛」天中軒雲月・沢村博喜

貞鏡先生の「八百屋お七」。本郷三丁目の八百屋久兵衛の娘お七(16歳)、火事で避難した小石川春日町の円乗寺にいた小堀権十郎の息子左門(18歳)と出会い、恋に落ちる。寺は女人禁制、さらに身分違いということもあって、離れ離れになった。そこに恋文の取次ぎをして両者から小遣い銭を取る植木屋の吉三郎が実は極悪非道の悪党だった。

「左門がお七に会えないで思い詰め、食事が喉を通らずに命が危ない」とお七に吹きこみ、「もう一回、江戸で火事でもあれば会えるかもしれない」と炊き付ける。お七は思い詰めた女の一念で付け火をしてしまう…。この騒ぎに乗じて、吉三郎は盗みを働くが、中山勘解由の取り調べに対し、「火付けしたのはお七だ」密告する。

お七は「左門会いたさ」で火付けしたと罪を認める。中山は何かお七を助けたいと、年齢を「十四だな」と誘導するが、お七はきっぱりと「十六です」と正直に答える。さすがの中山もこれでは助けることができず、晒し首となり死罪。お七は取り乱すことなく受け入れ、見事な死に様だったという。

一方の左門はこれを知り、自害しようとするが、住職が止め、出家。僧侶となって、お七の菩提を弔うために、諸国を行脚したという。歌舞伎などで知られる「八百屋お七」とは異なる講談の「八百屋お七」を聴けて良かった。

小柳丸先生の「千人坊主」。甚五郎の名人譚として興味深い。甚五郎を抱えていた大久保彦左衛門は島津薩摩守に「飯田丹下を負かした甚五郎は日本一だ」と吹聴すると、「その腕前を見こんで注文したい」と島津の殿様。五寸四方の板に千人坊主の浮かし彫り。仏師の運慶も、絵師の狩野芳崖も、九百九十九人までは達することができたが、あと1名で断念し、自害したという難題。

甚五郎も彦左衛門からこの注文を聞いたとき、「師匠から受けるなと言われた」注文だと一旦は断るが、出来なかったときは彦左衛門が切腹しなければいけないと知り、彦左衛門への恩返しのつもりで受けることに決めた。精進潔斎して臨んだが、百日の期限までに九百九十九人は彫れたが、あと1名が出来ない。

彦左衛門は九百九十九人のまま、島津の殿様のところへ持って行ってしまった。だが、その晩に甚五郎の夢に旅の出家が現れる。九百九十九人を抱える大僧正だった。甚五郎はすぐさま、これを彫って島津の屋敷に駆け付け、見破られた彦左衛門が切腹する直前に間に合ったという…。千人坊主の謂れの一席、面白い。

雲月先生の「天野屋利兵衛」。天野屋と松野河内守の心の駆け引きの美学である。夜討ち道具の用意を誰に頼まれたのか、決して口を割らない天野屋に対し、河内守はお白州に天野屋倅の吉松七歳を連れ出し、火責めにすると言う。これに対して、動じない天野屋の言葉が胸を打つ。

河内守は情に脆いと世間の人は言うが、嘘だ。拷問は覚悟の上なれど、西も東もまだ分からぬ僅か七つの吉松を連れ出すとは。泣くな、嘆くな、吉松よ。お前ばかりを殺させるつもりはない。三途の川へすぐ行くぞ。

「やめてくだされ。申します、白状します。頼まれましたのは、播州赤穂の浅野様、城代家老の大石内蔵助という人」と口まで出たが、そうじゃない。もしもそれを言うたなら、大石様をはじめ同志の方々の苦労が水の泡になってしまう。火責め、水責め、何のその、ここが我慢のしどころ。

河内守が「天野屋は血も涙もないのか」に、天野屋は男と見こまれた上からは決して白状致しません。たかがこれくらいのことで白状しては、頼まれました甲斐がない。天野屋利兵衛は男でござる。

これを聞いた河内守は「本年はこのまま入牢を申し付ける。体を大事にせよ」と言うあたり、名奉行である。