津の守講談会 神田春陽「徳川天一坊 偽御落胤誕生」天一坊生い立ち~伊予の山中

津の守講談会初日に行きました。今月は「徳川天一坊 偽御落胤誕生」と題した三日間で、神田春陽先生が主任を勤める。
「猛獣使いお藤」宝井小琴/「鋳掛松」宝井琴調/中入り/「賎の苧環」田辺銀冶/「徳川天一坊 天一坊生い立ち」神田春陽
春陽先生の「天一坊生い立ち」。将軍吉宗が紀州で若君だった頃に、家老に奉公していた沢野という女性にお手付きをして、沢野は身籠る。母おさんのいる平沢村に出産のために帰郷する際、若君は生まれた子が男の子なら御落胤である証拠として、お墨付きと名刀志津三郎兼氏を渡す。
果たして、産まれた子は男の子であった。だが、残念なことにお七夜を待たずに亡くなってしまい、また沢野も産後の肥立ち悪く、この世を去る。残されたおさんは悲しみの余りに気が触れてしまった。そこで、平沢村の隣村、平野村に住む親戚の甚右衛門が預かる。
おさん婆さんのところに用事を頼んで訪ねさせた。ふとしたことから、おさん婆さんは「不思議なことがあるものだ」と言う。娘沢野が産んだ男の子が生きていれば、戒行と同じ歳、しかも同年同月同日の生まれだという。そして、その子は生きていれば将軍吉宗の御落胤だったと言って、戒行に証拠のお墨付きと短刀を見せた。
戒行はここで悪い考えをおこす。このことを知っているのは、おさん婆さんと自分の二人きり。自分が御落胤だと名乗り出れば、天下を取れるのではないか。おさん婆さんの首を絞め、炉で死骸を焼却してしまう。さらに師匠の感応院も毒キノコで毒殺。甚右衛門には修験者になる修業の旅に出ると言って、紀州を去る。そのときに自分の衣類を脱ぎ捨て、殺した犬の血を付けて、まるで賊に襲われたように装った。戒行という存在を抹殺したのである。
そして、熊本に行き、加納屋利兵衛の店に手代として奉公。吉兵衛と名乗り、十四歳から二十歳までの足掛け七年で三百両を貯め、江戸に名乗りを挙げに出る下準備をする。江戸行きの二千二百石積みの船、明神丸に乗せてもらおうと、船頭の竜神杢衛門に根回しして、出立。だが、途中で船は疾風に遭い、船員たちは海の藻屑になる。助かったのは、悪運の強い吉兵衛ただ一人だった。四国の伊予の浜に打ち上げられ、戒行はもはや吉兵衛でもなくなり、「俺はいったい、誰だ!?」。そう、また一歩、吉宗御落胤に近づいたのである。
津の守講談会二日目に行きました。
「難波戦記 結城秀康」神田伊織/「恩讐を越えて」宝井琴星/中入り/「奴の小万」神田菫花/「徳川天一坊 伊予の山中」神田春陽
春陽先生の「伊予の山中」。伊予の浜に漂着した吉兵衛は雪降る山道を今にも凍えそうになりながら歩いていると、一軒家を見つける。一晩泊まらせてくれと頼み、粥を馳走されて人心地つき、奥の部屋で休みなさいと案内された。吉兵衛は疲れもあって、ぐっすり寝込むが、元居た部屋から話し声が聞こえてきた。
「迷い込んできた若者、俺が睨んだところ、胴巻に三百両は持っている。今宵のうちに殺して、金を奪ってしまおう」。これを聞いた吉兵衛は外に逃げて凍え死ぬか、殺されて金を奪われるか、迷った挙句に「御落胤を名乗り、味方に引き入れよう」と考えた。この家の主は元水戸藩浪士の藤井左京と赤川大膳だった。強奪しようとする二人に対し、「無礼を致すか。余は将軍家御落胤なるぞ」。証拠の品を見せろと要求され、吉兵衛は例のお墨付きと葵の紋の入った短刀を見せる。すっかり騙された二人が「ご容赦ください」と平伏すると、吉兵衛は「江戸までの旅の供を申し付ける」。
主従固めの盃を交わすと、吉兵衛は「余を真の御落胤と思うか」と問う。そして、御落胤とは真っ赤な嘘だと、ここまでの一部始終を語る。ただし、この証拠の二品は本物だ。自分は江戸へ行けば、うまくすると九代将軍、悪くとも大名にはなれる。お前たちが偽を承知で味方につけば、相応の身分に就くことができる、天下に強請をかけてみないかと誘う。
二十一歳だが、しっかりとした計略を落ち着いて語る姿に藤井と赤川はすっかり魅了され、この男に賭けてみよう、味方につこうと決める。ついては二人についている子分十数名が邪魔である。「お前たちも山賊をやめて、この御落胤に仕官しないか」と誘って、盃を取らせる。だが、その盃に注がれた酒には痺れ薬が入っており、身動きがとれなくなった子分たちを縛り付け、この家ごと燃やしてしまう。吉兵衛と藤井、赤川の三名は足手まといを追い払って、赤川の叔父のいる常楽院へと向かう。
津の守講談会三日目は台風6号の影響のため、当日朝に講談協会から連絡があり、中止となった。主任の神田春陽先生は「徳川天一坊 天中坊日真」を読む予定だったので、残念である。またどこかの機会で巡り会えますように。

