こまつ座公演「花よりタンゴ」、そして貞鏡傳 一龍斎貞鏡「清水次郎長伝 お民の度胸」

こまつ座公演「花よりタンゴ」を観ました。
舞台は昭和22年9月、銀座の資生堂裏、銀座ラッキーダンスホール。没落した男爵家の四姉妹が自分の立場や個性、そして境遇の中で、唯一残ったダンスホールを守るために必死に前を向いて生きようとする。敗戦で貴族制度が廃止され、否応なくアメリカの文化が入って来る。それまでの男爵家の令嬢として安穏たる生活を送っていた姉妹は、もうあなたたちは平民だからと焼け跡になった街にポンと放り出されたわけだ。その4人の必死な生き様が描かれている。
象徴的なのは、長女の蘭子だ。大財閥の大番頭の妾になることで、ダンスホールを守ろうとする。その覚悟には驚かされる。演出の栗山民也さんはプログラムの中でこう語っている。
戦後、日本政府の援助によって連合国軍兵士のためのRAA(特殊慰安施設協会)という慰安所が設立されたんです。その慰安婦の募集に、一般女性よりもそれこそ元華族など位の高い女性の方が応募してきたという事実があった。井上(ひさし)さんは恐らくそうした歴史的な記憶を踏まえて書いたんじゃないかな。言わば隠された昭和史の暗部ですよね。本当に、それぞれが明日をどう生きようかと必死に考え、ギリギリの判断で自ら行動する。以上、抜粋。
井上ひさしさんの一連の戯曲に貫かれた「戦争責任」を問う視線によって、ドタバタの軽薄、猥雑な軽演劇でありながら、ものすごくシリアスに描かれているのだと栗山さんは語る。
戦争責任の問題は一部の人たちだけのものではなく、国民全員が常に考えなければいけないことですよね。戦争とは、歴史とは、過去とは何だったのか。(中略)日本は歴史の真実についてどこか曖昧にし、深く判断を下してはいけないという方向へいつの間にか向かされてしまった。戦争の話はもういいよ、政治の話なんてダサいね、というように。(中略)
井上さんが自身の政治意識を題材に作品を生み出していったのは、「昭和庶民伝三部作」からだと思います。それも政治劇として直截的に描くのではなく、あくまでも庶民の生活の視線から、庶民の言葉で「戦争とは何だったのか」を追求し続けたのです。以上、抜粋。
歴史を曖昧なままにしてしまった私たち日本人は、過去を見つめ直さなければいけない。
「貞鏡傳~一龍斎貞鏡ひとり会」に行きました。「柳生二蓋笠」「清水次郎長伝 お民の度胸」「観世肉付きの面」の三席。
「お民の度胸」。都鳥一家にめった斬りにされた森の石松が小松村の七五郎の家に逃げ込んできた。七五郎が石松を命を懸けて守ってやろうと、女房のお民に離縁を申し出たときの、お民の女の意地が身上の読み物だ。「私は女だが、度胸では負けない。お前さんと心中したと思って諦める」。
果たして、都鳥親分以下10人が血刀ぶらさげて追いかけてきた。「石松がいるだろう。石松を出せ」と迫る都鳥に対し、七五郎は「石松は確かに来た。昨夜来て、お前さんから借金を返してもらうと出ていったよ。石松に金は返したのかい?」。これに続いてお民が言う。「私にも言わせておくれ。男なら、もっと男らしく喧嘩しな。怪しいと思ったら、この家の中を家捜しするがいい。奥の戸棚あたりが怪しいねえ」。これぞ、お民の度胸である。
七五郎が言う。「家捜しして、もしいなかったら、ただじゃおかないぞ。覚悟しろ」。怯む都鳥が「覚えていやがれ」と言うと、「そういうことを言う奴に強い奴はいない。いつでも相手になってやる」。ここぞとばかりにお民が畳みかける。「石松は何人連れてやって来たんだい?…一人で?…一人に対して、10人で斬って掛かったのかい?」。完全に鼻で馬鹿にされた都鳥一家は立場がなくなり、退散する。
だが、石松はこの後、これ以上七五郎夫婦に迷惑はかけられないと、家を飛び出し、最終的には都鳥一家に殺されてしまう。石松の遺髪と左小指を仏壇に供え、「お前の仇はいつか取ってやる」。これぞ侠客の女房という度胸を貞鏡先生が力強く表現していたのが印象に残った。

