KERA CROSS「消失」

KERA CROSS「消失」を観ました。作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、演出:河原雅彦

恥ずかしながら、「ディストピア」という言葉を知らなかった。ユートピアの反対語に当たるのだろうか。ウィキペディアによると、「悲惨で陰鬱な未来社会を描いた概念や作品、反理想郷や暗黒社会とも呼ばれる」とある。そのディストピアを描いたのが「消失」だ。

「登場人物全員が善人で、彼らの善意がもたらす悲劇が描きたかった」とコメントしているKERAさんは、2004年に自らが主宰する劇団ナイロン100℃公演で「消失」を初演した。当時盛んに自作に冠していた「シリアス・コメディ」の、まさに決定版といえる重喜劇だとKERAさん。2015年に同じくナイロン100℃で再演、KERA戯曲の中でも人気が高く、日本国内で様々なカンパニーにより上演され続けている代表作だ。

前半が60分、途中休憩を挟んで後半が1時間50分。前半は兄のチャズと弟のスタンリーが計画したクリスマスパーティーを軸に、弟が想いを寄せる女性スワンレイクとの恋愛、家を間借りに来たネハムキンや闇医者のドーネンが絡んで笑いも多い群像劇になっている。

ところが、後半に入ると重く、悲しく、つらい出来事が次々と展開する。スタンリーが電気ショックを与えられてスワンレイクに関する一切の記憶が削除されるし、ネハムキンの夫が第二の月の打ち上げの失敗の犠牲者になったことが明かされるし、ドーネンの家が爆撃されて愛する我が子を失うし、ガス修理業者は実は国家のスパイでスワンレイクを銃殺するし、最後はチャズが首吊り自殺してしまうという…。目を覆いたくなることばかりの連続だ。

チャズを演じた藤井隆さんはプログラムのインタビューの中で、こう語っている。

初演の映像を拝見しましたが、すごく寂しくて悲しい物語で、それはもう素晴らしかった。序盤こそ楽しく進みますが、それも「消失」までの入口だと思うと辛いお話ですよね。(中略)自分史上最も手ごわい作品で、くじけそうにもなりますが、皆さんのやさしさに支えられています。以上、抜粋。

この芝居の肝は後半に、登場人物たちが皆、大切なものを失っていく、「消失」していくところにあるのだろう。客席は終盤に向かえば向かうほど、固唾を呑んで静まり返っていった。これがディストピアなのか。文明が進んでいくことで、市民たちは幸福を享受することができるのか。望まない戦争や殺戮、国家による管理や生命の危険をもたらすこともあるのではないか。そんなことを示唆しているような気がする。

KERAさんがプログラムで、「消失」初演時のエピソードを書いている。

開幕数日後、紀伊國屋ホールの最後列に座っていたら、向かいの店の歳末セールの売り声が微かに聞こえてきた。私はそっと劇場を抜け出し、「カメラが安い!ビデオが安い!」を連呼するカメラ屋に飛び込んで、責任者と称する店員を呼びつけると、「頼むから音量を下げてくれ、毎日とんでもなく繊細な芝居をやっているんだ」と強弁した。「せめて最後の20分だけでも」とタイムテーブルまで提出すると、意外にも了承してくれて、以降、劇中で花火が打ち上がるシーンあたりから、ピタリと売り声が止んだ。なんて理解のあるカメラ屋さんだろう。その節はありがとうございました。以上、抜粋。

いい話だ。と同時に、KERAさんが(そのときは演出もされていた)この「消失」という芝居で、とても大事なメッセージをきちんと伝えたいという熱い想いが判った。「消失」が名作と言われる理由がそこにもあるような気がした。