新宿講談会 田辺鶴英「浪花のお辰」、そして寛永三馬術車読み 宝井琴凌「平九郎の義憤」
講談協会の新宿講談会昼の部に行きました。
「左甚五郎 三井の大黒」一龍斎貞司/「火消しと男爵」田辺いちか/「金色夜叉 かるた会」宝井琴星/中入り/「村越茂助 誉れの使者」一龍斎貞弥/「浪花のお辰 おくら殺し」田辺鶴英
鶴英先生の「浪花のお辰」。「新版だ」とおしゃっていたが、浪花のお辰ことお安を毒婦として描かないところに新鮮味を感じた。昔は悪事を重ねたけれども、土浦の芸者を経て、土屋長六の後添えに迎えられてからは、「真人間になるんだ。金よりも大事な夢を貰った。人を信じる心を知った」と心底思っていた。昔の腐れ縁を断ち切るためにおくらを殺したのは仕方ないと思った。
墓参の帰りに、汚い身なりの女がお安に声を掛ける。「お辰姐さんだよね。アザミのおくらだよ」。数年前に一緒に甲州の呉服商の強盗殺人を働いた相方だ。今ではすっかり真人間になって幸せを享受しているというのに、会いたくない奴に会ってしまった。
鰻屋に入り、「身なりを調えろ」と二両を渡して、うまいこと逃げ出したと思ったが、そうは問屋が卸さない。おくらはお安の魂胆などお見通しで、後をつけてきて、上市の我が家を訪ねてきた。「二両でおさらばとは虫が良すぎる。自分だけ幸せになろうなんて狡い。私だって幸せになりたい」というおくらに、手切れ金として50両を渡した。これで2、3年は来ないだろうという読みは甘かった。翌日も「博奕ですってんてんになった」と言って、20両を貰う。さらに翌々日も来るので、「ない袖は振れぬ。このまま帰っておくれ」とお安が頼むと、おくらは居直る。「お辰姐さんの凶状を洗いざらいぶちまける」と強請る。
お安は「今の亭主から金より大事な夢をもらった」と真人間になる決心を真剣に伝えるが、おくらには響かない。「亭主はどこかで浮気しているんじゃないのかい」とまで言う。お安はおくらに対し、亭主を殺して財産を山分けしようと持ち掛ける。勿論、お安は本気ではない。だが、こうでも言わないとおくらは一生つきまとってくる。
今晩、四つ前、青川の庚申堂のところで、亭主が帰ってくるのを待ち伏せして、殺そうと誘う。奉公人を早くに寝かせ、脇差を持って外へ出たお安は先に着いていたおくらと落ち合う。「向うに提灯の火が見えるだろう。あれが亭主だよ」と言って、おくらが目を逸らしたのを見逃さず、お安は背後からおくらを脇差で刺す。「希望を持って生きるんだ。夢を大切にしたいんだ。その幸せをお前に奪われてなるものか!」。お安の方が理に適っている。だがこの後、おくらを殺した嫌疑が亭主にかかり、運命が狂うという…。人生というのは切ない。
講談協会の新宿講談会夜の部「寛永三馬術車読み」に行きました。
「三方ヶ原軍記」神田山慶/「南総里見八犬伝 序開き」神田山兎/「違袖の音吉」神田ようかん/「寛永三馬術①出世の梅花」神田織音/「②平九郎の義憤」宝井琴凌/中入り/「③度々平住み込み」神田山緑/「④越前家召し抱え」宝井琴調
琴凌先生の「平九郎の義憤」。滅多に掛からない部分だが、面白かった。いかに、曲垣平九郎が正義の武士であるかがよく伝わるエピソードである。
将軍家光は愛宕山の梅花の件で、大層平九郎を気に入った。平九郎こそ、馬術の名人、日本一だと平九郎が仕える丸亀藩主・生駒雅楽守も「果報者を持ったのう」と褒められ、重用せよとのお言葉を頂く。早速、100石のところ、100石加増して200石にすることが決まったが、平九郎は「馬乗りが馬に乗るのが上手いのは当たり前。功名でもなければ、手柄でもない」と言って、加増を辞退する。それではということで、雅楽守は一年間に限り「100石加増」の褒美を与えることにする。平九郎がいかに謙虚な人柄かがわかる。
雅楽守がお気に入りの女中がいた。錦木、二十歳。錦木は計算高い女で、色仕掛けで殿様に迫り、足軽だった父親の沢田甚兵衛、3両二人扶持を100石の侍に昇格させることに成功する。さらに、殿様を手なずけ、200石、300石、ついには500石の重役にまで出世させてしまった。
甚兵衛は下衆な野郎で、出世したことを鼻にかけ、威張り散らし、傍若無人なふるまいを繰り返す。これを平九郎は気に食わない。いつか、目にもの見せてやると考えていた。ある日、甚兵衛と平九郎が廊下ですれ違うことがあった。甚兵衛は「会釈もしないで無礼だ」と睨みつけると、平九郎は「何が重役だ。馬の骨とも、牛の骨ともわからぬ奴が。先輩への敬意も蔑ろにして、言語道断だ」と返した。
そして、平九郎は甚兵衛に馬乗りになり、殴りつける。甚兵衛が「平九郎が乱心した。助けてくれ」と叫ぶが、他の家来たちも日頃から甚兵衛のことをけしからん奴と思っているから、高みの見物。「もうこれでよいであろう」というところを見計らって、止めに入った。平九郎は「切腹だろうが、討ち首だろうが、罰を受けてやる!矢でも鉄砲でも持ってこい!」と覚悟を決めている。
このことは甚兵衛から娘の錦木に伝わり、錦木が殿様に「父が恥辱を受けた。仇を取ってほしい」と願い出る。だが、雅楽守も「将軍から重く用いよと言われている曲垣平九郎。鼻の下を長くした自分も反省しなければならない」と考えており、厳しい処分が出来ない。
重役連中も乱暴を放っておくわけにはいかない。どうしようと考えた末に出た結論が、「曲垣を国詰めにしよう」という決定だった。こうして、平九郎は江戸を出立し、丸亀で悠々自適に暮らすことになった。興味深い一話だった。
琴調先生の「越前家召し抱え」。平九郎が下郎として抱えた度々平が些細なことから丸亀藩の重役の孫と諍いを起こしてしまった(山緑先生の「度々平住み込み」)ことから、平九郎は100石を返上して浪人となり、諸国行脚の旅に出る。それから3年。丸亀を出立したときには300両あった路銀も底を尽き、松平越前守忠直の城下の宿に無一文で泊まった三日目。度々平は宿に出入りしていた御厩部屋の部屋頭、うわばみの太左衛門に話をつける。中間として二人を雇ってもらうことにして、二両前借りして宿賃の精算を済まし、越前守の厩で働くことになったのだ。こういうところは、度々平は取り入るのが上手い。
まさか曲垣平九郎という名は出せないので、江戸で贔屓だった鰻屋の屋号、和田平と名乗ることにするのも面白い。だが、和田平も度々平も全く働かず、酒ばかり飲んで、ゴロゴロしている。他の中間たちから不満が漏れる。「同じ給金じゃあ、やっていられない」。太左衛門は「いざとなったら、役に立つ男だと思っている」となだめるが、あながち目は節穴じゃなかったのかもしれない。
忠直公のところに、尾張大納言から贈り物があった。馬である。悍馬(暴れ馬)で、鬼黒という名前がついている。なかなか乗りこなすのが難しい馬だ。馬術指南役の八木作左衛門は殿様から乗りこなせるように命じられているが、指南役とは名ばかり、とても自信がない。しばらく経って、殿様の前で鬼黒に乗って披露することになってしまった。
補助役が両脇2人ずつ付いて、何とか作左衛門がしがみつくように馬に乗っていたが、そのうちに作左衛門を降り落とし、鬼黒が場内を暴れ回るという騒ぎになってしまった。何とか取り押さえようとするが、けが人続出。そこで、呼び出されたのが飼馬小屋で寝ていた度々平だ。度々平は鬼黒を取り押さえ、てなずけ、そして跨って乗るだけでなく、馬の背中に立って乗りこなすという曲乗りを見せて、殿様は大喜び。
「名人じゃのう」と度々平を褒めると、度々平は「上手くらいで…名人は他にいます」。「名人は何処にいる?」「この家中にいます」。度々平は飼馬小屋の屋根で寝ていた平九郎を呼び出した。「和田平、実は日本一の馬術名人、曲垣平九郎です」。愛宕山の一件で、全国に名の知れた平九郎が我が藩中にいることに驚く殿様。「是非、我が藩の馬術指南役になって頂きたい」と言って、1000石が与えられた。そしてまた、度々平も世を忍ぶ仮の名で、本名は向井蔵人。平九郎の秘術を盗めという命を受けて、ある藩から派遣され、平九郎に取り入っていたのだった。こうして、越前に二人の馬術の名人が同時に抱えられるという…。
「寛永三馬術」は、この後に筑紫市兵衛というもう一人の馬術の名人が加わって、ますます面白い展開になっていくのだが、この後のストーリーを読む人がほとんどいなくなってしまったというのが残念だ。全物語の1/3にも達していないのは惜しいと思う。どなたかに、是非お願いしたい。