鈴本演芸場正月二之席 柳家喬太郎「白日の約束」
上野鈴本演芸場正月二之席二日目夜の部に行きました。主任は柳家喬太郎師匠で「白日の約束」だった。
「雑俳」入船亭遊京/奇術 ダーク広和/「たらちめ」入船亭扇遊/「スナックヒヤシンス」林家きく麿/漫才 風藤松原/「妻の旅行」柳家はん治/「元犬」隅田川馬石/中入り/紙切り 林家二楽/「死ぬなら今」入船亭扇辰/ものまね 江戸家猫八/「白日の約束」柳家喬太郎
喬太郎師匠の「白日の約束」。80年代、いわゆるバブル期と呼ばれた時代に青春を過ごした僕は今でも後悔している。なぜ大衆に流されてしまったのか、と。周りの男子、女子がチャラチャラしているのを見て、僕も「あの輪の中」に入らなければいけないと思ってしまった。なぜ自分に正直に生きることをしなかったのか、悔しくて仕方がない。
チョコレートは明治、お口の恋人はロッテ。そういう価値観で育ってきたはずなのに、大学生になった瞬間、ゴディバがスタンダードになっていた。抗えなかった。そもそもバレンタインデーって何だ!?チョコレートなんて貰えない男子がそんな時流を気にすること自体がおかしいのだ。ましてや、ホワイトデーなんて関係ないだろう。女性にもてたいという男性の願望は江戸時代、いやもっと太古の昔からあるのだろうが、女性にもてる=流行に乗っていると勘違いしていた自分はバカだったなあと思う。
一介の大学生が親に買ってもらった身の丈に余るマイカーに乗って、「JJ」とか「anan」の読者モデルみたいな女の子とドライブしたり、麻布とか六本木のレストランバーでデートしたり、合コンだ、ダンパだと男女の出会いを求めて浮かれたり…。スポーツが苦手な僕がテニスやらゴルフやらのサークルに無理して入って、何を得たというのだろう。虚しさだけが40年後の今も残っている。
この噺に出てくる主人公の男性は38歳にして初めて彼女が出来、バレンタインデーにチョコレート(キットカットというのがいいね)を貰った。3月14日は何の日か判らないで困っていたら、OLキラーのヤマシタが「これを彼女にお返しとして渡せばいい」とアドバイスしてくれた。松屋や日高屋ばかりでデートをしているというのを聞いて、麻布のレストランバーを紹介してくれて、彼女を誘った。
この彼女がよく出来た女性で僕は大好きだ。世間に流されず、チャラチャラしていない。だから主人公みたいな男性を彼氏に選んだのかもしれない。3月14日は彼女にとっても“大事な日”だ。勿論、ホワイトデーなんかじゃない。浅野内匠頭の命日。だから、彼氏と二人で泉岳寺にお詣りに来たというわけだ。ヤマシタから渡してやれと貰った「お返し」は、塩煎餅。ちゃんと赤穂の塩を使っている!わかっているじゃん!と喜ぶところが、この彼女らしいし、格好いい。
しっかりと自分という一本の芯を貫いた生き方をすることが一番素晴らしい。周囲に流されて自分を見失うことほど格好悪いものはない。還暦になった今頃になって知る人生訓である。