三遊亭花金「付き馬」と「心眼」
「付き馬と心眼」に行きました。三遊亭花金さんが「付き馬」と「心眼」をネタ出しして演じる会だった。
「付き馬」。勘定の36円をパーパー喋り倒して煙に巻く男と呆気にとられっぱなしの若い衆の対称が面白い。湯屋に入り、飯屋で湯豆腐で一杯呑み、その代金は全て若い衆が払わなければならない状況にいつの間にかなっている。曲芸でも見るか、花やしきで象に餡パンでもやるか、観音様の前で鳩の餌の豆を売っているお婆さんの生計、仲見世で人形焼きを売る店の前に並べられた卵の殻のからくり、仁王様に紙屑を投げて当たったところが云々…。吉原からなぜか雷門まで出てしまって、若い衆の顔が浮かない顔から京劇のお面みたいに変わっているというのが可笑しい。
後半戦は田原町の“おじさん”の経営している早桶屋だ。男は大きな声で「お願いがあるんです、おじさん!…拵えていただけないでしょうか、おじさん!…拵えていただける!ありがとうございます、おじさん!」。その隙間に小さな声で「あそこにいる男は実の兄を腫れの病で亡くしまして、図抜け大一番小判型という早桶を拵えてほしいんですが、あちこちで断られて困っているんです」。早桶屋主人も若い衆同様、男のペースに巻き込まれている。
うまいこと言って男が去ってしまってからの若い衆と早桶屋主人の噛み合っているような、噛み合ってないような、ちぐはぐな会話が面白い。「ご無理なお願いで申し訳ありません」「いいんですよ、気にせずに。商売ですから。逝ってしまったものはしょうがない。後を大事にしなきゃいけない。長かったのかい?」「たった一晩」「急にというやつだ」「はい、ふいにいらしたんです」「お通夜の具合は?」「結構でした。芸者幇間あげて、どんちゃん騒ぎ」「その方が仏様も喜ぶかもな」「仏様も大喜びで立ち上がって、かっぽれを踊っていました」。騙された若い衆は気の毒だが、ここまで徹底して騙されると騙された本人も怒りを通り越して「一本取られました」と降参するしかない。陽気な高座だった。
「心眼」。梅喜が横浜から歩いて帰ってきて、女房のお竹が「顔色が悪いけど、どうしたの」と訊くと、「なんで俺は不自由な身体になっちゃったんだ?」と泣きながら悔しがるところ、本当にそうだと思う。二親に死に別れて、弟の金さんを自分の手で育てた。なのに、その恩も忘れて金公は「この不景気にドメクラが食い潰しに来やがった」と箸の上げ下ろしの度に言ったという。だから、茅場町のお薬師様にこれから日参しようと思うと梅喜はすがるようにお竹に誓った。そのときのお竹の「人を恨んで願掛けしても叶わないよ」と添えた言葉が良かった。
三七二十一日の満願で梅喜の目が明いた。一緒にいた上総屋の旦那が自分のように喜んでくれた。そのときに近くを通過した人力車に乗った芸者と女房のお竹はどちらが“いい女”か、と訊いてしまう。上総屋が正直に「あの芸者は東京で指折りの器量の女。お竹さんは東京で指折りのまずい女。ニンナシバケジュウ、人間ではなく化け物に籍がある」と言ってしまうと、梅喜は「情けない」。それに対して、上総屋が「ふざけたことを言うんじゃない。そんなことを言うと罰が当たる。お竹さんは器量こそ悪いが、心立ては東京、いや日本で何人という貞女だ。見目より心だよ」と諭すのが良い。
梅喜もそんなことは百も承知なはずだが、ついつい欲を出してしまうのが人間の弱さなのだろう。上総屋が去り、春木屋の芸者の山野小春と出会う。目が明いたお祝いに料理屋で一杯やりましょうと誘われ、味噌吸物やまぐろの刺身を肴に酔う。小春は以前から「役者ばかりがいい男じゃない」と言って、按摩の梅喜に岡惚れしていたことは上総屋から聞いていた。その本人から「目が明いて嬉しい。私は梅喜さんのことを前から思っていた。だけど、梅喜さんにはお竹さんという立派なおかみさんがいるから…」と言われると、梅喜も理性を失ってしまう。「あんな化け物、叩き出しますよ」。この一言はいけない。
これがすべて夢だと判った梅喜は信心はよそうと思う。「盲人(めくら)なんて不思議だ。寝ているときだけ、よく見える」。もう目が不自由なことなど苦にせずに、お竹という貞女が女房でいてくれることを幸せなことだと思って、これからも生きていこうと思ったのだと思う。良い噺だ。