浪曲木馬亭定席 天中軒かおり「琴櫻」東家志乃ぶ「左甚五郎 京都の巻」
木馬亭の日本浪曲協会十月定席三日目に行きました。曲師の玉川みね子師匠の二番弟子、玉川さとさんが木馬亭デビューした。
「琴櫻」天中軒かおり・沢村博喜/「左甚五郎 京都の巻」東家志乃ぶ・東家美/「若き日の大浦兼武」国本はる乃・沢村道世/「野狐三次 彫り物の由来」東家一太郎・東家美/中入り/「徳川家康 人質から成長まで」天中軒月子・玉川鈴/「名月隅田川」神田鯉風/「真柄のお秀」玉川福助・玉川さと/「男一匹 天野屋利兵衛」天中軒雲月・沢村博喜
かおりさんの「琴櫻」。日々成長しているのが手に取るようにわかり、嬉しくなる。横綱琴櫻の出世譚の後半。昭和34年に初土俵を踏んだ琴櫻が昭和39年初場所に新小結に昇進、佐渡ヶ嶽親方から「稽古に勝る土俵はない。兎に角、押せ、攻めろ。迷ったら負けだ」とアドバイスを受けての横綱柏戸戦。全身全霊をかけてぶちかまし、両者互角の相撲を取るが、この土俵で琴櫻は左足首を骨折してしまう。再起不能の重傷と言われたが、悔しさをバネに蘇る。
結婚、そして娘の誕生。怪我の連続で大関昇進後もカド番が続き、“稽古横綱”“ポンコツ大関”“姥桜”と嬉しくない渾名を付けられるが、親方からは「自分が納得のいく相撲を取れ。心に嘘をついたときには土俵を去れ」と𠮟咤激励される。娘を抱いて、「この子が大きくなったときには弱い大関ではいられない。男と生まれた甲斐がない」と迷いが吹っ切れて奮起、昭和48年に見事横綱に昇進…。まだ前座の身分なので持ち時間が15分と限られているためにドラマ性が薄いが、いつかフルバージョンの「琴櫻」を聴きたいと思う。
志乃ぶさんの「左甚五郎」。まだ年季明けしたばかりだが、芸がしっかりしているし、才能もある。声質が良いのと、声量があり、声に伸びがある。その上、歯切れが良い。今後どれだけ伸びるのか、楽しみな若手だ。
甚五郎の恩師である藤兵衛が病床にあることを、偶然息子の藤吉から聞かされて、医者に診せて湯治に行く段取りを図る優しさ。知恩院の普請の依頼を受け、藤兵衛を裏切った弟子の仁兵衛の妨害に遭うも、江戸の大久保彦左衛門の手厚い支援を受けて、仁兵衛の鼻をあかすところなど、痛快である。
はる乃さんの「大浦兼武」。将来有望なホープ筆頭として安定感、そして貫禄さえ身に付けていて、頼もしい。
警視庁巡査に採用された大浦が、酔っ払った岩倉具視が落書きしてしまった料亭の金屏風の代金40円を弁償してあげる実直さが良い。月給2円70銭の身分ゆえ、1円の月賦で3年4カ月払い続けたという…。この話を聞いた岩倉の鶴の一声で、大浦は大抜擢人事の恩恵に授かるのも当然と言えば当然。この美談を漫画チックに描くはる乃さんの力量はすごい。
雲月先生の「天野屋利兵衛」。松野河内守の取り調べも七日目になるが、天野屋は「来年3月か4月になれば、利兵衛の方から畏れ多くもと申し上げます」と言って、頑として口を割らない。河内守も仕方なく天野の七歳になる息子、吉松を白州に連れ出し、火責めを敢行する。だが、天野屋は「世間の人は西町奉行は情け深いお方と言っているが、それは嘘じゃ…泣くな、嘆くな、吉松よ。未練な死に方するじゃない。父(テテ)も後からすぐ行くぞ。」。
ここで天野屋が「何でお隠し致しましょう。頼まれたその人は播州浅野様の城代家老、大石という方」と口まで出たが、そうじゃない。もしも口にしたならば、大石様はじめ同士の方の苦労がただの一夜で水の泡になる。それを思えば我が子の火責めなど取るに足らない。ここが我慢のしどころだ。
河内守が「そちは血もなければ、涙もないのか」と言うのに対し、天野屋はこう言う。町人なりとも天野屋利兵衛、男と見こんで頼まれたからには決して白状いたしませぬ。たかがこのようなことで白状しては、頼まれた甲斐がない。天野屋利兵衛は男でござる!
これを聞いた河内守も賢明である。「身体を大事にせよ」と言って去っていく。罪を憎んで人を憎まず。河内守や天野屋あってこそ、四十七士の仇討本懐は成し遂げることが出来たのだ。義士伝に外伝のある意味の深さを思う。