浪曲木馬亭定席 天中軒すみれ「武林唯七 花の雨」、そして春風亭だいえい「てれすこ」

木馬亭の日本浪曲協会十月定席に行きました。

「たにしの田三郎」東家一陽・東家美/「空也上人 踊り念仏誕生」東家千春・伊丹秀勇/「武林唯七 花の雨」天中軒すみれ・沢村理緒/「神田松」花渡家ちとせ・馬越ノリ子/中入り/「日蓮記 龍ノ口」東家一太郎・東家美/「源氏物語 藤壺の宮」神田蘭/「坂田三吉」鳳舞衣子・沢村まみ/「慈母観音」東家三楽・伊丹秀敏

すみれさんの「武林唯七」。武林を慕う許嫁のたえ、そしてその父の熱い思い、さらに誰よりも深い愛情で包む母親の存在に心打たれる。

武林唯七が「私はもはや痩せ浪人。妻を娶る資格などない。どうか、他に良縁をお求めください」と言うが、たえは「将来の夫と一度は心に決めた人。迷惑でしょうか」と引き下がらない。そのいじらしさ、切ないまでの純真に唯七の心は揺さぶられる。たえの父も「武士の一分を貫いての浪人。貴殿の人間を見込んだ。我ら父娘の心は変わらぬ」と動かない。さらに「大石様の決断で籠城しようが、殉死しようが、娘がどんな運命になろうと憎むことなどない。もらってくだされ。愚か者と言われても聞いてやりたい親心、父娘ともに貴殿を見込んで何の悔いがあろうか」と頑として譲らない。唯七はついに折れ、「おたえ殿をいただきます。必ず江戸へ戻るその日をお待ちください」。

このやりとりを襖越しに聞いていた唯七の母はすすり泣く。唯七は「再び江戸に戻ることはないことを知りつつ、偽りを申してしまった」と良心の呵責を覚えている様子がうかがえる。死ぬることを知っていながら口に出せないのが忠の道である。そして、母親は自害を図る。「御家の大事を知ればこそ、足手まといの私は死ぬ」と。唯七の母は浅野内匠頭の乳母をしていた。いわば唯七と内匠頭は身分違いの義兄弟。「浅野様が切腹したあの日から覚悟はしていた。あの日から心も胸も張り裂けて眠れぬ夜を過ごしていた」と。唯七は呼べども答えぬ母の亡骸を前に、「御主君のために、母上の命は無駄にはしない」と忠義の誓いを立てた唯七の複雑な心境に思いを馳せた。

舞衣子先生の「坂田三吉」。将棋指しとして、もう一度名人の座に就きたいという強い気持ちが坂田にはあったが、時代の変化とともにその夢は弟子の森川に託すことになる。それを陰で支えていた娘の君子の存在も含め、大阪の将棋界のトップにいる坂田の人間ドキュメントとして興味深かった。

かつて名人だった坂田だが、東京の近代将棋の勢力に押され、「将棋とは何か」が見失ってしまう。女房が亡くなったショックも大きく、稽古台で“万年初段”と呼ばれていた森川は、坂田の心の支えになっている娘の君子が船場に嫁ぐことを思いとどまってほしいと願う。世間に笑われても先生についていくと誓った森川は密かに君子に恋心を抱いていた。

東京の木村八段が名人位に就いたと報じる新聞を見て、坂田は震えるほどの寂しさを覚え、辛い思いをじっと堪えて、瞳は炎で燃えていた。だが、森川には召集令状が来て戦地へ。君子も船場の天野家に嫁いだ。女房の小春が死んでから、一門の弟子は散り散りとなって去っていき、気が付けば孤独な侘び住まい。かつて天下を闊歩した昔の自分を夢に見るが、虚しく老いてしまったことを嘆く。

だが、森川が還って来た。戦地で怪我をし、内地療養を要するとのことで戻って来たのだ。君子も嫁ぎ先の亭主が戦死し、我が子を連れて戻って来た。森川は戦地で銃弾の下をくぐってきた経験が生きたのか、何かを掴んだようで、坂田と手合わせしても、良い勝負をするようになった。腕をメキメキと上げ、4年で六段に昇進した。そして、ついに名人戦で坂田八段と対決することになり、対局の行われる有馬温泉には坂田も君子も駆け付けた。

盤面を見た坂田は「悔しいが森川の負けや。木村は強いな」。だが、「森川は若い。きっと木村を倒す日が来る」。そして、君子にこう言う。「森川が独り身を通している理由がわかるか。君子、一緒になれ」。そこへ宿屋の主人が駆け込み、「森川はん、やったで!七八の金や」。坂田には思い付かなかった一手が勝負を決めたらしい。「森川が勝った!偉いやっちゃ!わしにはこの手が編み出せなかった。これが近代将棋、新しい将棋や!」。かつて将棋界に君臨した坂田三吉の口から“新しい将棋”という言葉が出る演出が素晴らしいと思った。

三楽先生の「慈母観音」。名人仏師の淳慶の弟子の藤五郎は、実子ではなく、20年前に捨て子として拾われて育てられたのだった。淳慶が桂昌院の依頼の観音像を藤五郎に任せたのだが、夜な夜な出掛けるから水垢離でもしているのかと思ったら吉原通いで、観音様は惚れた女が見え隠れした“汚らわしい”像だと糾弾する。そのときに打ち明けたのが、捨て子の一件だった。

藤五郎は愛想尽かしをされ、彫った観音像は真っ二つに割られてしまう。追い出された藤五郎は六十六部として奥州を廻った。母親の形見を背負って実母を探し求める旅でもあった。ある湯治場で一晩厄介になろうと戸を叩いた一軒家の主人の音八はどぶろくと飯でもてなしてやり、藤五郎の身の上話を聞く。女房おたかは長の患いで寝たきりだという。

音八は藤五郎の懐に四、五十両ほどあることを知り、これを奪おうと眠りについた藤五郎を刀で斬ろうとする。すると、女房おたかが「その人は私が捨てた倅だ」と庇い、振り下ろした刀はおたかを斬ってしまう。おたかは虫の息で「これも報いだと諦める。今わの際に一目だけ我が子に会えた嬉しさよ。20年、立派になったね」。音八も「殺そうとした俺は馬鹿者だ。明日からは坊主になって、後生を弔う。迷わず成仏してくれ」。

藤五郎はこのときのおたか、つまりは実の母親を見て、「これが三年かけて探していた御仏の姿だ」と感じ入る。この記憶を基にして観音像を彫り上げ、桂昌院に納めることができたという…。仏師は自らの了見が仏像にこもる。それは仏師とか仏像とかに限ったことではないような気がする。

夜は春風亭だいえい・神田鯉花二人会に行きました。だいえいさんは「てれすこ」と「星野屋」、鯉花さんは「寛永宮本武蔵伝 狼退治」と「徂徠豆腐」だった。

だいえいさんの「てれすこ」。一攫千金を狙って八百屋が魚屋金兵衛に扮して働かす頓智頓才が面白い。珍品だが、こういう噺をきちんと自分のモノにしている姿はすごいと思う。

ある村で珍しい魚が捕れたが名前が判らず、役人に届けたが困ってしまい、50両の報奨金をつけて、この名前が判る者は名乗り出るようにと御触れを出した。“金兵衛”はどうせ誰も知らないだろうと「てれすこ」だと言って報奨金をせしめる。だが、役人は怪しいと思い、この魚を干して、再びこの名前が判る者を50両で募った。すると、“金兵衛”が今度は「すてれんきょう」だと言う。

同じ魚なのに違う名前を言う“金兵衛”はお裁きで討ち首を命じられる。今わの際に何か食べたいものはないか?と問われ、「イカの干したの」。「それはスルメではないか?」…同じ魚でも名前が変わることもある。“金兵衛”は無罪放免となったという…。屁理屈を愉しむ噺を軽妙洒脱に演じる見事な高座であった。

鯉花さんの「徂徠豆腐」。荻生宗右衛門は大晦日に借金を全て返してしまい、正月からは無一文で暮らし、空腹の三が日だったというのが、まず正直者のエピソードとして良い。その正直が気に入って、豆腐売りの上総屋七兵衛は無償で食糧を提供したのだと思う。

無一文がばれてからは、腹にたまるおからを持って来て、一日三度に分けて食べるようにと助言する。さらに七兵衛の女房がそのことを知ってからは、重箱におにぎりを詰めて持って行ってあげる。商売物ではないと施しになるから断る等の演出もあるが、鯉花さんの場合、宗右衛門はこの親切を素直に受け入れるのが清々しくて良い。

上総屋が火事に遭って、店を丸ごと焼失してしまった後、「さるお方」に頼まれて大工が10両を持って来て、今、焼け跡に店を普請していることを告げる。店が完成すると仕官が叶った荻生徂徠が現れ、「餌を運んで頂いた…」「あっ!冷奴の先生!」「あのときの心尽くしがなければ、飢え死にしていた。お陰で佳き春を迎えることができた」と感謝の言葉を述べるところ、余りくどくどと理屈をこねずに御礼を形にして示すのが江戸前で良いと思った。

徂徠の口利きで上総屋が増上寺御用達となり、「徂徠豆腐」と評判を取った。情けは人の為ならず。気持ち良く聴くことが出来た。