東西ラクフェス2024 初日

「東西ラクフェス2024~東西らくご博覧会」初日第二部に行きました。桂雀太師匠が体調不良のため休演、瀧川鯉八師匠が代演した。開口一番は桂れん児さんで「やかん」だった。

瀧川鯉八「にきび」

汚くて不潔で格好悪い存在のにきびを「若さの象徴」として描いているのが愉しい。二十歳を過ぎたら“吹き出物”扱いされてしまうけれど、中学生にとっては寧ろそれを楽しめとばあちゃんが説く。熟成したにきびが富士山の噴火のように飛び出す快感は“脳汁の洪水”だと。洗顔せずに、ピーナッツを食べ続け、外はカリカリ、中はトロトロに育ったにきびを潰す快感に焦点を当てるなんて、鯉八師匠以外考えられない唯一無二の発想だ。

春風亭昇羊「二階ぞめき」

女が好きなんじゃない、吉原そのものが好きだから、吉原に通うのだと言う若旦那のために番頭が二階に吉原を作ってしまうのが、これぞ落語の魅力。その二階で素見(ひやかし)を楽しむ若旦那が実に粋だ。

他の男とすれ違ったときに肩がぶつかって喧嘩になったときのことを考え、着物を平袖にするとか、突然雨が降ってきたときのことを考えて頬被りをするとか、若旦那が大真面目に楽しもうとしているのが良い。

客引きとの攻防、そして格子越しの花魁との駆け引き、「ちょいと上がっておくれよ。拝んじゃう!」と言って袖を離さない花魁と「意気地なし!」「出て来い!」と喧嘩、そこに仲裁が現れて…。これらを全て一人で何役もこなす若旦那が「楽しい!」とエキサイトしている様が爆笑を呼ぶ。

挙句の果てに大勢の人が集まり、「吉原で死ぬなら本望だあー!殺せー!」。実際には若旦那一人しかいないわけなんだけれども。こういう妄想系の落語って、聴き手も一緒になって、その情景を思い浮かべるのが愉しい。

桂二葉「佐々木裁き」

当時の大坂は賄賂などが横行し、政治が腐敗していて、その取り締まり強化のために佐々木信濃守が西町奉行に赴任したという背景をしっかり描いているのが良かった。

だから、四郎吉という13歳の子どもに「奉行は高いところでそっくり返っていて気持ちがよろしいなあ。奉行が威張るばかりで悪を裁かないと、大坂の街は闇になる」と言わせているのも、当時の悪政を皮肉っているのだろう。佐々木信濃守に「与力の身分は?」と問われ、“おきあがりこぼし”に喩え、「身分は軽いがお上の意向でピンシャン動く」。「与力の心意気は?」と問われ、天保銭を括り付けて、「とかく金の方へ動く」と四郎吉が物怖じせずに言いのけるところに、落語の批評性を見る。

それにしても、こまっしゃくれた子どもを演じるのは二葉さんのニンに合っているなあ。可愛い上に、大人がたじたじになる物言いが痛快だ。四郎吉は父親の桶屋の前田綱五郎の許で15歳まで育てられ、その後は佐々木信濃守が預かることになる。この手の頭の回転の速い子どもは“導き”次第で悪の道に走ることもあれば、正義の道を歩むこともできる。それを佐々木信濃守はよく判っていた。四郎吉はその後、出世をして悪政を正す。まさに「桶屋の息子だけに政治のタガを締め直した」わけで、単純に小生意気な子どもで笑いを取る噺にしていないのが素晴らしい。