下北のすけえん 春風亭一之輔「淀五郎」と「富久」

本多劇場で「下北のすけえん~春風亭一之輔ひとり会」を観ました。「淀五郎」と「富久」の二席。開口一番は貫いちさんで「転失気」だった。中入り前、大晦日のさだまさし年越しライブ出演と楽屋裏話~生さだで1分小咄披露~3日NHK東西笑いの殿堂で「堀の内」“奮闘”口演と爆笑愚痴マクラが30分間炸裂し、一旦袖に引っ込んで空気を変えて「淀五郎」へ。一席にカウントしてよいくらいのたっぷり感あるマクラだった。言えることは、一之輔師匠の来るものは拒まずに果敢にチャレンジする敢闘精神と探求心のすごさ、そしてその経験を素材に自然体でトーク出来る才能、この人の果てしない面白さにただただ感嘆するばかりだ。

「淀五郎」。花道の七三から動かない團蔵の言葉をまず噛みしめる。五万三千石の大名が腹を切るから傍に寄れるんだ。沢村淀五郎が腹を切っても、傍には寄れないよ。悪いところがあったんでしょうか?それは良いところがあって初めて訊ける台詞だ。ハナから終いまで悪いところだらけだ。どのように腹を切ったら良いか?それに答える家来がいるか?自分で考えろ。本当に切ればいいんだ。本当に腹を切って、死んでしまえ。

皮肉團蔵、意地悪團蔵と呼ばれているが、團蔵は淀五郎のことを思って「死んでしまえ」とまで言っているのだということが淀五郎には判らなかった。だが、仲蔵には判る。

淀さんは若いね。相手は三河屋、名人だ。芝居がまずくても本当なら判官に近づくはずだ。それをわざと傍に寄らないのは、意地悪でしているのではない。お前さんに見込みがあるからだ。歯痒いんだ。自分の力で何とかしてほしいと励ましているんだ。

仲蔵は淀五郎に芝居を目の前でさせて、「確かにまずいね。私が由良之助でも近寄らないね。誰の型だい?誰の型でもない?見様見真似かい?それがよくない。お前さんの師匠の判官は観たか?観ていない?そりゃあ、良かったよ。観とかなきゃ」。日頃の研究不足を優しく、だが厳しくピシャッと指摘され、淀五郎は一言もなかったろう。そして、アドバイスも優しい。

お前の了見が良くない。五万三千石の大名が自分に落ち度があったとはいえ、一方的にお取り潰しにされ、なんで自分ばかりが辛い目に遭わなくちゃいけないのか?と悔しい思いをしている。なのに、お前さんは名題になって嬉しい、空を飛ぶように浮かれている。俺は上手いぞ!と自分の嬉しさを出して、芸がキザになっている。

淀五郎は自分の傲慢や怠慢を見透かされたようで、顔から火が出る思いだったに違いない。「腹を切るときは手を膝の上にのせて真っ直ぐに」とか、「寒いという気持ちになって声を落とせ」とか、技術的なアドバイスもしてくれたが、仲蔵が一番大事にしろと言ったのは「了見」だった。芸事、もっと言うと人の生き方すべてが「了見」の持ち方次第で変わることを教えてくれたような気がする。

「富久」。幇間・久蔵の喜怒哀楽に聴き手も一喜一憂する高座だった。浅草三軒町からしくじった旦那のいる芝の久保町まで、西北の筑波おろしが吹きすさぶ寒さの中を懸命に駆けて、「お騒々しいことでございます」と火事見舞いすると、旦那は一発で「よく来てくれたね。また出入りしな」と許してくれたときの嬉しさは一入だったろう。

帳付けを頼まれて、張り切ったのも束の間、御本家から酒が二本、冷やとお燗で届くと、気がそぞろになってしまうのが、久蔵の人間っぽさではあるが欠点でもある。旦那はそれを判っていても、「お前は何でしくじったのか、忘れたのか…寒かったろう。少しならいい」と許してしまうのが優しいところだ。

他の者は誰も飲まず、「私だけ飲みたいみたいだ」と言いながらも、酒を湯呑に注いで、女中のお清を話し相手に飲む久蔵。「嬉しかったんだよ。どこから来た?浅草三軒町です!よく来てくれた!出入りを許す!来て良かった」。一杯が二杯になり、三杯になり、周りにいる番頭や鳶頭に絡み、見舞客に「またしくじるぞ」と言われても、「このあいだの俺ときょうの俺は違うんだ!」。

久蔵はこの旦那を何回もしくじって、出入り止めになっている。その度に「今度こそ、酒でしくじるのはよそう」と思っているのに、しくじって、それでも旦那は許してくれた。寝入ってしまった久蔵を見て、旦那が「もう慣れっこだよ。可愛いんだ」とポツリと言うところに、この二人の素敵な関係性を見る。

だから、久蔵の家が火事で丸焼けになっても、ヨソに行かずにウチに来いと声を掛け、「暫くはウチにいなさい。面倒を見てあげる。小遣いもあげる」と甘やかしてくれる。それについては久蔵もすまない、いつまでも世話になっているわけにはいかないと思っていて、借金があることなどは口に出さず、何とか職場復帰しなくてはと思っている。そこが良い。

で、そんなときに千両富が当たった。だけど、富札は大神宮様の御宮に仕舞っていて、焼けてしまった。富札を売った稲葉の隠居に対し、一銭も貰えないと判ったときに、悪態をつくのも久蔵の人間味と思って許したいような気がする。「いらねえよ!じゃあ、誰が千両持っていくんだ?覚えていろ!お前らの顔は忘れないからな!首括って、一人残らず憑り殺してやる!こんなことなら、当たらない方が良かった!」。

そこからの逆転ホームランには狂喜乱舞だろう。鳶頭が大神宮様の御宮を預かっていると聞き、気が触れたようになる。「中にあれば良し、もしなければ…あった!アハハハハ!ウォー!」。久蔵の喜怒哀楽のジェットコースター、とても愉しかった。