新宿末廣亭十二月中席 神田伯山「淀五郎」

新宿末廣亭十二月中席八日目夜の部に行きました。主任が神田伯山先生の興行、初日からのラインナップは「安兵衛駆け付け」「赤垣源蔵 徳利の別れ」「大高源吾」「南部坂雪の別れ」「神崎の詫び証文」「万両婿」「中村仲蔵」。そしてきょうは「淀五郎」だった。できたくん先生がお客さんの注文で「松鯉先生と伯山先生」、これもまた素晴らしかった。

「越の海勇蔵」神田若之丞/「熱湯風呂」神田松麻呂/漫才 オキシジェン/「寿限無」春風亭昇羊/「松山鏡」桂枝太郎/漫才 宮田陽・昇/「出世の草鞋」国本はる乃・沢村道世/「持参金」三笑亭茶楽/太神楽曲芸 ボンボンブラザース/「赤垣源蔵 徳利の別れ」神田松鯉/中入り/漫談 ねづっち/演目名不明 三笑亭可龍/「替り目」三遊亭遊雀/ハッポウ芸 できたくん/「淀五郎」神田伯山

伯山先生の「淀五郎」。「自分に言い聞かせるような」読み物とマクラで振った。いじわる團蔵、皮肉團蔵と仇名された三代目市川團蔵、三河屋が沢村淀五郎を相中から三階級特進で名題に昇進させ、仮名手本忠臣蔵の四段目の判官に抜擢した意味について深く考えさせられる。

淀五郎の判官を見て、「酷いものだ。役者が腹切りの真似をしているだけだ。嫌だ、嫌だ」とため息をつく。淀五郎が由良之助役の團蔵に「近こう、近こう寄れ」と言っても、團蔵は「下手だ。見ちゃいられない」と花道の七三から動かない。これに対し、終演後に淀五郎は團蔵に「ああいう型があるのでしょうか」と訊くというのは、まるでわかっちゃいない証拠だ。

「あるわけねえだろう!」。ここは天下の市村座、千両役者が舞台に上がるところ。五万三千石の大名の最期の言葉を聞きに来た由良之助だが、「あれじゃあ、いかれねえ」。淀五郎はまだ判っていない。「何か悪いところがあるのでしょうか?」と訊く。「悪いところ?それは良いところがあるから、悪いところを言える。全部、駄目なんだよ」。淀五郎の「どうやって腹を切ったらいいんですか?」という愚問に、團蔵は呆れて、厳しい言葉を投げてしまう。「お前は役者の面汚しだ。明日、本身の刀を使え。下手な役者は死ねばいいんだ。先代、先々代にすまない」。

二日目も淀五郎の芝居は変わっていない。周囲の役者も「名題に抜擢されて、さすがは淀さんだと思ったが、やっぱり相中が三階級特進なんて夢のまた夢だったんだな」と陰口を叩く。それを耳にして、淀五郎は「俺は腹を切って死んだ方がいいんだ」と落ち込むしかない。

堺屋の親方、中村仲蔵に暇乞いに行ったときの、仲蔵の優しさが素晴らしい。「噂は届いているよ。三河屋さんは厳しいが、本物の名人だ。花道の七三で奥歯を噛みしめて待っているんだ。お前に見込みがあるからだよ」。そして、淀五郎に目の前で芝居をさせて見る。

「これじゃあ、役者が腹を切る真似だ。型破りというのは、型が出来てはじめて破ることができる。お前の場合は型無しだ。相中から名題になって、私が私が私が…良い役者と言われたい。それが芝居に出ている」「五万三千石の大名がどんな思いで腹を切るか。周りの者たちにすまない、申し訳ない、という了見だ。それが、お前は褒められたい、褒められたいという了見になっている。大名が腹を切るのは、山賊が腹を切るのとはまるで違うんだよ」。

「声を張ってはいけない。寒い、寒いという気持ちになるんだ。すると、声が小さくなって、震える。顔色も工夫しなさい。青黛(せいたい)を耳の後ろに付けておいて、観客の目が花道にいっているときに、唇に塗りなさい」「芝居が上手くなるコツは、恥をかくことだよ。何度も何度も恥をかくこと。因果な商売だ。芸は逃げたらお終いだよ。判官から逃げるな。四段目から逃げるな」。

仲蔵の懇切丁寧な指導によって、淀五郎は役者として目覚めることが出来た。有難いことである。三日目の芝居を見て、團蔵は言った。「役者というのは面白い。一日にして化けた。粗削りだが、判官になっている。判官なら、行かねばなるまい」。

褒められたいという気持ちが先走っていてはいけない。上手くなるには何度も何度も恥をかくこと。逃げたらお終いだから、決して逃げてはいけない。これらは芝居に限ったことではない。伯山先生は自分へのエールとして、この読み物を読んだそうだ。素晴らしい。そして、これは人間誰にでも当てはまることではないかと思う。僕自身への戒めとして心に留めておきたいと思う。