せたがや 夏いちらくご

「せたがや 夏いちらくご」に行きました。春風亭一之輔師匠プロデュースのこの会も四年目。たっぷりのマクラ、そして「鰻の幇間」と「藪入り」の二席、さらにゲストが米粒写経先生の漫才と大満足の番組だった。

「十徳」春風亭貫いち/「鰻の幇間」春風亭一之輔/中入り/漫才 米粒写経/「藪入り」春風亭一之輔

「鰻の幇間」。一之輔師匠の娘さんの小学校の「6年生を送る会」に出演してほしいと頼まれ、会場に行ったら、幇間の松廼家八好さん(落語芸術協会所属)も呼ばれていて、彼の徹底したヨイショに驚いたというマクラから本編へ。

幇間・一八の悲哀。名前も住まいも判らない“旦那”に鰻をご馳走される運びになって、「向いていないと思ったこともあったけど、続けていて良かった。こういう良いことがあるのだから」と思ってしまったのがとても気の毒だ。

これが性質の悪い悪戯(いや詐欺と言ってもいい)と判ったときの落胆、そして憤り。この怒りをどこへぶつければいいのか。当然、標的は鰻屋の気の利かない女中ということになるだろう。その女中はお清さんという名で、勤続58年。その日が誕生日で、店の皆に祝ってもらうお誕生会がこの後に控えているという…。

鰻は雷電為右衛門の如く筋骨隆々、堅くてウツボみたい。酒は口の中で弾け、新潟のコシノ…カンバイではなくて、ジュンコ。徳利は葬儀屋の電話番号の入ったやつと、3年で別れてしまった男女の結婚祝いの名入れ。でも最大のクレームは、店の者全員を呼び出して叫んだ、「マヨネーズは薬味じゃない!」。

“お連れ様”が鰻弁当3人前を土産に持って帰ったので、勘定書きに書いてある金額は9円75銭。支払いのために、襟に縫い付けてあった10円で払うのだが、これには聞くも涙の物語が。一八が勘当同然で芸人になるときに、弟が「店は僕が継ぐ。立派になったら、兄さんをお座敷に呼ぶから」という言葉を残して渡してくれた10円札なのだ。

そして意気消沈で帰宅すると、一八の家にあの3人前の鰻弁当が届いているという…。最後まで徹底した悪戯に一八の気持ちは「降参」の二文字しかないが、もはや笑い飛ばすしかないだろう。

「藪入り」。亀を思う父親の子煩悩がとても良い。奉公に出して3年は“里心がつく”という理由で許されない藪入りがようやく叶う4年目。前夜から父親は眠れない。あれも食べさせたい、これも食べさせたい、と腹を壊してしまうほどの種類の御馳走を並べ、挨拶回りに連れて行きたいと都内を飛び出して、伊勢や京大阪、さらに安芸の宮島から金毘羅様、九州一廻りをしたいと妄想する父親の愛情が愛おしい。

可愛い子には旅をさせよとはよく言ったものだが、3年奉公して成長して帰ってくる息子に会うのが楽しみでしょうがない、という気持ちがグイグイと伝わってくる。で、いざ帰ってくると、立派な挨拶をする息子が眩し過ぎてまともに目が合わせられないというのも、可愛い父親じないか。自分のお小遣いを貯めて買ったという、父親の好物のハゼの佃煮を受け取ったら、もうこの喜びは絶頂だろう。「神棚に上げて、ちょっとずつ“息子のお供物”ですと言って、近所に配れ」という気持ちも痛いほど判る。

だからこそ、である。自分の息子が可愛いがゆえに要らぬ心配をしてしまうのである。湯に行った亀のがま口に5円札が3枚キチンと畳んで入っていた。小遣いを貯めたにしては多すぎないか?悪い友達に唆されて、人様の金に手を出したのでは?盗みを働いたのでは?そういう心配までしてしまうというのが、親子というものなのだろう。

親、特に父親の息子に対する愛情というのは、猫可愛がりではいけないし、厳しい目を持って育てなければいけない。そのために、一旦外にわざと出して、他人様との集団生活を経験させて、逞しく育てるという制度があったのだろう。父親の「奉公っていうのは、ありがてえなあ」という台詞にそれが集約されているような気がした。

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