一龍斎貞寿「錦の舞衣」女性目線で読む、鞠信と須賀の名人夫婦の心の揺れ動きに圧倒された。

らくごカフェで「一龍斎貞寿の会」を観ました。(2022・02・12)

貞寿先生が「お富与三郎」の連続読みを終えて、次に取り組んでいるのが、三遊亭圓朝作の「錦の舞衣」である。僕はこの日、初めて行ったのであるが、これまでに何回読み進めたのか分からなかったが、中入り前に狩野鞠信と坂東須賀の馴れ初めをしっかりとおさらいしてくれたお陰で、中入り後の宮脇数馬にまつわるストーリーの展開をたっぷりと堪能することができた。(「錦の舞衣」に関しては、柳家喬太郎師匠で何回か拝聴しているので、わかりが良かったというのもあるかもしれないが)。

圓朝全集には「名人競べ」とあるように、狩野派の絵師として名人である鞠信と、踊りの坂東流で名手である須賀が、互いに惚れ合い、尊敬しあっているところが美しい。近江屋喜左衛門の仲人で、夫婦になったけれども、お互いの芸の妨げになるといけないと言って、別々に暮らすところなんぞは一般人とは次元が違う。

谷中の南泉寺の欄間の絵を頼まれた鞠信は、寝食を忘れて絵筆を取るから、根津の清水にある自宅に帰らないことも度々という熱の入れよう。そこに、ある青年が訪ねてくることが、鞠信の運命を変えてしまうことに今後なるのだが、それは次の回に委ねるとして、この青年がこの日のポイントになる。

宮脇数馬だ。鞠信が須賀を見初めて、夫婦になりたいと思ったときに、須賀から静御前の踊る絵の左手がなっていないと指摘され、京都に6年修行したときに世話になった宮脇志摩の子息だ。大塩平八郎の乱で処刑された志摩が、数馬に言い残したことは、「お前の母は江戸にいる。妹は小菊という芸者をやっている」ということ。

それで数馬は、江戸の鞠信を頼りに訪ねてきたというわけだ。だが、もはや数馬は追われている身。匿ってやりたいが、この絵筆を取っている寺ではまずい。そこで、女装をして清水の自宅で隠れていなさいと指示する。妹の小菊とも会って、彼女の着物を持っていたから、華奢な身体の数馬はどこから見ても女に見える。

だが、数馬が去った後に、須賀が寺を訪ねてきたから、話がややこしくなる。どうやら、鞠信と小菊の間に何かあるらしいと訝しみ、嫉妬をする。今、出て行った女性は誰?鞠信は数馬を守りたいから、最初は「小菊ではない」と否定していたが、最終的に「小菊だ」と言ってしまう。嘘も方便というやつだ。

一方、須賀に岡惚れしている与力の金谷東太郎は、同心の石子伴作が手入れをして見つけた、鞠信が小菊に菊の花を描いてやった扇子を須賀に見せ、まるで鬼の首を取ったように鞠信と小菊の仲を誇張する。お前は、あんな貧乏絵描きなんかより、俺の女になった方が幸せだと。須賀もそうまでされると心は揺れる。

そして、須賀の足は鞠信の自宅へ。数馬は戸棚に隠れ、鞠信が迎い入れる。そして、須賀が責め立てる。小菊さんとの仲はどうなっているの?私という女房がありながら…。数馬を庇いたい鞠信は何も言うことができない。いたたまれない数馬は戸棚から出てきて、一部始終を打ち明ける。事情を知った須賀は言葉もない。恩人を助けるために、自分に嘘までついていた鞠信の律義さ。嫉妬した自分を恥ずかしく思う須賀の表情が印象的だ。

そこへ石子伴作率いる同心たちが詮議にやってくる。もはや、これまで…。別の間に隠れた数馬は自害する。数馬を匿った鞠信の身はどうなるのか…。

この日は、ここまで。貞寿先生は「お富与三郎」のときもそうだったが、女の心の揺れ動きを描くのが上手い。それは自分が女性ということもあるかもしれないが、それ以上に、この作品を深く読み込んでいる現れではないかと思う。女流講談師が読む「錦の舞衣」、目が離せない。