【追悼 竹内結子】僕は女優としてのあなたが好きでした。
9月27日、女優の竹内結子さんが亡くなった。享年四十。ご冥福をお祈りいたします。
竹内結子さんを強烈に意識したのは、2004年公開の映画「いま、会いにゆきます」だろう。竹内さん演じるところの澪、というより澪を愛していた中村獅童演じる巧の感情に前半は共鳴し、後半に澪も高校時代から巧が好きだったということが日記によって明かされる部分で激しく澪、いや竹内結子に惹かれてしまった。この映画を観ていない人にはなんのことやらわからないだろうが、高校時代に2年間隣の机だった二人が、実は片思いをお互いにしていたと判ったところで滂沱の涙が溢れ出てしまうのは、急遽、竹内さんの訃報に接してもう一度、Amazonプライムで観直してみても同じであった。
僕自身は中学時代の思い出なのだが、イケメンでもなければ、スポーツも苦手な僕が好きになった女の子が、高校時代にたまたま通学路線が同じで話す機会を得たら、向こうも僕のことが好きだった…という。その甘酸っぱい記憶がフラッシュバックしたというだけの話しで、この映画の本当のテーマからは大きく外れているのかもしれないのだけれど。ただ、お互いに思いやる気持ちというのは大事だなあ、というのも、この映画から感じとっていて、生まれ変わってもまた、同じ人と巡り会うことは奇跡ではないのかもしれない、と思うのだった。
原作者である小説家・市川拓司さんのご自分の病気を含めた体験が同名小説のベースになっていることは、後年知った。2年ほど前にラジオのインタビューに市川さんにご出演いただいたときに、発達障害について語られていて、単なる恋愛ファンタジーではない奥深さを教わった。それは「お互いに思いやる」気持ちという部分とクロスするのではないかと勝手に思っている。僕は今も精神の病気と闘っているので、僕の妻に対する気持ちは巧の澪に対する気持ちの相似形なのかもしれない。すなわち、映画の中の中村獅童が竹内結子に対する気持ち。竹内結子はこの作品で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しているが、名演である。
この映画が公開された04年に、竹内さんは初エッセイ「ニオイふぇちぃ」(ぴあ)を刊行している。その中で「焦らない、焦らない」という項目にこう書いている。以下、抜粋。
あれほど望んでいた時間からの解放。しかしいざその日が来てしまったとたんに、何も手に付かず、何も触覚が反応しない。無駄に時間を浪費するばかり。しかしだ、飢えも無く過不足も無い、「飽和している」そう感じてしまうということはとても危険なことやも。好奇心だったり探求心だったり、時には我慢、またある時は妥協ではなく“折り合い”と言葉を換えたときの悔しさもないという事。満たされないモノがあるからこそのやる気。嗚呼、我に光をというハングリーさを失ったら終わりだ。このままでは脳みその皺という皺はつるつるのすべっすべになっちまうぅ~!目を覚ませ立ち上がれ!
・・・って。やる事を見つけるために必死になっているんでないかい。こりゃ何か?いわゆるワーカーホリックってやつか?いや、私はそんなたいした奴じゃない。湿っぽいなぁオイ。ため息ついて窓を開ければ乾いた風が入り込んでくる。まぁいいじゃん、空気も気持ちも入れ替わればまた何か見つかるよ。焦らない焦らない。次の機会に備えた小休止なんだわさ。そうよ、次があるって事の幸せ。無駄を感じてのほほんと過ごせる今日があるのもまた幸せ。いい生活してんじゃん?私(笑)。以上、抜粋。
なんかね、竹内さんのゆるーく、でも前向きに考える姿勢に、いま改めて共感してしまう僕がいる。セッセと働くのもいいけれど、あまり欲張ると踏み外すぞ、という軽いアラートかもしれないと思う。そんなメッセージを遺してくれたことにも感謝したい。
女優・竹内結子は映画やテレビドラマにあれだけ出ていながら、舞台には1度しか出演していない。2014年、「君となら」。作・演出が三谷幸喜。94年、97年に斉藤由貴と角野卓造のコンビで上演したお茶の間ホームコメディの再演で、草刈正雄と組んでいるのを観た。もしも娘の恋人が、父親以上に歳の離れた人物だったら…。好きだけど隠したい、そんな彼が突然家に訪ねてきたら!嘘が嘘を呼ぶストーリーは、竹内結子のコメディエンヌとしての序幕を見た気がしたのだけれど。
プログラムに竹内結子はこうコメントしている。
いつかは舞台をやってみたい、経験してみたいという漠然としたあこがれは、以前からあったんです。それが三谷さんとお会いして「素敵な隠し撮り」と「大空港2013」をご一緒する過程で「舞台ができたら」が「やってみたい」になり、そして今「やりたい」につながったという感じですね。以上、抜粋。
舞台女優として、40代、50代の竹内結子が観たかったです。合掌。