【知恵泉】Jホラーの元祖『東海道四谷怪談』の発想術 鶴屋南北

NHK―Eテレで「知恵泉 Jホラーの元祖『東海道四谷怪談』の発想術 鶴屋南北」を観ました。

文化文政期の歌舞伎のヒットメーカー、四代目鶴屋南北(いわゆる大南北)がどのようにして大衆に受ける狂言を創作したのか。その秘密を探る、優れた番組だと思った。

「天竺徳兵衛韓噺」は徳兵衛が室町幕府を転覆しようと画策する物語だが、2ヶ月におよぶロングランになったのには、南北の作戦があったという。池に飛び込んだはずの役者が花道に登場する、テレポーテーションか?と思わせる演出。池に飛び込んだのは徳兵衛が変装した徳市で、花道から出てきたのは同じく徳兵衛が変装した斯波義照。この観客をアッと驚かせる仕掛けが話題になったのは、「これはキリシタンの魔法に違いない」という噂が流れ、奉行所までもが取り調べに動いた。だが、それは南北自身がその噂を流していたという…。いわば、現代でいう「炎上商法」という分析だ。

1755年に南北は日本橋の染物屋の息子として生まれ、近所の葺屋町に芝居小屋があり、その影響で芝居が好きになる。20歳のときに狂言作家に入門するが、長い下積み生活が続いた。その頃、「おかしみの小幕」と呼ばれる道化型役者が中心として演じる現代でいうコントのようなものを書いていた。どんな手を使っても、客を面白がらせる。もっと受けるためにはどうしたらいいか。試行錯誤した経験が後に役立つことになる。

平賀源内や烏亭焉馬らと善光寺御開帳の際に、生きている牛の背中に南無阿弥陀仏という文字を書いて、市民を喜ばすこともした。また、黒い壁から突然盗賊が現れる演出で、実はそれは鯨の腹の中から出てきたと謎解きする「鯨のだんまり」というアイデアを考案したのも南北である。

南北が50歳のとき、河原崎座が経営危機に陥り、看板役者が出ない夏興行をどうするかと頭を悩ましていたときに、あの「天竺徳兵衛韓噺」を提案した。徳兵衛のモデルは鎖国前のタイやインドの商人で、ロシアなどの外国船が来航して世間が外国に関心を寄せていることに注目し、話題作りをした。また、徳兵衛が日本を乗っ取るという設定で、煙の中でドロンと消えると、そこに巨大な蝦蟇が現れるという迫力満点の大スペクタクルで観客の心を奪った。これによって河原崎座は立ち直ったという。

代表作「東海道四谷怪談」は、南北71歳のときの作品だ。民谷伊右衛門とお岩という美男美女の夫婦だが生活苦。そこに隣家から伊右衛門に婿入りしないかという誘いが来る。お岩に薬だと偽って顔が醜くなる毒を飲ませ、お岩は伊右衛門に恨みを抱いて死に、怨霊となって復讐劇を繰り広げるというストーリー。

ヒットの秘密はいくつかある。一つは皆がよく知っている話をベースに脚色をするとう手法。元々「四谷雑談」というネタ本があった。お岩は容姿も性格も悪く、突然家を飛び出して行方不明になると、次々と怪奇現象が起こるというものだった。それをお岩は美しく気立てもいい女に変え、彼女が醜く変貌し、怨霊となって残虐な復讐をしていくという筋立てにした。

また、江戸で起きたある事件もヒントにしている。ある旗本が妾と使用人が不義を働いているとして二人を殺害し、戸板に死骸を載せて神田川に流した。そこから発想を得て、あの「戸板返し」を思いつく。伊右衛門は使用人とお岩が不義をしていたとして殺し、戸板の裏表にお岩と使用人の死骸を張り付け、川へ流す。伊右衛門が釣りをしたときに、その戸板が偶然流れてきて、殺したはずの二人が伊右衛門に恨みごとを言う。この二人を1人の役者が早替りで演じるという趣向も画期的だ。

そして、「東海道四谷怪談」最大のヒットの秘密は、「仮名手本忠臣蔵」のスピンオフに据えたことだ。伊右衛門は義士に加えてもらえなかったはみだし者という設定で、主君の敵の家来に婿入りする不義士として描いた。そして、舞台に掛けるときは、忠臣蔵(義士)と四谷怪談(不義士)を交互に上演する手法を取り、さも繋がっている物語と思わせるというやり方だ。

鶴屋南北は「世の中で何が受けるか?」にいつも心を砕き、文化文政期の歌舞伎シーンを席捲するヒットメーカーになったのだ。改めて、大南北の凄さを思った。