【プロフェッショナル】津軽海峡、マグロに愛された男 マグロ漁師・菊池武一

NHK総合テレビで「プロフェッショナル 津軽海峡、マグロに愛された男 マグロ漁師・菊池武一」を観ました。
マグロの代名詞にもなっている大間。ここで伝説の漁師と呼ばれている男が菊池武一、64歳だ。菊池は今ではどのマグロ漁師も標準装備しているマグロ釣り機を開発し、それまでは腕一本で何時間もかけて釣っていたマグロを僅か30分で釣れるようにした。そして、疑似餌を新素材メーカーと共同開発し、まるで本物のイカのように動く優れものにした。しかも、その技術を自分のものだけにせず、マグロ漁師たちに惜しみなく提供。門外不出とされてきたマグロ漁のテクニックに革命を起こしたところがすごい。
1961年、菊池は4人兄弟の長男として生まれた。父の正もマグロ漁師で、「父のようになりたい」と船に乗り込み、11歳のときに144キロという大物を釣り上げ、虜になった。だが、15歳のときに父が病に倒れ、余命宣告を受ける。高校進学を断念し、一家を支える決意をする。そして、遠洋漁業の乗組員としてしゃにむに働き、仕送りを続けた。24歳で大間に戻り、数千万円の借金をして小さな船を買った。
だが、青函トンネルの工事の影響もあり、マグロが獲れない時期が続く。やむなく、イカ漁をして生計を立てた。それでも、小さな船には限界があり、捕獲量は他の漁師より劣った。必死で潮の流れや海の地形を読む勉強をした。
35歳を過ぎた頃、大間にマグロが戻ってきた。水温や潮の流れを記録し、マグロの獲り方を試行錯誤した。他の漁師が休んでいるときも休まずに漁に出て、風が吹こうが、波が荒れようが、失敗を失敗で終わらせずに勉強した。津軽海峡は菊池の先生だった。やがて、マグロが面白いように獲れるようになり、「ミスターパーフェクト」と呼ばれるようになった。
マグロ釣り機や疑似餌など、考案したものは他の漁師たちに伝え広めた。父と漁に出て、大物を釣り上げたときの、「あの引き」「あの昂り」を皆に味わってほしいと考えた。「大間のマグロ」は世界中に知られるブランドになった。そして、菊池は「大間のエジソン」とも呼ばれるようになる。
12月下旬はマグロ漁師にとって、最もしびれる時期である。12月30日から一週間に獲れたマグロで初競りがおこなわれ、「一番マグロ」という名誉を誰が獲得するかを競うからだ。これまで、菊池の弟の一夫が2022年に、正義が24年にその栄誉に輝いたが、菊池武一はまだその経験がないのだ。「今年こそ」と思う。
12月30日。雹や凪と津軽海峡の表情がめまぐるしく変わる中、菊池は漁に出た。延縄(はえなわ)漁。3キロに仕掛けを展開し、30分後に仕掛けを揚げる。氷点下3度、風速20メートル。命懸けの漁だ。強い引きがあった。電気ショッカーを施す。150キロ超え。「160はあるな」。だが、一番マグロを狙うには弱い。
大晦日から3日間は禁漁だ。1月3日。翌日が時化という予報のため、これがラストチャンスだ。50隻の船が一斉に漁場に向かった。函館沖を確保。だが、菊池の体に異変が起きた。腰から左脚にかけて痺れ、痛みが走る。だが、菊池は体に鞭を打って、80本の針を海に投じる。待つこと、40分。強い手応え。「食ってるね」。電気ショッカーを与え、慎重に引き揚げる。このワクワクが堪らないという。146キロ。200キロには届かなかった。勝負の一週間は終わった。
初競りには110本のマグロが掛けられた。そして、245キロのマグロが5億円で一番マグロに輝いた。二番マグロは菊池の教え子が獲った。だが、菊池には「挫折」という言葉はないという。
菊池にとってプロフェッショナルとは…「ドキドキかな。楽しくなければやれない」。一番マグロという栄誉は、もしかしたら菊池にとっては取るに足らないことなのかもしれない。技術を磨き、それを伝え、マグロ漁師たちが皆、ドキドキしながら漁をする世界に貢献している。そのことの方が素晴らしいのではないかと思った。


