こまつ座「兄おとうと」、そして扇辰・喬太郎の会 柳家喬太郎「王子の狐」

こまつ座公演「兄おとうと」を観ました。

兄の吉野作造も、弟の信次も東京帝国大学法科大学をいずれも首席で卒業したエリートだが、全く異なった考えをもって天下国家に尽くそうとした。作造は政治学者として、「政治は国民を基とする」という民本主義を唱え、大正デモクラシーの旗手となった。一方の信次は高級官僚となり、「万世一系の天皇」を頂点とした社会の規範に則ることで国民は幸せを享受できると考えた。

この芝居が面白いのは、この水と油のような関係の二人の間にいる作造の妻・玉乃と信次の妻・君代の姉妹が潤滑油として存在しているところだと思う。作造と信次は楷書体で天下国家を語るが、玉乃と君代は日常のささやかな幸せを歌に乗せながら観客に国家はどうあるべきかを優しく問いかけるのだ。

関東大震災の直後の場面で出てくる「海苔のおにぎり」は、おにぎりのような手のひらサイズの日常の幸せがかけがえのないものだと訴える。三度のごはん、きちんとたべて、火の用心、元気で生きよう、きっとね。戦争や災害、病気などからどう人々を守るか。人々の安全、生命を保障することこそが政治の役割なんだと平易に教えてくれる。

演出の鵜山仁さんもパンフレットの中で、「兄弟が対立し、葛藤する。二つの異なったベクトルの衝突が、生きる力を生み出す」と語っている。その衝突の緩衝材となっているのが劇中歌であり、これこそが井上ひさし先生の面目躍如たるところであろう。「ふとんの唄」「へそくりソング」「説教強盗の唄」…。

改憲論議が取り沙汰されている現代において、大日本帝国憲法の下にあった吉野兄弟の葛藤を私たちの暮らしに身近な問題として提起しているところが、2003年初演から色褪せずに上演される意味だと思った。

「扇辰・喬太郎の会」に行きました。入船亭扇辰師匠が「夢の酒」と「時そば」、柳家喬太郎師匠が「へっつい幽霊」と「王子の狐」だった。開口一番は柳亭すわ郎さんで「芋俵」だった。

喬太郎師匠の「王子の狐」は「ほぼネタおろし」。狐というと人間を化かす存在と捉えがちだが、お稲荷様のお遣い姫として崇める側面もあることをユーモラスに描いた良いネタだなあと思った。あまり演り手がいないのが不思議だ。

狐が頭に木の葉を載せて、二十二歳くらいの色白のいい女に化けるところを目撃した男は悪戯心をおこして、逆に化かしてやろうと考え、「おたまちゃん!」と声を掛けると、向こうも「あら、お兄さん!」と応える。そして、ご馳走すると言って扇屋という料理屋の二階に上がり、酒をやったりとったり。そのうち、女は酔いつぶれ、頭が痛くなったと言うので、床を敷いてもらい、横になる。

男はぐっすりと寝込んだところを見計らって、玉子焼き三人前を土産に頼んで、「勘定はあの女が払う」と言って、逃げてしまう…。悪質だ。日が暮れたので、店の者が女を起こし、勘定を払うように言うと、女は驚いて、コン!と鳴いて正体を現す。狐に化かされた!無銭飲食だ!と思った店の者たちは、寄ってたかって狐を殴る、蹴るなどして、とっちめてしまう…。

扇屋の旦那が帰って来て、そのことを知ると、「狐は王子で商売をする人間にとっては、お稲荷様のお遣い姫だ。召し上がってもらった上で、お賽銭を渡すくらいしないといけないのに、お前たちはとんでもないことをした」と怒り、皆で王子稲荷に詫びに行くことにする。

真犯人の男は「狐を逆に化かしてやった」と自慢をしに、土産を持って兄貴分のところへ行くと、兄貴分は扇屋の旦那同様、「洒落にならないことをしたな。祟られるぞ。詫びに行け」と言う。

男は狐の棲む穴を探し、出てきた子狐に「お母さんに悪いことをしてしまった。申し訳ない。謝りたい」と言って、土産の牡丹餅を渡す。奥で寝込んでいた母狐は「信用できない。その牡丹餅は馬の糞に違いない」。

落語に出てくる狸は人間に恩返しをする誠実なキャラクターが多いが、狐もしかり。「安兵衛狐」(上方の「天神山」)では、人間に尽くすキャラクターとして登場する。「紋三郎稲荷」でも、狐に「化かすのは人間の方がうまい」と言わせてサゲている。“お狐さま”として信仰されていたことがよくわかる噺として、興味深いなあと思った。