秀山祭大歌舞伎「ひらかな盛衰記 逆櫓」「伊賀越道中双六 沼津」

秀山祭大歌舞伎に行きました。
昼の部 春調娘七種/三社祭/ひらかな盛衰記 大津宿屋・笹引き・逆櫓
夜の部 雛鶴三番叟/伊賀越道中双六 沼津/銘作左小刀 京人形/一條大蔵譚 奥殿
「逆櫓」。大津の宿で梶原景時方の襲来の混乱により、船頭権四郎は孫の槌松と木曾義仲の奥方山吹御前の息子駒若丸を取り違えてしまった。摂津福嶋の自宅に到着したときには、背負って来た子が槌松ではないことに気づいたが、「よその子でも大切に育てれば、いずれは真の槌松と会うことも叶うだろう」と考える了見が素敵だ。幸い、子どもは権四郎や槌松の実母およしに懐き、我が子同様に育てることができた。
そこへ山吹御前の腰元お筆が訪ね、大津で子どもを取り違えた者だと申し出た。これを聞いた権四郎とおよしは、真の槌松に会えると喜ぶが…。槌松は梶原景時の家来の忠太に首を刎ねられたというのだ。駒若丸を戻してほしいと頼むお筆に対し、権四郎は怒り、駒若丸の首を討って返そうとする。
そこに松右衛門が駒若丸を抱いて姿を現した。松右衛門は槌松の父であるおよしの前夫が他界したために迎えた二度目の聟である。権四郎が松右衛門に駒若丸を討つように促すが、松右衛門はこれを拒み、我が身の素性を語り始める。
松右衛門は実は木曾義仲の家臣の樋口次郎兼光であった。義仲の命令で出陣したが、義仲が討死にしたため、身をやつして主君の仇を討つ時節を窺おうと、この家の聟になったのだった。
お筆の話から、自分が抱いている槌松は実は駒若丸と知れた。義理の仲ではあるが、真の槌松が図らずも若君の身代りになったのも、権四郎のお陰と感謝する。そして、こうして親子、夫婦となったことを宿命と諦め、自らの武士道、忠義の道を立てさせてほしいと言葉を尽くして頼む。この話を聞いて、権四郎は得心した。
権四郎が見事だ。権四郎は駒若丸を連れて畠山庄司重忠に訴人をした。樋口を裏切ったのではなかった。槌松はおよしの前夫との子ゆえ、助けてほしいと嘆願したのだ。これを聞いた重忠は、槌松が駒若丸と承知した上で、その願いを聞き届けた。重忠の温情も素晴らしい。主従の忠義だけでなく、そこに義理ではあるが、親子の情愛を感じた。
「沼津」。片岡仁左衛門演じる呉服屋十兵衛の複雑な胸中が眼目だ。道中で出会った雲助の平作は十兵衛の実の父だった。平作は平三郎という息子が二歳のときに鎌倉へ養子に出し、今では立派な商人になったと語ることから、十兵衛はそれを知る。だが、平作はもう息子への思いは断ち切ったと言うので、十兵衛は名乗り出ることをやめた。
だが、物語の面白さは平作の娘お米の聟、志津馬の仇討が絡むところにある。志津馬は上杉家家老の和田行家の子息で、行家を殺した同じ家中の沢井股五郎に仇を討つために行方を捜している。十兵衛が置き忘れた印籠の文様が股五郎のものであることに、お米は気づく。十兵衛は沢井家の出入りの商人で、印籠を預かった上で、股五郎の逃走の手助けをしたのだった。
残された書付から、お米は十兵衛が実の兄であることを知る。お米は平作とともに、仇の在処を聞くために十兵衛の後を追い、追いつく。ここが最大の見せ場だ。平作は印籠の持ち主の居場所を教えてほしいと頼む。平作の気持ちを汲み取る十兵衛だが、持ち主への義理ゆえに明かせないと答える。すると突然、平作は十兵衛の脇差を抜き取り、自らの腹に突き立てる。そして、自分の命と引き換えに股五郎の所在を明かしてほしいと懇願する。
十兵衛は父の覚悟と犠牲に心打たれ、「平作への餞別だ」と言って、傍らでおよしが聞いているのも承知の上で、股五郎は九州の相良に落ち延びたと明かす。これを聞き、安堵した平作はようやく十兵衛との親子の名乗りを果たし、息絶える…。武士の仇討に巻き込まれた庶民の悲劇と人情に胸打たれた。

