【アナザーストーリーズ】“ダンシング・クイーン”が起こした奇跡~ABBAと王妃の知られざる物語~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ “ダンシング・クイーン”が起こした奇跡~ABBAと王妃の知られざる物語~」を観ました。1976年、僕はまだ小学校6年生だけれども、世界中で大ヒットした♬ダンシング・クイーンとそれを歌ったABBAの名前はしっかりと記憶にある。だが、この名曲にこんな知られざる物語があるとは…素晴らしいドキュメンタリーだった。

1972年のミュンヘンオリンピックで、VIPをもてなす係を担当したシルビア・ソマラート(当時28歳)は、スウェーデンのカール・グスタフ皇太子(当時26歳)と恋に落ちる。一般家庭に育ったシルビアはこう語っている。「私は彼を皇太子としてではなく、一人の男性と見ていました。彼はとても温かくやさしい人で、目はキラキラと輝いていました。一緒に過ごす時間がとても楽しかった」。

翌年、カール16世・グスタフは国王に即位。過酷な現実が待っていた。貴族の相手に一般人は相応しくない。尚且つ、王制は時代に合わない、共和制に移行するべきという時代の逆風も吹いていた。国民はシルビアを受け入れるのか。そんな中、交際3年半。1976年3月に婚約を発表する。

「私は私の人生を新しい国の人たちにささげます。王妃としての務めをしっかり果たしていきたいと思います」とドイツ語で喋ったシルビアに対し、記者から「スウェーデン語で」と求められ、うまく話せなかったことが物議を醸し、国民は不満に思った。沢山の記者に囲まれるのは私にとって初めての経験、気が動転してショックを受けたと述懐している。

1976年6月18日。ストックホルムの王立オペラ座で結婚式の前夜祭が開かれる。この逆境を撥ね飛ばそうと演出担当のアン・マグレート・ペッテルソンはある決断をする。通常流れる音楽がクラシックであったのに対し、現代的なポップミュージックを演奏し、新しい時代の幕開けを表現しようという大博奕を打ったのだ。白羽の矢が立ったのは、ABBA。彼らは快諾し、新曲♬ダンシング・クイーンを歌うことにする。「さあ人生を楽しんで、あなたこそがクイーンだ」というメッセージがこもった楽曲でシルビアを励まそうとしたのだ。不安と緊張の表情を隠せないシルビアだったが…。ABBAが歌い出す。

あなたはダンシング・クイーン、若くてかわいい17歳、ねえダンシング・クイーン、タンバリンのビートを感じて、あなたなら踊れる、カッコよく決められる、さあ人生を思いっきり楽しんで、あの子を見て、あの光景を目に焼き付けて、あなたもダンシング・クイーンになれるわ

劇場が一つになって盛り上がった。そして、シルビアも満面の笑みを浮かべた。

シルビアは振り返る。私は歌詞に出てくるような17歳の少女ではなかったけど、自分にこんな素敵なセレナーデが贈られるなんて、とても嬉しかったことを覚えています。

シルビアは三人の子宝に恵まれ、ありのままの生活を国民にさらけ出し、王室のイメージを親しみやすいものにした、スウェーデン語もみるみる上達し、持ち前の明るさで国際交流し、「王室の救世主」と謳われた。1993年、50歳の誕生日を祝うセレモニーが王立オペラ座で開かれ、活動を休止していたABBAも駆け付け、♬ダンシング・クイーンを歌った。

だが、♬ダンシング・クイーンはシルビアに捧げる曲として知られたが、実は結婚式前夜祭での披露のオファーが来る前に完成していた楽曲だったことはあまり知られていない。

ABBAは1972年に4人組のアーティストとしてデビューした。1970年代のミュージックシーンは体制に反発するようなロックバンドが席捲していて、ABBAの音楽は軽薄で、メッセージ性がないと批判された。派手な衣装で目立って売れることしか考えてない、聴くのは恥ずかしいと思われていた。だが、彼らはそんなつもりはなかった。「売れるための計算なんてしていない。君たちは歌を作って大儲けしようとしていると疑われているが、それは誤解だ」。

ビートルズに憧れ、ポップソングをはじめた。批判や逆風に屈しないで、自らの道を突き進んだ。当時、アメリカで流行したディスコミュージックに注目し、音楽を創作した。納得するまで何度もやり直す完璧主義だった。♬ダンシング・クイーンは制作に5ヶ月をかけている。そこには歌詞へのこだわりが詰まっていると研究者は分析した。

当初あった「ベイビー、ベイビー、イカしているね。今夜のキミはバッチリ決まってる」という歌詞はカットした。ベイビーは男性が女性を誘うときに使う言葉で、歌の世界が限定されてしまうことを避けたのだろう。「You」が沢山あるのは、誰にでもあてはまる、自分に語りかけているように思える、つまり沢山の人を励ます歌にしようという意図が読み取れる。

1976年1月に完成。5か月後の国王結婚式前夜祭はまさにそれをPRする絶好の機会になった。そして、多くの人々の心に響き、ヨーロッパ、アジア、アフリカと広まり、全米ではチャートナンバー1に輝いた。世界中の大ヒットとなった。彼らが信念を貫き生み出した曲が多くの人の心に届いた証だろう。

ABBAは1977年3月、オーストラリアでライブツアーをおこなった。当時、同性愛者は侮辱され、犯罪者とみなされ、差別による暴力事件も多発し、肩身の狭い思いをしていた。そんなとき、地下のゲイバーで♬ダンシング・クイーンが流れ、あなたはダンシング・クイーン、人生を思いっきり楽しんでという歌声に、同性愛者のランス・デイは踊らずにいられなかったという。

ランスは交際していた女性と別れ、偽りの自分を捨てた。そして、平等の権利を求めた。同じ人間なんだと社会に訴えたい。1978年6月、「バーを出よう、通りへ出よう」とデモをおこなった。私たちはここにいる、長年隠れて生きてきたが、もう終わりだ。そういうメッセージをこめたデモだった。だが、参加者は強制逮捕され、新聞には実名報道された。

それでもランスたちは屈せず、毎年デモを続けた。やがて、それは「マルディグラ」と呼ばれ、華やかなパレードに進化していった。そこに流れるのは♬ダンシング・クイーン。性的マイノリティの間で愛される曲になっていた。

2000年のシドニーオリンピック閉会式ではカイリー・ミノーグがマルディグラを再現するパフォーマンスをした。そして、2016年には政府が過ちを認め、謝罪した。17年12月、同性婚が合法化する。悲願達成だ。ランスは「ようやく平等の権利を手に入れた。夢のまた夢が現実になった。声をあげ続けてきて良かった」。

性的マイノリティを祝福する楽曲としての♬ダンシング・クイーンが今も流れ続ける。自分らしくダンシング・クイーンであるために。名曲の知られざる物語に感動した。