【アナザーストーリーズ】浅田真央 伝説のソチ五輪~生涯最高得点の真実~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 浅田真央 伝説のソチ五輪~生涯最高得点の真実~」を観ました。

浅田真央は2010年のバンクーバーで惜しくも銀メダル、帰国後に「嬉しさ半分、悔しさ半分。ソチに向けて頑張ります」とコメントした。そして迎えた2014年のソチ。浅田はショートプログラムでミスを続出、まさかの16位となった。だが、翌日のフリーで浅田は今でも語り草となる演技を見せ、生涯最高得点を叩き出す。番組では、この伝説の演技を三つの視点から描いてくれた。

ロシアのロフゲニー・プルシェンコ。2002年ソルトレーク銀、06年トリノ金、10年バンクーバー銀、14年ソチ団体金。4回転ジャンプを武器に、「皇帝」と称される男子フィギュアスケート選手だ。プルシェンコが初めて生の浅田を見たのは、2005年の横浜のアイスショーだった。これまで日本人選手のような型のはまっていない、トリプルアクセルを惜しげもなく披露する演技に魅了されたという。

女子選手がトリプルアクセルに成功した例は浅田が2017年に引退するまで、伊藤みどり、ハーディング(米)ら僅か8人しかいなかった。その中でも、浅田は10年以上にわたって成功し続けた「別格」の存在。たった一人で女子フィギュアのレベルを数十年先まで押し上げた、歴史上かつてないカリスマ的選手だとプルシェンコは言う。

2010年のバンクーバー。浅田はショートプログラムで1回、フリーで2回、1大会で3回のトリプルアクセルを見せた。これは史上初めてのことだった。しかし、金メダルは韓国のキム・ヨナに輝く。プルシェンコは当時、「トリプルアクセルを跳んだのだから、もっと高い得点を付けるべきだ」と発言し、物議を醸した。「オリンピックは芸術祭じゃない。スポーツの大会だ。最も難しいジャンプを跳んだ選手が最も良い結果を得るべきだ」と。

2014年のソチから初めてフィギュアスケートに団体戦が導入された。プルシェンコは4回転を跳び、ロシアの団体優勝に大きく貢献した。しかし、9ヶ月前に椎間板の手術をしていて、強硬出場だった。4日後のシングルのショートプログラムの直前練習中に腰に激痛が走る。「椎間板のネジが外れていた」。出場を辞退した。

浅田はシングルのショートプログラムでトリプルアクセルを失敗、その後もミスを続出し、16位に終わった。だがその翌日、フリーの演技で生涯最高得点を叩き出す。トリプルアクセル、トリプルフリップ、トリプルループ…8つのジャンプをノーミスで成功させた。華麗なスピン、渾身のステップ、ジャンプ以外でも心を震わせる演技を見せた。

浅田は2017年の引退会見のときに、このソチのフリーを振り返って、「当日の朝まで大丈夫かと不安だった。でも、リンクのドアが開いた瞬間に『やるしかない』と気持ちが変わった」。リンクに上がれば「これからやるのは氷の上で何百回と繰り返してきた技だ」と思い出したのだろうとプルシェンコは分析した。そして、フリーの演技が終わったとき、SNSでこうつぶやいた。「トリプルアクセルをありがとう!君は真の戦士だ!」。

ロシアのアデリナ・ソトニコワ。ソチの女子シングルで金メダルに輝いた、当時十七歳だった選手だ。浅田はフリーで142.71点だったが、ソトニコワは149.95点を挙げる。しかし、ソトニコワは「真央を超えたとは思っていない。彼女には物語のように表現するすごさがあった」と振り返る。

2008年、12歳でロシア選手権優勝、「神童」と呼ばれた。2011年のモスクワでのグランプリシリーズ、ロステレコム杯でソトニコワの前に立ちはだかったのは浅田だった。浅田はこのとき、トリプルアクセルを回避し、ダブルアクセルに徹したが、優勝。ソトニコワは3位だった。浅田の技術点49.96に対し、ソトニコワは53.58と上回ったが、演技構成点では浅田63.20、ソトニコワ56.62。「私はまだまだ子ども。世界は甘くない」と知った。

その後、ソトニコワはスランプに陥る。世界のトップクラスの選手には表現力があるが、自分はそれが見劣りすると思った。そんなとき、日本からアイスショーへの出場の依頼があった。浅田直々の指名だった。浅田は言った。「一緒に滑る度に上手で本当に素晴らしくて、とてもびっくりしている。これからももっともっとお互いに頑張っていけたら良いな」。ソトニコワは自信を取り戻す。練習に集中し、「自分にしかできないオリジナルをやればよい」と考えるようになった。

そして、ソチのフリー。「私にとって忘れられないものとなった。ステップ、スピンも彼女しかできない演技だった」とソトニコワは浅田の演技のVTRを見ながら泣いた。ショートプログラムの出遅れが響き、浅田は6位に終わったが、優勝したソトニコワは賞賛した。

エキシビションで二人はハグし、ソトニコワは言った。「私は優勝しました。それはあなたのようになりたいと目指していたからです。真央、あなたのような強さを持った選手は他にいません」。

ロシアのタチアナ・タラソワ。バンクーバーで浅田のコーチを勤め、ソチでもフリーの振り付けを担当、あの伝説の演技はロシアのテレビ局の実況席で観た。タラソワは2007年から浅田を指導した。19歳でフィギュアスケートのコーチとなったタラソワは、これまで10人以上の金メダリストを育てた実績がある。浅田の母親、匡子さんから「真央の才能を開花させてほしい」と手紙をもらって、引き受けた。それまで表情の硬かった浅田に表現力をつけることが最大の使命だった。

2010年のバンクーバーで銀メダルの終わったことを悔やむ。ショートプログラムの後、フリーまで1日お休みがあった。タラソワは浅田に休養を取らせたかった。だが、メディアが中継をしたいと望み、急遽練習することになった。浅田は疲れ果て、魂が抜けてしまったと振り返る。フリーでは後半、ジャンプミスが出て、明らかに前日練習のせいだと断じた。

バンクーバーの後、「一度、滑りを見直す」ために、コーチは佐藤信夫に交代した。タラソワは母匡子さんから手紙をもらう。そこには自分が死期が近いことを匂わす文章が綴ってあった。2011年、匡子さん逝去。タラソワは言う。お母さんが全てを任せてくれたから、厳しく指導できた。お母さんが強さを与えてくれた。

葬儀翌日から浅田は練習を再開。そして、12月の日本選手権で優勝。浅田はこのときメディアに対し、こんなコメントを残している。生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやる事が、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

ソチ五輪のフリーの振り付けはタラソワが依頼を受けた。「エモーショナルな曲」にしたいと、ロシアのセルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を選んだ。そして、何度も何度も編集し直した。ショートプログラムの失敗の翌日、タラソワはロシアのテレビ局の解説をしながら、祈るような気持ちで浅田の演技を見守った。演技が終わると、嗚咽。しばらく無言になった。「金メダルを取らせてあげたかった…」。

金メダルは取れなかったが、ソチ五輪における浅田真央のフリーの「魂の演技」は僕たちの記憶に鮮明に残り、消え去ることはないだろう。