伝承の会 神田伊織「田之助の義足芝居」旭堂南照「滝の白糸」神田山緑「左甚五郎 松に鷹」

「伝承の会」二日目に行きました。

「賤ヶ岳合戦大岩山」旭堂一海/「田之助の義足芝居」神田伊織/「般若の面」一龍斎弥/「岡野金右衛門 恋の絵図面取り」一龍斎貞奈/「滝の白糸」旭堂南照/「吉田松陰の留魂録」玉田玉秀斎/「探偵講談 鬼坊主」松林伯知/「左甚五郎 松に鷹」神田山緑/「八百蔵吉五郎」田辺銀冶

伊織さんの「田之助の義足芝居」。日本一の立女形と称された三代目澤村田之助の歌舞伎役者としての意地を感じる読み物だ。河竹黙阿弥の「紅皿欠皿」が森田座で掛かって当たり役と評判になった六日目、田之助は木の上から落下し、三寸釘を踏み抜いてしまう。大変な大怪我であるにもかかわらず、田之助は痛みに耐えて翌日からも舞台に立ち、千秋楽まで主役を勤めた。

だが、浮腫みは足の裏から膝、太腿へと広がり、右足全体が腫れあがって、容態は悪化する。田之助は江戸っ子気質ゆえ、強がって舞台を勤めたが命にかかわるところまできてしまった。そのことを知った贔屓客の元北町奉行、小笠原長門守は日本一の名医と名高い佐藤泰然を紹介する。長崎でニーマン博士から西洋医学を学んだ佐藤は薬研堀の診察室で田之助の状態を丹念に診察。「あなたは命と舞台とどちらが大切か」と問うと、田之助が「舞台だ」と答える。「でも、命がなければ舞台に立てない。症状は重い。壊疽を放置していたために、脱疽に悪化している。このままでは全身にばい菌が回り、死んでしまう」と佐藤。

そして、腐った右足を腿の付け根から切断するしかないという。田之助は「役者が手足がないのは死んだも同然」と言うが、「命には替えられない」。この大手術を出来るのは日本にたった一人だけ、横浜のヘボン博士だという。外国人に体をいじられるのは抵抗があったが、この際そんなことは言っていられない。切断手術を受けることに決めた。

執刀医はヘボン博士。佐藤泰然と山口舜海が助手を勤める。「クロロホルム(麻酔薬)は使うか」という問いに、田之助は「女形が眠っている姿を他人に見られるのはみっともない」と負けず嫌いなところを見せて、麻酔なしで右足を切り落とした。そして、アメリカから最先端の義足を取り寄せ、「これでもう一度舞台に立てる」。

義足の歩行が出来るようになり、田之助復活の興行を打ちたいと東京の芝居小屋から声がかかる。だが、田之助は「命と足を授けてくれたヘボン先生にまず観てもらいたい」。わざわざ東京まで足を運んでもらうのは申し訳ないと断り、横浜の下田座という格下の緞帳芝居で自主興行をおこなうことにする。田之助の江戸っ子気質がここにある。

ヘボン博士とクララ夫人を招いた芝居初日。口上で田之助は御礼を述べる。「ヘボン先生への恩は死んでも忘れません。この姿を一目見てもらいたくて、横浜で演じさせてもらうことにしました」。そう言って、ハラハラと涙を流す。客席もすすり泣きが聞こえる。ヘボン博士も、クララ夫人も、小笠原長門守も、佐藤泰然も泣く。「紀伊國屋!日本一!世界一!」の大向こうが掛かる。この興行は連日札止めになったという…。感動的な名医と名優の読み物である。

南照先生の「滝の白糸」。泉鏡花「義血侠血」より。舞台は金沢。女水芸人「滝の白糸」こと水島友と乗り合い馬車で別当を勤めていた村越欣弥の偶然の出会いからはじまったドラマに引きこまれた。欣弥は法律の勉強をしていたが、父親が亡くなり別当になった。それを聞いた白糸は「あなたはきっと立派な人になる。そのお手伝いをさせてください。東京へ出て勉強なさい。私が仕送りをしてあげる」と進言。欣弥はありがたく、この好意を受けることにした。この背景には、白糸は欣弥に恋愛感情があったというのではなく、天涯孤独な自分は「家族がほしい」と思っていたというのが美しい。

欣弥が上京して、三年。白糸は芸人として売れなくなっていた。福井の金持ちから百円の借金をして、これで欣弥とその母が東京で半年は暮らせるという目途が立ったと安心した。だが、白糸は賊に襲われて、その百円を奪われてしまう。そのときに賊が残した出刃庖丁と着物の片袖が白糸の手元にあった。「そうだ。金を盗んで自分も死のう」と思った。そして、強盗殺人を犯す。現場には出刃と片袖を置いていった。

白糸を襲った賊が捕まったが、「金は盗ったが、人は殺していない」と主張した。白糸も事情聴取を受ける。「金など取られていません」と答えた。やがて、公判となり、東京から検事代理がやって来た。その男は何と欣弥であった。何と言う運命だろうか。欣弥は尋問する。「偽りの申し立てをして、あなたの贔屓は喜びますか?」。白糸は「実はお金は盗られました」と言って、重罪も白状。

白糸は殺人犯として起訴され、死刑を宣告される。と同時に、欣弥は自殺した。そして、白糸も絞首台の前で「思い残すことはない」と自害をしたという…。泉鏡花特有の退廃的な美を感じる読み物であった。

山緑先生の「左甚五郎 松に鷹」。大久保彦左衛門が推す甚五郎と伊達政宗が推す飯田丹下のどちらが日本一の名人かを決める腕比べの読み物。彦左衛門と政宗の言い争いが子どもじみているが、そこを南光坊天海大僧正が仲に入って勝負をさせる。将軍家光が鷹狩りが好きなので、「三階松に鷹」というお題で彫物をさせる。

飯田丹下が「俺が日本一だ」と鼻息が荒いのに対し、甚五郎はそもそもこの勝負に乗り気でなく、「自分が日本一だとう奴にろくな奴はいない。職人は控えめが肝心」と言うところからして、既に「勝負あった」であろう。一カ月の製作期間のうち、甚五郎は10日は松の木を観察し、10日は鷹を観察する時間に充てた。「桜の板に鑿(のみ)は入れていないが、心に鑿を刻んでいる」。カッコイイ。

家光公立ち合いの下、両者の彫物が披露される。飯田丹下のそれは実に細やかで「見事だ」と皆が唸る出来栄え。これに対し、甚五郎のそれは「鳩?鶏?鶯?」と皆が首を傾げる。だが、家光は「甚五郎は大したものだ」と言う。「遠くの方からこの彫物を見てみろ。松の木に止まり、獲物を狙う鋭い目をしている」。

「将軍家の奥座敷の床の間に飾る」という前提を甚五郎はよく踏まえているのだ。手に取って見るのではなく、奥に置いて見ると威光が映える。さすが、左甚五郎!と思わせる名人譚であった。