伝承の会 田辺いちか「忠僕直助」神田伯山「百千鳥」神田菫花「ドラクロア」

「伝承の会」初日に行きました。
「尾上菊五郎と幽霊」神田鯉花/「一本刀土俵入」神田松麻呂/「忠僕直助」田辺いちか/「太閤記 三日普請」神田紅佳/「赤垣源蔵 徳利の別れ」旭堂鱗林/「百千鳥」神田伯山/「出世の高松」旭堂南斗/「八百蔵吉五郎」神田蘭/「ドラクロア」神田菫花
いちかさんの「忠僕直助」、しっかりと背骨が伸びた高座。直助は孤児だった自分を我が子同様に育ててくれた岡島八十右衛門に恩義を感じている。大野黒兵衛に持っている刀を「鈍方」と馬鹿にされ、「禄盗人」「知行泥棒」呼ばわりされた主人岡島の屈辱を晴らしてやろうと考える直助はまさに忠僕である。
大坂へ出て、刀鍛冶の津田越前守助広に弟子入り志願し、請け人なしでありながら、その情熱にほだされて入門を許す助広も温かい。三年間、師匠や兄弟子の仕事をつぶさに観察し、一日でも早く立派な刀鍛冶になりたいと寝る間も惜しんで努力した。
そして、本来は惣領弟子の三八が担うべき師匠の「向こう槌」を任せてほしいと懇願、「打ち損なったら破門」というリスクを物ともせず、「覚悟」を見せて、十年はかかる大役を見事にやり抜く。その腕前は師匠助広をして、「お前は誰の弟子だ?!これまでどこで修業を積んできたのだ?」と悪く疑われるほどだというのがすごい。それはとりもなおさず、大恩ある主人岡島に立派な刀を献上したいという一念である。
「心掛け次第で高貴な刀が打てる」という手本を兄弟子たちに見せた直助は助広の養子となり、津田近江守助直と名乗る。そして、師弟で鍛えた刀二振りを赤穂の岡島八十右衛門の許へ届けた。岡島の感激はいかばかりであろうか。
伯山先生の「百千鳥」。浅草西鳥越の三味線師、新八は妻お松に先立たれ、知的障害のある娘お袖を男手ひとつで育てるだけでなく、「お前は決して馬鹿じゃない」と言い聞かせて、三味線作りのイロハを丁寧に教え、一人前の三味線師に育てようとしたところがすごい。
松平加賀守の奥方が弾く三味線を高名な10人の三味線師に作らせて競わせ、そこから一挺を選ぶというコンペティションで、新八は元弟子の甚三郎に負ける。世間は「名人だった新八もこの十年で腕が落ちた」と噂する。確かに娘の世育成もあって、三味線作りの仕事を休んでいた。だが、弟子に負けない自負はあった。失意の新八は飯も喉を通らなくなり、やがて亡くなってしまった。お袖に「仇を取ってくれ」という言葉を残して。
お袖は決意する。周囲の人間は独りで食べていけるように子守奉公に出ることを勧めたが、これを断り、乞食をしながら三味線作りに専念した。毎日、墓参りをして父に誓った。
甚三郎が作った三味線「涛声(なみのこえ」と対になる三味線が一挺欲しいと松平加賀守が所望し、再度三味線師のコンペティションをおこなう。そのとき、お袖には当然声は掛かっていないのだが、選定者である杵屋六翁に自分の作った三味線を見てほしいと飛び込みでお願いに行く。六翁はその不格好な三味線に驚いたが、弾いてみると、その涼やかで麗しい音色に再度驚いた。「見事だ」。六翁は新春に弾き初め会でこの三味線を使うことに決める。お袖は「これで父の汚名を雪ぐことができる」と嬉しくて、泣き伏した。
十挺の三味線師が作った三味線に加え、お袖の三味線が加わり、十一挺で演奏がおこなわれると、千鳥の波のように光り輝く音色が浮かんで聞こえてくる。それは杵屋六翁が弾いているお袖の三味線だった。「これは誰が?」と問う殿様に、六翁は「父の新八と娘のお袖の思いが詰まった」三味線であることを明かす。
そして、この三味線と涛声の二挺で老松を演奏。それが終わると、六翁は涛声の皮を破り、胴の内側に三筋の刀傷が入っているのを殿様に見せる。これは新八が作ったという証拠であった。涛声選定の際に甚三郎が仲介役の中村平馬に賄賂を渡し、さも甚三郎が作ったかのように見せかけたのだった。平馬は追放され、甚三郎も御役御免の処分が下る。お袖は見事に仇を取ったのだ。そして、お袖が作った三味線は「百千鳥」と名付けられ、涛声とともに後世に残る名器となったという…。実にドラマチックな読み物だ。
菫花先生の「ドラクロア」。19世紀のフランスの美術の世界で、ロマン派と呼ばれ、セザンヌやルノアールと並んでいたドラクロアの作品「ピエール・ルーベルの肖像画」にまつわる読み物を興味深く聴いた。
アルトア伯爵の召使い、ピエールは御曹司のベリーから嫌われていた。ベリーがドラクロアに一年以上前に発注した自分の肖像画がまだ出来上がらないので、ピエールに催促に行かせる。これ以上遅れるとベリーに怒られ、殴られると悲痛な表情を浮かべるピエールを見て、ドラクロアは可哀想に思い、一週間で仕上げて納品する。
そのとき、今にも絵からベリーが飛び出しそうな肖像画の出来栄えを見て、ピエールは田舎で独り暮らししている自分の父親の肖像画があったらと胸がいっぱいになり、泣きだしてしまった。事情を聞いたドラクロアは父親の肖像画は描けないが、ピエールの肖像画は今ここで描けるので、それを田舎に送ったらどうか、無料で描いてあげるよと提案する。果たして、ピエールは自分の肖像画を手に入れることが出来た。
これを知ったベリーは怒った。自分は1000フランも支払って描いてもらったのに、召使いのピエールには無料で描いてやるとは!とドラクロアに抗議した。ドラクロアは言う。「親を思う孝行息子の尊い顔は頼んでも描きたかった。君のように学問もなければ、人徳もない、ただお金だけがある男の顔など描きたくもなかった」。
ベリーは「生意気だ。身の程知らずだ」と言って、ピエールの肖像画を引き裂き、足で踏みつけてしまう。「俺は恥をかかされた。お前なんか、出て行け!」。ピエールは「今に見てろ!殺してやる!」と言って、行方知らずになってしまった。復讐の念に駆られたピエールは5年後、ベリーをピストルで襲撃。ピエールは殺人罪で処刑されてしまった。
ドラクロアは「なまじ絵を描いて人を不幸にしてしまった」と後悔し、再びピエールの肖像画を石板に描いた。その「ピエール・ルーベルの肖像画」は今もパリの国会図書館に所蔵されているという…。宝井琴星先生の創作講談を鮮やかに読んだ。

