末広亭できく麿噺 古今亭文菊「優しい味」橘家文蔵「おもち」

新宿末廣亭二月上席九日目夜の部に行きました。今席は10人の古典派真打が林家きく麿師匠の新作落語でトリを取る特別興行。きく麿師匠は毎日、ヒザ前を勤めている。きょうのトリは古今亭文菊師匠で「優しい味」を演じた。

「狸札」隅田川わたし/「令和が島にやってきた」林家きよ彦/漫才 横山まさみ・浮世亭とんぼ/「高砂や」入船亭扇橋/「ぞろぞろ」蜃気楼龍玉/紙切り 林家八楽/「ぼやき酒屋」柳家はん治/「紀州」林家正雀/ジャグリング ストレート松浦/「不動坊」柳家小里ん/中入り/「たらちね」隅田川馬石/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「浮世床~本」橘家圓太郎/「暴そば族」林家きく麿/太神楽 翁家社中/「優しい味」古今亭文菊

文菊師匠の「優しい味」。レストランの常連のヨシダが「この店のスープは優しい味なのよ」と毎日のように友達を連れて来る。ヨシダも含め、おかまの友達ばかりなのだが、皆一様に「わかるわ。優しい味よね。や・さ・し・い味」と褒めて帰って行く。彼らの人物描写が文菊師匠は実に巧くて、感動すら覚える一席に仕上がっているのがすごい。

このことをシェフは「ありがたい。嬉しい」と喜んでいるのだが、一方で違和感を覚えているというのが、この噺の味噌だ。このスープの作り方を教えてくれとヨシダに言われ、それは長年かけて研究したものであり、企業秘密だから教えられないと答えるのだが、それが悩みの種ではない。シェフの苦悩は「優しい味って何だ?なんで、美味しいと言ってくれないんだ!?」ということ。それは「あなたの落語は上手いですね」とは言われるが、「面白いですね」と言われない馬石兄さんみたいだというのが可笑しい。

そして、ヨシダが連れて来たおかまの友人の「優しい」ということに関する自らの体験が深い。ヤマモトは小学校のとき、天然パーマだったためにクラスメイトから「おかまもじゃ」と渾名された。それが嫌だと担任に訴えたら、豆腐屋のみっちゃんが「ヤマモト君の頭は親離れした雛鳥がゆっくり眠れる頭なんだ。優しい頭なんだ」と擁護してくれて、以来渾名は「もじゃバード」になって、お店を出したときの店名はそこからきているという。

また、かかとちゃんは十八歳で初めて上京したときに、ファミレスのバイトの面接を受けたら、店長が「明日から来てください」と言ってくれたので、「ウエイトレスの格好で良いですか」と訊いたら、「良いですよ」と言われた。だけど、翌日からファミレスに行くと、与えられた仕事は倉庫整理ばかり。「ファミレスにおかまはいらない」と暗黙のうちに辞めさせようとしていたと実体験を語った。

そういうおかまが抱えた辛いこと、悲しいことを包んでくれるのが「優しい味」なのかもしれない。本当の人の優しさって何だろう?とヨシダ、もじゃバード、かかとちゃんで考える。混んでいるドトールで「相席どうぞ」と席を空けてくれたぽっちゃり男子。電車で隣に座ったサラリーマンが太腿を黙って触らせてくれる…それはちょっと違うかも(笑)。この店のシェフだったら本当の優しさがわかるかもしれない…そう思って、シェフに訊くと「相手の立場に立って、相手の気持ちになって考えられることじゃないですか」。そうなのだ。だから、このシェフの作ったスープをヨシダたちは「優しい味」と感じるのだろう。笑いの中に奥深さを感じる、きく麿作品だと思った。

新宿末廣亭二月上席千秋楽夜の部に行きました。今席は10人の古典派真打が林家きく麿師匠の新作落語でトリを取る特別興行。きく麿師匠は毎日、ヒザ前を勤めている。きょうのトリは橘家文蔵師匠で「おもち」を演じた。また、千秋楽ということで、最後にきく麿師匠が小林旭の♬泣いて昔が返るならをフルコーラス熱唱、そして主だった出演者が出てきて客席とともに三本締めをした。

「狸札」入船亭ちゑり/「首領が行く!」林家やま彦/漫才 横山まさみ・浮世亭とんぼ/「たらちね」入船亭扇橋/「権助魚」春風亭柳朝/奇術 伊藤夢葉/「妻の旅行」柳家はん治/「豊竹屋」林家正雀/ジャグリング ストレート松浦/「悋気の独楽」柳家小里ん/中入り/「金明竹」隅田川馬石/音楽 のだゆき/「化け物使い」橘家圓太郎/「託おじさん所」林家きく麿/太神楽 翁家社中/「おもち」橘家文蔵

文蔵師匠の「おもち」。ふたりの老人男性の餅についてのふわふわした会話を独自のクスグリをふんだんに入れて、とても魅力的なトリネタにしているのが素晴らしいと思った。この“ふわふわ”感こそが、この噺の肝であり、きく麿カラーをきちんと踏襲しているところが流石である。

「餅、好きですか」「餅、好きですよ」「どんな餅が好きですか」で繰り返される空気感が何とも言えず好きだ。焼いた餅に砂糖醤油をつけたもの。餅界の永遠のアイドルですかね。焼いた餅に砂糖と黄粉をつけた安部川。餅界の銀幕のスターですかね。この二人の世代には砂糖は貴重品だったという幼児体験がある。そして、一方が「餅界の…」といちいち喩えるのを、一方が否定するところに可笑しみがある。

テフロンのフライパンで餅の上にトマトソースとチーズをのせて焼く。餅界のミラノオリンピックですかね。焼いた餅に納豆をのせる。本場水戸の大粒納豆。餅界の副将軍ですかね。焼いた餅の上に明太子をのせる。餅界の紅白歌合戦ですかね。皆、文蔵師匠が独自に創作した部分だが、面白い。

嫁の実家が四国で、雑煮は味噌仕立てで、中に餡ころ餅が入っている。甘いのに甘いの組み合わせ。「チンパンジーの中に猿が一匹いるようなものですかな」に、「違います。チンパンジーも猿ですから」。可笑しい。

この二人の会話にゴロウが割って入るという展開が、この噺の唯一のストーリーで、これが滑稽を増幅する。ゴロウは毎年正月に喉に餅を詰まらせ、一命を取り留めるということを繰り返している老人。皆がゴロウに合う度に餅の話をするので、嫌気が差している。「何、楽しそうに話していたんだよ」と訊かれるが、二人は「永遠のアイドル」とか「銀幕のスター」とか、ぼやかして答えるのだが、それが結局餅のことだと判って、怒りだすゴロウ。

「だから、餅の話はするな!嫌なんだよ!逆さまに吊るされて、口の中に掃除機を突っ込まれた悲しみがわかるか?!」。今年こそ詰まらせないように、ご利益のある宇野神社の家族でお詣りに行ったが、効果がなかった。新幹線代やお賽銭など出費がかさみ、「大損害じゃ」とゴロウが言うと、「ダイソン?それで掃除機?」というのに大爆笑。尚且つ、餅の食べ方の定番の磯部巻は「白と黒のコントラスト」と喩えたことに対し、葬式の鯨幕を連想させ、「不謹慎だ!」とゴロウが怒るのも可笑しかった。

15分高座のネタをきく麿カラーを踏襲しながらも、しっかりとトリネタに膨らませた文蔵師匠の手腕に拍手喝采である。